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辞めるか迷ったら考えるべき3つのこと

人事をやっていると、辞職する人に関わるないしは立ち会うことがよくあります。
ここでいう辞職は定年退職ではなく、自分の意思や会社の都合で退職することを指しています。

退職者インタビューで話を聞いていると辞めてゆく理由は人それぞれですし、多くの場合それは後付けであったりします。つまりきっかけはもっと無意識的に何となく湧き上がってくる違和感のようなところからなのです。

辞めるという決断をする上では、この違和感の正体を知るためにセルフチェックのようなことを実は誰しもが意識的無意識的に行なっています。
そしてその時のセルフチェックは抽象度の高い三つの自分自身への問いによって構成され、その答えがどうであるかによって決断をすることになっているのだということが分かってきました。

三つの要素とは「能力」「意欲」「生き方」です。
ひとつひとつ、それらの要素について考えてみましょう。

能力

仕事を遂行するために必要となる能力、具体的には知識やスキル、経験などがここでいう能力です。高ければそれは強みとなり、低ければそれは改善を要するものか弱みとも言えるでしょう。

仕事を続ける上において、能力に関する幾つかの問いは、
・この仕事では自分の持っている能力を活かせているか
・この仕事で求められる能力に自分は応えることができるか

・この仕事を続けることで、自分の能力が伸びる、または新たな能力が身につくか
などがあります。

自分の持っている強みや能力を活かせていないのであれば、それが活かせるところで働きたいと思うのが自然でしょう。苦手な仕事を延々と続けていても辛くなってくるだけですから。

また、どんなに頑張っても到底求められているレベルの能力には到達できない。言葉を変えると「無理ゲー」をやっているように感じられたら、そこで背伸びしたり無理をして失敗したり、低い評価をもらうよりは別の仕事をした方が良いかもしれません。
恥ずかしいことではないと思います。だって、その能力のために不要に時間と費やして苦しむのは時間の無駄。それよりも自分を活かせることをやった方がはるかに有意義なわけですから。

逆に仕事自体が緩すぎて、続けていても自分に新しい能力もつかないし、今の能力も伸びず成長が期待できないのであれば、スキルアップできるところに行きたいと思うこともあるでしょう。

能力に関する違和感は、「ここでは自分の力を発揮できてない(あるいは伸びない)」ような感じがある、という閉塞感から来ています。

意欲

能力があってもなくても、頑張ってやり抜こうという意欲があれば仕事に取り組むことができるでしょうし、意欲を持ってトライし続けることで能力がついたり成果が出て認められるようになることはあるでしょう。

意欲には、「自分がやりたい」と思う場合「自分がやるべきだ」に突き動かされる場合があります。WillとMust(あるいはShould)とも言えるし、内発的と外発的とも言えるかもしれません。

WillとShouldは全く別のものと思われることもあるようですが、やりたいことがいつの間にかやるべきことになってしまったりして、実はその境界は曖昧です。
内発か外発かはともかく、やろうとかやらなくちゃという動機を自分で喚起できるかどうかが意欲ということになるかと私は考えています。

言い方を変えると、行動する気になるかどうかが意欲であり、それは自分のための場合もあれば、人のため、お客様のため、同僚のためということもあるわけです。
そう言う意味では「責任感」のようなものであり、自分が行動する理由に対する納得度であり、それをキープできるのが意欲なのかもしれません。
つまり「割り切り」によって意欲が形成されることはあるということです。

仕事を続ける上において、意欲に関する幾つかの問いは、
・この仕事は自分が本当にやりたいと思っているものか
・この仕事を自分がやっている理由を誇りをもって他人に説明できるか
・この仕事には自分を突き動かし使命感を持たせるものがあるか
などがあります。

意欲に対する違和感は、「上手くできるんだけれど疲れる(やってて元気が出ない)」ような感じのモヤモヤ感からきています。

生き方

「生き方」と言うとちょっと漠然としていますし、重たい感じがあるかもしれません。ここで言う生き方とは、その人「らしさ」であり、その人が「目指すもの」です。
これは具体的な話をしないと分かりにくそうなので、ちょっとここで私自身の話をしましょう。

もう9年前になりますが、30年近く勤めてきた会社を辞める決断をしました。
当時私は、会社が新しく建てる研修センターの立ち上げのプロジェクトのリードをしていていました。研修センターに機材を入れたり、そこで行われる研修やトレーニングを設計したりが仕事でした。

L&D(Learning and Development=学習と能力開発)は私が人事のキャリアを始めた時の最初に行った仕事であり得意分野ですので、能力的には申し分ない状況だったと思います。研修センターの立ち上げに伴って企業内大学を作ることにもなっており、そのためのプログラム設計という今までよりも一段階レベルの高いものを作る経験は能力を伸ばすことにもなっていました。

新たなものを作り出すのは好きなので、やりがいを感じていましたし、精力的にこちらから働きかけてプロジェクトをスケジュール通りにグイグイと進めていました。

が、「これでいいんだろうか?」とふと思い始めたのでした。
その理由は通勤時間でした。
自宅から新しい研修センターまではDoor to Doorで片道最短90分。朝早く家を出て夜ちょっと遅くまで仕事をするとすぐに特急電車がなくなってしまい毎日往復で4時間かかりました。

当時私には小学校に行く前の娘がいましたが、彼女が寝ているうちに家を出て帰ってくる頃には彼女は寝ていました。そして週末はかなり疲労が溜まってしまっていて一緒に遊んであげようにもウトウトしてしまってる始末でした。

6歳前後の可愛い盛りの娘と関われるのは今この時しかないのに、なぜ自分は4時間もかけて通勤して仕事をして動いている彼女と接することができないようにしているのか?

