コラム:「ゲームシステムとストーリーが結びつく演出」が大好きという話

僕には、ビデオゲームを遊んでいて大好きな演出があります。それは「ゲームシステムとストーリーが結びつく演出」です。

この記事では、この演出がどういうものなのか定義したあとで、具体的な例を挙げて紹介してゆこうと思います。

※ 本コラムでは趣旨の性質上、紹介しているゲームの結末に触れています。「Mother2 ギーグの逆襲」「Brothers: a Tale of Two Sons」「Red Dead Redemption」「Portal 2」を未プレイの方は、ご注意ください。

1. はじめに

「ゲームシステムとストーリーが結びつく演出」というのを自分なりに定義すると、以下のようになります。

その作品を特徴付けるゲームシステムがあって、そのシステムに関連したゲームプレイと、ゲーム内のストーリーが同時進行する演出

この「同時進行」というのがポイントです。RPGのボスバトルを例に挙げてみましょう。

ボスとの戦闘があって、戦闘画面が終了した後、「主人公が剣を一振りすると、ボスが断末魔の叫びをあげて崩れ落ちる」といったムービーが流れる場合。
この場合は、「ボスと戦う」というゲームプレイとストーリーを進行させる演出が分離しているため、同時進行ではありません。

一方、例えば、「あるコマンドがそのボス戦の時だけ特別な意味合いを持ち、そのコマンドを使うことに気づかなければ勝てない」といった具合に、ボスを倒すためには特別な操作を必要とする場合。
この場合は、「ボスと戦う」というゲームプレイと、「窮地に追い込まれた主人公が、ある意外な倒し方を閃き、それによって勝利する」というストーリーが同時進行します。

そしてこの「同時進行」には、ゲーム内のキャラクターの感情と、プレイヤーの感情が同期し、より強く一体感を感じる、という効果もあると思っています。

それでは、様々な作品の中で、ここで定義した演出がどのように使われているか、具体例を見てゆきましょう。

2. 具体的な例

2-1. MOTHER 2 ギーグの逆襲

「はじめに」で挙げた例に最も近いのは、「MOTHER 2 ギーグの逆襲」(SFC, Wii U, Nintendo 3DS, 任天堂, 1994)のラスボス戦です。

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ラスボスのギーグは、通常の攻撃では倒すことができません。
仲間の一人「ポーラ」のコマンド「いのる」がキーとなります。

「いのる」は、通常の戦闘ではランダムに様々な効果が発動する魔法ですが、ラスボス戦の時のみ「私たちに力を貸してください」と祈りを捧げる演出が行われます。
そして、その祈りが通じ、これまでに出会ってきた世界中の人々が主人公たちの身を案じることで、主人公たちはボスに勝利できるのです。

ここでは、ラスボスとの戦闘と、「進退極まった主人公たちが、強く祈り、それによって勝利できる」というストーリーが同時進行しています。

それによって、主人公たちの感情の高まりと、プレイヤーのそれとが一致し、感動的な場面につながっているのです。

2-2. Brothers: a Tale of Two Sons

他に、僕が特に好きなのは、「Brothers: a Tale of Two Sons」(XBOX 360, PS3 etc., Starbreeze Studios, 2013)の終盤付近の演出です。

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本作では、2人の兄弟を1つのコントローラーで操作する、という独特なゲームシステムが、終盤のストーリーテリングで有効に作用します。
 
それまでずっと2人一緒に行動してきた兄弟は、終盤で弟1人ぼっちになってしまいます。
先に進むためには泳がなければならないのに、彼には水に対するトラウマがあり泳げません。しかし、それまで彼を助けてくれた兄は、もういません。

彼は意を決して水に入ります。
このとき、プレイヤーが普通に弟を操作するだけでは溺れてしまうのですが、「既にいない兄の操作も同時に入力することによって」泳げるようになるのです。

これによって、「兄はもういないけれど、見守ってくれている。そして弟の背中を押していてくれている」というストーリーを、説明的でなく、それでいて雄弁に語ることに成功しています。

今思い出しても少し涙が出てしまう、名場面だと思います。

2-3. Red Dead Redemption

名作と名高い「Red Dead Redemption」(XBOX 360, PS3, Rockstar Games, 2010)ではどうでしょう。

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本作では、「デッドアイ」というゲームシステムがキーになります。
これは、西部劇における「早撃ち」を体感できるシステムで、一定時間時間をスローにできて、複数の敵の急所を次々と狙い撃つことができます。

