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Learning 4.0

今週(2020年6月第一週)にATD(Association for Talent Development)の年次カンファレンスが開催されています。今年はVirtual Conferenceというスタイルをとり、オンラインで世界各国から参加が可能で、セッションもほとんどが録画されているので、文字通り時空を超えて参加できるイベントになっています。

私はATDの年次カンファレンスに参加するのは2回目でして、最初は10年前の2010年でした。当時はASTD(American Society for Training Development)という名称でリアルの開催でしたが、Chicagoまで行ってカンファレンスに参加した時、Learning 3.0と言うコンセプトを基調講演で聞いて衝撃を受けたのを今でも覚えています。
それから10年経った現在、Learning 4.0とも言える現象が起きているように思っています。
どう言うことなのか、みなさんと一緒に考えてみたいと思います。

はじめに

Learningすなわち「学習」が起きるとき、情報の流れと学びがどこで発生するかを整理して考えてみると、時代を経るに従って学び方が進化して行ってるのが見えてきます。つまり、これはeLearningにコンテンツが移行しているというレベルの話ではありません。

このnoteでは、学び方の進化にソフトウェアのバージョンのように、1.0とか2.0とかの数字をつけて進化の様子を表していますが、以前のバージョンがなくなってしまうわけでは決して無く、複数のバージョンが現に今の世の中には混在していますし、途中のバージョンのようなものも実際には存在すると思います。

ASTDの2010年の年次カンファレンスの基調講演で、Charlene Liという人がOpen Leadershipというコンセプトについて発表した時、私は初めてのこのLearningにVersionがあるというアイディアに触れ、2000年代初頭に出始めたOpen Innovationがここから爆発するかもしれない可能性を感じ、アッと驚いたのを今でも鮮明に覚えています。

では、LearningのVersionを順を追ってみてゆきつつ、その先にある可能性を考えてみるとしましょう。

Learning 1.0

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Learning 1.0は古典的なLearningの形です。上の絵はそのイメージです。
教える人(教育者)が居て、教わる人(学習者)がいます。情報の流れ(緑の矢印で表しています)は教える側から教わる側に一方通行で行われます。

大学の講義を思い浮かべると分かりやすいかと思います。教授が登壇して黒板やホワイトボードを使って「講義」を行い、それを学生は一所懸命にノートやメモを取っている状態。それがLearning 1.0です。
平たい言葉で言い直すならば、Teachingになるわけです。

Learning 1.0では、学習の咀嚼はその場で起きず、情報のインプットが行われるのみで、入ってきた情報をもとにアウトプットを出したり、二次的な学習が起きるのは復習をしたり、宿題をしたりしたときになります。だから学校の授業では復習が大切ですし、テストも行うわけです。
ところがインプットしたものをただ記憶しておいて、テストの時に吐き出すだけでは「鵜呑み」と一緒で、結局身につかず実践的な知識になりません。大事なのは、インプットされた情報を自分の中で咀嚼して自分の言葉にして覚える、身につけることなのですが、Learning 1.0の場はそれを起こすようにできていないですし、起こすのも難しいのです。

Learning 2.0

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Learning 2.0になると、双方向の情報のやり取りが生まれます。お互いに教え合うということも起きます。
教育者が学習に必要なコンテンツを全て握っているわけではなく、学習者が自分で調べてきたり、学習者同士でディスカッションをして新たに生まれた意見を教育者に伝えることで教育者側も発見があり学習することになります。

Learning 2.0では、学習者にインプットされた情報はその場で咀嚼され、理解と解釈のために議論や対話が行われます。そこで1次的な情報インプットに留まらずに2次的な学習が起きることになります。
言葉を変えて言えば、情報をインプットされる場で同時に考えて自分なりの意見や考えを表に出してやりとりをするということです。

このパターンは、正解のない議論を行う時や学習者側に意見を作ることに意義がある時にとても有効です。
一般的なファシリテーションはこのLearning 2.0の環境下で行われるものであり、教育者は答えを伝えるのではなく学習者が自分なりの答えを見つけられるようプロセスを司ることになります。
Learning 2.0は、体験学習やグループ演習、グループディスカッション中心で進み、その場でクリエイティブに新たなアウトプットが生まれてくるという意味では、ワークショップというスタイルそのものがLearning 2.0を指すと言えるかもしれません。

Learning 3.0

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Learning 2.0までは、教室や研修室という場の中でLearningが閉じていました。それがLearning 3.0では外に向かって開いた形になります。教室は依然あるのですが、それがネットワークで外部ともつながっており、そこには居ない人からの客観的な意見や視点が学びの場に加わってきます。

