月輪観を体験した
今日はたまたま時間が合ったので、かなり易しい言葉で教えてくれる真言宗のお坊さんがひらくイベントに参加させてもらい、月輪観(がちりんかん)の体験をさせてもらうことができた。
阿字観というものがあり、これは「阿字を観て瞑想する」もので、月輪観となれば「月を観て瞑想する」というものだ。阿字観は知っていたし、今月末には高野山に体験しにいくのだが、月輪観についてはそもそもそんなのがあるのね、というくらいの知識だったのでとても貴重な体験だった。
お坊さんがまとめてくれたのはとても素晴らしく、真言系の瞑想はざっくりといえば「外の世界を観察して無限へと広げる」というものであり、これは認知を高める効力があるようで、知覚を高める覚醒的な瞑想とのこと。
一方でマインドフルネスとかも流行っているけど、座禅などからくる瞑想もまたヨガの瞑想も、どちらかというと「自分を深く観察していく」ことで、これは鎮静・リラックスの効力があるようで、心を整える瞑想だという。
なにせわかりやすかった。
どうも難しい感じでこういうものに触れると、人が敬遠してしまうのだけど今日の話はとてもわかりやすかったし、体験的にも理解しやすかった。
ある程度の勘はつかめたので自分でやりつつ、ときどき修正を図りながら、どんどん自分の感覚に戻っていくようになればいいなと思っている。
進むとき、進むものってのは、なんだかするすると進んでしまうものだ。
急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。