メインストーリーのラストミッションで、主人公、ジョン・マーストンは大勢の政府軍に包囲されます。絶望的な戦いですが、家族を守るため、彼は敵勢の前に身を晒します。

主人公はプレイヤーの操作によって、デッドアイで次々と敵を撃ち倒してゆきます。しかし、到底全ての敵を片付けることはできず、結局、主人公は敵の攻勢の前に倒れ、命を落とします。

この時、プレイヤーは「自分は、どんなに力を尽くしても家族を守ることができないのだ」という主人公の絶望を、まるで我がことのように感じます。
上のようなストーリーを映像で演出されるよりも深く、体感するのです。

2-4. Portal 2

一人称視点で進行する3Dパズルゲームの傑作「Portal 2」(Steam (Windows, macOS, Linux), XBOX 360, PS3, Valve Software, 2011)は、ゲームプレイの操作が、ラスボス戦でのみ特別な役割を果たすという点で、「MOTHER 2」に近いかもしれません。

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本作では、「ポータルガン」という特徴的なガジェットを使って、仕掛けに満ちた巨大な研究所を脱出してゆきます。
このゲームのラスボス戦では、このポータルガンを、これまでとは違う、意外な使い方で使います。
 
強大な力で主人公を圧倒するラスボスの前に、なすすべもなく屈するかと思われた時、屋根が崩れ、夜空の向こうに満月がのぞきます。

その時、主人公(とプレイヤー)は閃くのです。
「ポータルガンを月に向かって撃てば、この場所と月面の空間が直結して、ボスを宇宙へ吹き飛ばせるかもしれない」と。
この時、プレイヤーの気づきと主人公の閃きが完全に同期し、「絶望的な状況の中で、主人公がボスの倒し方を閃く」というストーリーがゲームプレイと同時に進行するのです。

この場面が例えば映像で語られたり、あるいは、画面に表示されたボタンと同じボタンを押す、いわゆるQTEバトルで処理されていたとしたら、さほど感動は得られなかったでしょう。

そこまでに散々使ってきたポータルガンを応用する、そのことにプレイヤー自身が気付くことによって、その瞬間、ゲームのプレイヤーはゲーム内の主人公と一体化するのです。

3. まとめ

このコラムでは、僕がビデオゲームで好きな演出「ゲームシステムとストーリーが結びつく演出」を紹介してきました。

最近、ビデオゲームにおけるストーリテリングを語る際、「ナラティブ」という言葉が使われることが多くなってきました。

通常の意味でのストーリーが、ゲーム内のキャラクターの所作や演出によって明示的に語られるものである一方、ナラティブというのは、その作品を遊ぶプレイヤーの内部に形作られる物語を指すようです。

今回紹介したような演出は、もちろんストーリーを強力に推進しているのですが、同時にプレイヤーの中に湧き上がるナラティブを強化しているものであると言えると思います。

ビデオゲームが誕生して約半世紀。映像表現のレベルは急速に向上し、極めて高いレベルに達しました。いまや、物語を語る映像メディアとして、映画(やドラマ)とビデオゲームの間に、技術的な優劣はほとんどなくなったと言っていいと思います。

当初は映画の演出を模倣してきたビデオゲームでしたが、最近ではこのコラムで紹介したように、ビデオゲームならではのストーリーテリング手法が生まれてきています。

このコラムで紹介したタイプの演出の他にも、ストーリーを語る、様々な印象的な演出があります。

例えば、「BioShock」(XBOX 360, PS3, Windows etc., 2K Games, 2007)における「あっちへ行け、こっちへ行けとお使い的に振り回される、ビデオゲームにありがちなミッション進行」を逆手に取ったストーリー演出。
あるいは、「Call of Duty 4: Modern Warfare」(XBOX 360, PS3, Windows, Infinity Ward, 2007)で、最初から最後まで「目標をセンターに入れてスイッチ」というゲーム性を貫徹したことによって生まれる、ラスボス戦でのカタルシス。

ビデオゲームは様々な側面で進化が著しいですが、ストーリーテリングについても、これからますます進化してゆくのだと思います。

(了)

2019.11.28 Itaru Otomaru

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