そんなことを考えました。
そして思いました。これは自分の生き方としておかしい、と。これを続けていると絶対後悔する、と。

この思いは段々と強くなり、研修センターの立ち上がりを見極めたその後、私は辞表を出して30年勤め続けてきた会社に別れを告げました。

能力面で問題なく、意欲を持てる仕事であっても、続けてゆくことを考えた時に違和感を感じることがあります。
それは、自分が生きる上で大切にしているものを犠牲にしてないだろうか、と言うことです。それは多分、自分の「生き方」に合っていないということだと思うのです。

仕事を続ける上において、生き方に関する幾つかの問いは、
・この仕事をしていて自分らしさを発揮できているだろうか
・この仕事を続けてゆくことは自分の人生において意味があるか
・この仕事によって自分の大切な何かを犠牲にしているということはないか

などがあります。

他人からは分からない

キャリアの相談をしたり、上司としての目で人を観察すると、「この仕事を続けない方がこの人のためには良いのではないか」と思えるケースがいくつも出てきます。
でも他者から見える部分というのは実に限られていて、三つの要素の一部しかわかっていないのに相手に干渉するのは烏滸がましいものです。
なぜ見える部分は限られていると言えるでしょうか?

能力は、結果や行動で外から観察ができるので、不得意そうだなとか向いていなさそうだなと言うのは分かりますし、上司からはフィードバックもできるでしょう。
あるいは、本人ができていると思っていても周りからみると全然できていないようなことも起こりますので、本当に能力があると言えるのかは外から見た方がはっきりと分かるかもしれません。

意欲は、表情や態度から辛そうだとかやる気がなさそうだと見えることもあるかもしれませんが、本当のところは分かりません。
眉間に皺を寄せて苦しそうな表情に見えても実は本人は課題意識を持って真剣に取り組んでいるだけかもしれません。
愚痴ばかり言っていても、吐き出した後はちゃんと仕事をやり抜く人もいますので、意欲があるのかどうか本当のところはその人に聞かないとわからないですし、聞いても本当のところは言ってくれないかもしれませんね。

生き方のところなどは、他人からは絶対に理解しきれないですし、ひょっとしたら本人にもまだ定まっていないかもしれません。
生き方は意欲の源泉に近いところにあるので、意欲が続くかどうかを考えた時にそれが続かない理由として自分の生き方としてフィットしていないからだと言うのはあるかもしれません。
何だか分からないけれど本人の中にモヤモヤがあり、時間をかけてゆくうちになぜモヤモヤするのかがわかってくる、そこに生き方があるのではないでしょうか。

上司や同僚、友人から見てキツそうだな無理そうだなと感じ、本人のために良かれと思って声をかけたとしても、それはフィードバックに過ぎず、辞めるかどうか結局決める要素の半分以上は周りから見えない意欲と生き方であり、結局は本人が決めることとなるはずです。

仕事を続けることに違和感を感じたら

キャリアプランを考える時によくWill-Can-Must(Should)のベン図が出てきますね。
Will(自分がやりたいこと)Can(自分ができること)Must(自分がしなくてはならないこと)の三つの輪があり、それら三つの重なりが大きいことが望ましく、そうなるような仕事を選ぶと良いという考え方です。

辞める決断をする時の三要素は、これに似ているかもしれません。
意欲がWill、能力がCanなのはすぐわかると思います。
生き方がMustだと思うのはそれが「自分の人生において今譲りたくないもの」ということではないかなと私は考えるからです。

またキャリアプランの時のように重なりの大きさで考えるのではなく、あくまでもチェックリストとして活用し、三つのうち一つでも完全にアウトであれば会社を辞める時だと考えた方が良いかもしれません。
三つのバランスが整っていて初めて働き続けられるものであり、そうでないのに我慢して続けているとどこかで無理が出てきます。

シェアさせていただいた私の例では、能力、意欲は問題ありませんでしたが生き方のところが完全にアウトでした。だから違和感の正体がわかった時には迷いはなかったですし、誰にでも明確に説明はできましたし、誰に引き留められてもキッパリと断ることができました。

職業人生において会社を辞める、仕事を変わると言うのはとても重要な決断です。それゆえに違和感のようなものがあってもそれをかき消して我慢してしまいます。
いやいや気のせいだ早まるな…と。
しかしそうやって我慢を続けていると、自分自身が疲弊し麻痺してしまい、後で振り返った時に人生の中に空白のような期間を作ってしまうことになります。

違和感のようなものには敏感になった方が良いと思います。
そして願わくば、この三つの要素を使ったチェックで自分がまだ大丈夫かどうかが分かり、続けるか辞めるかの決断の助けになってくれたらと思います。
一回しかない人生、大事に生きるためにも。

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いたる | 外資系人事の独り言
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