大事なことを伝えるために表現をする
最近ずっと考えてきたことがあり、僕らは表現をしていくことが大事だなということ。人それぞれ表現の仕方はあれど、とにかく表現ができる。
とくに本人が表現を工夫することもできるけど、生きているだけでもそれは表現であるともちろん言える。生きて姿を示し続けることはまさに表現をしているということ。
大事なことは、なにを伝えたいのか、が大事。一番大事な気がする。
表現の仕方ばかりうまくても、本当に大事なことが伝わらない。
本当に大事なことを伝えたいが伝わらないとき、本当に大事なことじゃないことを伝えようとしていることと、伝わる表現ができていないこと、そして相手が受け取れる状態にない(体調、心情、成熟度などの条件がそろってないなど)といったことが考えられる。
ただ表現の仕方や、相手の受け取り条件が揃っていても、そもそも大事なことを伝えてなければ、大事じゃないことをうまく伝えている、ことになるのでそもそも根本的に違ってしまっている。
大事なことを伝えるということがしたいとき、
僕らは、その大事なことがなんなのかを知らなくては、それができない。
僕らは、どんな表現ができるのかを知らなくては、それができない。
僕らは、相手が受け取れる条件が備わってなくては、それができない。
例えば、本当に楽に生きて欲しい、と願い、その楽に生きるための大事なことを伝えるにしても、時代や状況によってその表現は工夫されなくてはいけないということを感じたので、ここにメモっておく。
そういう意味で「ケムリクサ」は僕にとってとても大切な宗教的な世界観を描いている映像作品だなと思った。
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![よこたいたる(お葬式研究家/呼吸の習いごと主宰)](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/9273304/profile_4a7983a0438d0b342dc5fe5a87aec1bd.png?width=600&crop=1:1,smart)