FF16直前のいま、FF15のオープンワールドの良かった点・悪かった点を語りたい

本記事公開日現在(2023年6月6日)、ファイナルファンタジー(FF)シリーズ最新作である『ファイナルファンタジーXVI(FF16)』の発売が間近に迫っています!

FF16ですが、すでに「オープンワールドではない」ことが明らかにされています。(ただし、複数の広大なフィールドが用意されているとのこと)

一方、ナンバリング前作である『ファイルファンタジーXV(FF15)』は、作中序盤〜中盤までの舞台を一つのフィールドで表現したオープンワールド作品でした。(ただし、後半以降は、物語に応じて探索できる場所が変わってゆく、リニアな進行です)

『ファイナルファンタジーXV』

最新作のFF16がオープンワールドを採用しなかったことで、FF15は、シリーズ唯一、本格的なオープンワールドを導入した作品となりました。では、FF15のオープンワールドは失敗だったのでしょうか?

個人的には、FF15のオープンワールドには、良かった点と悪かった点の両方があったと思っています。本記事では、FF16発売目前のこのタイミングで、自分の中の考えを整理してみます。

悪かった点

まず、僕が「これはダメだな…」と思った点の方を先に挙げてしまいます。一言でまとめると、FF15のオープンワールドは、「主人公たちが暮らす実在する世界である」という「説得力」が欠けていたと思います。

オープニングや最終章などで描写されている通り、主人公たちが暮らしていた街「インソムニア」は、現実の東京と瓜二つです。前日譚であるアニメ「BROTHERHOOD」によると、暮らしぶりも現代日本そのもののようです。

『BROTHERHOOD ファイナルファンタジーXV』で描写された、インソムニアの小学校。(Episode 2「Dogged Runner」よりキャプチャ)

一方、ゲームの実際の舞台となるオープンワールドのフィールドは、上記インソムニアから車で移動できる程度の距離ですが、こちらは急に、アメリカの田舎のような風景が広がっています。「なぜ東京の郊外がアメリカなんだ?」とかなり違和感を覚えました

インソムニア郊外。

さらに、後半で主人公たちが訪れる街「オルティシエ」も問題だと思いました。インソムニア(東京)から、車とプレジャーボートを乗り継いで行ける程度の距離ですが、なぜか文化様式が全く違っていて、ベネツィアのような街並みです。その程度の距離の隔たりだと、せいぜい東京とソウルぐらいの違いしかないはずなのに…。

水の都「オルティシエ」。

ほかにも、「現代的なハイウェイが整備されていて車であらゆる場所を移動できること」と、いかにもFFらしい「あちこちにモンスターが生息している」世界観は、かなり食い合わせが悪いと感じました。

「道を一歩出ると危険なモンスターが跋扈している世界だと安全に通行できないんじゃないか?」とか、「夜は強いモンスターが出現して危険だというが、どうやって物流を支えているんだろう?」とか…。色々なことが、作品を楽しむことを阻害するノイズになってしまったのです。

Grand Theft AutoシリーズやFalloutシリーズからも分かる通り、オープンワールドゲームでは、サイズ感を含め様々な要素をデフォルメすることは定石であり、FF15もその方法論に従っているだけなのだとは思います。

ただし、FF15の場合、実在ブランド(Colemanや日清カップヌードル)とコラボしていたり、料理のグラフィックが超リアルだったり、細かいディテールに異様に力が入っているので、そのぶん、作中世界がデフォルメされていることにチグハグさを感じるのです。

このように、我々の知る現実世界とFFらしいファンタジー的世界観を、下手に融合させようとしたがために、世界設定に説得力がなくなっていること、これが、僕が考えるFF15のオープンワールドのうまくいっていなかった点です。

良かった点

では、FF15のオープンワールドが完全に失敗だったのかというと、僕はそうは思いません

ひとつながりの広大なフィールドを、仲間たちとクルマで自由に冒険できる…このことによって、圧倒的な「青春の旅」感を表現することに成功していたと思います。

主人公ノクティスと行動をともにする3人の仲間は、従来のゲームの仲間キャラクターとは一線を画す、高度なAIによって制御されています。

広大なフィールドのどこに行っても、何をしても、まるで本物の人間のように反応し、喋り、行動するので、気の合う仲間たちと本当に旅をしている気分になります。

ノクティスは、本作の後半以降、抗いようのない運命に翻弄され、物語の結末まで文字通り一直線に連れて行かれます。前半の、オープンワールドでの「自由な」ゲームプレイは、それとは対照的です。この対比によって、本作の前半部は「青春の最後のひととき」「仲間たちとバカやれてたあの頃」を、この上なく輝かしく描いているように感じるのです。

このように僕は、本作の前半(オープンワールドでの自由な旅)と後半(一直線のリニアな進行)をこのように対比的に捉えているので、プレイ中の僕は、後半以降も「過去に戻る」というコマンドでオープンワールドに戻れることに、ゲーム上のご都合以上のものを感じていました。

終盤、自身の避けられない運命を知ったノクティスが、過去にタイムスリップことで、自分の人生最良の日々だったあの頃に逃避している…というストーリーを勝手に思い浮かべていました。(『シュタインズ・ゲート』の鈴羽エンドみたいな感じ)

犬(アンブラ)の不思議な力で、ストーリー終盤からでも過去に戻れる。

僕が本作から感じ取ったような、前半と後半の対比や、「過去に戻る」ことができることによる「過去の良かった頃」への逃避…というのは、制作者が意図したナラティブではないのかもしれません。

でも、僕はこれによって、本作のストーリーは厚みのある、素晴らしいものになったと思います。そしてこれは、本作の前半がオープンワールドであることによって「青春の旅感」が表現されたことによって実現されたと考えます。

僕自身の個人的な思いにかなり偏っていますが、これが、僕が考える、本作のオープンワールドの良かった点です。

おわりに

本記事では、FF16発売直前というタイミングで、前作であるFF15のオープンワールド要素を対象として、その良かった点と悪かった点をまとめました。

読んでいただくと分かるのですが、良かった点も悪かった点も、かなりの部分、僕自身の思い込みに基づく偏ったものではあると思います。今回は、個人的な思いを記録した記事ということでご容赦ください。

FF16は「オープンワールドではない」ことがすでに発表されています。おそらく、自由なゲームプレイというよりは、ドラマティックなストーリー展開に主眼を置いた作品になるのだと思います。

僕自身は、FF16を予約済みです。どんなゲームになるのか、いまから楽しみに待ちたいと思います。

(了)

2023.6.6 Itaru Otomaru

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