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生死(いのち)の会 やってます
毎週水曜日に定例で開催することになった生死(いのち)の会ですが、本日で2回目を迎えました。
エア寺主催のガチめのイベントとしては年間50回の開催がゆるやかに決まっているプロジェクトなので、なかなかに重要ですけれども、それぞれのホストの日が決まっているので少しだけ気楽です。
今日は11名の人が参加してくれまして、ぼく含めて12名となりましたけれども、このテーマでは10名を超えると無理があるなと思いましたね。
いやこれ、ほんまみんなの話を聞きたいくらいに、みんながみんな思うことがあって、みんな名言やら、すごい大事な言葉をくれるんですけれども、だからこそ時間がかかってしゃーない(笑)
だから、10名を超える場合は2チームにわけて、5名ずつくらいで話していくのがちょうどいいなと思いましたね。これは思った以上にみんなそれぞれで話すことがいっぱいあって、素晴らしい機会になれそうな感じです。
世の中には他にいっぱいクリティカルな問題があって「倒産しそう」とか「失業することになった」とか「食べるものがない」といったリアルな問題が目の前に迫っている人たちがいて、まさにそんな人たちに対して出来ることをやりたいねんって動き出している人たちが周りにもたくさんいる。
そんな人たちがしている本質的で、かつ非常にいまそこにある問題に対して大切な打ち手があることを考えると、ぼくがこんな風にやっていることというのはなんだか遠回りだし、悠長なことをやっているかもしれない。
だけど、やっぱりぼくがいま興味を持って取り組みたいのは、「仏教」だということだし、いまこそ仏教そのものがもつ、またそれ以外の宗教や、また心の問題に対処する諸々の方法がいまこそ力を発揮すべき時やんかと思っている。それはもう本当になんでもよくて、誰が誰を救っても構わないから、とにかくいま出来ることを、出来る人が、出来るだけやろうぜ、と思う。
だからそれぞれで動き始めている人たちのことが誇らしいし、それぞれが頑張っている、必死に生きていることがめっちゃ美しいし、悩んだり、苦しんだりしているその姿そのものが美しくて、だから生き抜いて、また笑って、あの時はいろいろ大変やったなと笑えることがやはりまた美しいと思う。
生きるって、素敵やなと思うんです。
苦しい思いばっかりしている人からしたらふざけんなと思うかもしれないけど、そんなことを言われたって、ぼくは素敵やなと思ってしまう。
そして、やっぱり必死で生きるから素敵やなと思う。
ぼくだって楽しく生きていますが、実はそれでいて必死です。いつも一生懸命に生きていることだけは胸を張っているし、いま出来ることがあると信じて、今日だってなんとなくいま自分にとって大切なことをして、それがそのまま誰かの幸せにつながることがあるんだと思って生きています。
そうして信じることが誰かを励ますことになったりもするんだから、なんてありがたいことなんやろな―と思います。
情けないことも、悔しいことも、自己嫌悪することもあるけど、そういうことを隠さずに生きるから人間らしくて、それがそのまま人を励まして、勇気に変わって、周りに力を与えていくんちゃうかなと思っています。
みんな、それぞれの持ち場でがんばろ。ぼくはぼくで一生懸命やっていくし、うまくいかへんことなんかなんぼでもあるけど、そんなん当たり前やでと思って、とにかく生きている。それでええねんで、きっと。
いのちって、たぶん、そういうことやで。
と思ったし、それを語りたくなるような会でした。
ほんまありがたいなー、幸せなことやな―。
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![よこたいたる(お葬式研究家/呼吸の習いごと主宰)](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/9273304/profile_4a7983a0438d0b342dc5fe5a87aec1bd.png?width=600&crop=1:1,smart)