Open Innovationも、組織の外の知識を呼び込むという意味ではこれと似ていますが、「企業内のアイディアと企業外のアイディアを有機的に掛け合わせて新しい価値を創造する」という広義(かな?)の意味合いとなります。
ですが、実際にそれを行って行こうとなると、知的財産の話や契約などの法律や手続き面のハードルが高いです。
つまり、コンセプトは美しいのですが、実際に行うとなるとかなり型にはまったものになりがちで、とどのつまりは複数の企業の協業やアライアンスの域を出なくなってしま雨のです。

Learning 3.0の凄いところは、そう言った手続き面や制約なしに、リアルタイムで学びの場の外とつながり、外部からの見え方を知ることによってその場にいる学習者も教育者も新たな学びを得ることになりますし、外部から関わる人もその場にいる人ほどの質と量までではないかもしれませんが、学びを得ることができます。垣根を取っ払った学びの場の出現です。

実際に私がASTD2020の場で体験したことでお伝えしましょう。
私がLearning 3.0を試してみようとやったのは、キーノートを聞きながらTwitterで #ASTD とハッシュタグをつけて呟くことでした。
そして、講演で聞いたキーワードや自分なりの理解を呟くと、それが嵐のようにRe-tweetされ、さらには関連する情報のリンクが次々と送られてきました。単にキーノートを聴いているだけの場合に比べて3倍から5倍に情報が増え、その場に考えてさらにコメントをTweetしたり、Direct messageに返信をすることで、すでに自分自身が今学んだばかりのことを人に教えている状態が起きていました。関連する情報のインプットとアウトプットが連続的に何度も起きるので、その場で深く学習し当然ですが、そこで学んだことを頭に深く刻まれます。
これは、私にとって衝撃的な体験でした。同時に「こんなテンションの高い学び方は長時間続けられないな」という思いましたが… ( ̄◇ ̄;)

今でこそ、YouTubeのライブ配信でコメント欄にどんどんコメントが流れてゆくのは当たり前になっていますし、講義やイベントもオンライン化でTwitterでハッシュタグをつけて情報共有を行うようになってきましたが、当時(2010年ごろ)はまだLearning 1.0や2.0的な使い方をしている人が多かったように思います。

Learning 4.0

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そして現在、私はLearning 4.0が始まっているのではないかと考えています。
Stay Homeで世界中が外出を自粛し、「学びの場」自体をリアルでは設置できなくなってしまったことで、バーチャルなネットワーク上に学びの場が展開しています。

上の図が正しく状況を表しているかは自信がないのですが、少なくともネットワーク上の学びの場にはもう教育者と学習者という垣根すらなく時間や空間すら超えて学習者同士が相互に教え合い学び合うとともに、個人やコミュニティがそこから更に別のネットワークに繋がって広く情報の行き来が発生し共創が起こる…というかなり複雑な状態です。

実際に私の周りで起こっているのは、今までセミナーや研修で学ぶ側だった人たちが自分で学習したことを発信し、それを共有する仲間たちを作ります。そして、そこに来る仲間がもつ別の学習コミュニティとの繋がりを共有することで学習コミュニティ同士がネットワークを持ち始めているのです。
言葉を変えていうと、今まではLearning 1.0や2.0的に学習者の立場にとどまっていた人たちが、情報の発信者になってゆく…それぞれの考えや体験そのものが他の人の学習のリソースにもなってゆくので、ある意味21世紀のルネッサンスとも言える状況になってきており、様々なクリエイターが出てゆく可能性すら秘めているのではないかと思えます。

テレワークやオンライン化で、今までだったら繋がらなかった人と簡単に繋がり、新たな知識を得たり学び合う場が増えたということはないでしょうか。それこそが今起きているLearning 4.0ではないか、と。

Learning 4.xとLearningの未来

Learning 4.0は、zoomによるミーティングやオンラインでの顔を合わせて語り合うことが、一部の人ではなく急激に普及して使うのが当たり前になりつつある今起こり始めているムーブメントなのではないかと思います。

きっとまだ始まったばかりで、これからツールの進化やInstructional DesignやWorkshop Designがツールに合わせて進化することでマイナーなアップデートが行われてゆくのだろうと思います。

この学習のネットワーク化が進むと、かなり遠い将来には「人間個人」という最終的な「境界」すらなくなって一つの集合知となるかもしれません。
そこでは、情報は「交換」するものではなく共有を超えて一つに「統合」され集められてゆきます。さらには人工知能(Deep Learning)やロボットもその中に含まれ、最終的には地球レベルの大きな知性を皆で共有するような未来がやってくるのかもしれません。「脳」は一つになり、入力端末や出力装置としての人類、AI、ロボットの分業、という世界観…。それをなんと呼ぶかはともかく、私たちはそこに至る入り口に今立っているのではないだろうか………と、思うのです。

そう考えると、面白いような怖いような、不思議な感覚になりませんか?( ´ ▽ ` )


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いたる | 外資系人事の独り言
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