「ダンサー、そして私たちは踊った」に見る、ゲイコミュニティの原風景
◾︎映画の中のゲイは「禁断」から「当たり前」の存在に
かつて、映画の題材として「ゲイ」を取り上げる時は「禁断の」という決まり文句が使われていました。
例えば1981年公開の「クルージング」。刑事であるアル・パチーノが、連続殺人事件を調べるためにゲイのレザーマンとして潜入捜査をする物語。ゲイの中でもハードコアなレザー・コミュニティを正面から描いたのは、当時としてはとても衝撃的でした。ポルノではないので、期待していたほどの直接的な性表現は少なかったものの、田舎のクローゼット高校生には十分に刺激的でした。
例えば1982年公開の「メーキング・ラブ」。既婚男性が野生的な男に出会い自分の内なるゲイ性に目覚めていくことでギクシャクしていく夫婦関係を描いた物語。レザーでも女装でもない、特異な存在ではないゲイを主役として描いたことは「クルージング」とは違った意味でインパクトが大きかったのです。高校を卒業して東京にいけば、素敵な男性とこんな出会いができるかも、と夢想したものです。
80年代後半から90年代中盤にかけては、「Mr.レディ Mr.マダム」「モーリス」「欲望の法則」「トーチソング・トリロジー」「プリシラ」「フィラデルフィア」など、様々な切り口でゲイが中心となる映画が作られ続けていきました。そんなゲイ映画が何本も公開されていくうちに、だんだんと「禁断の」というイメージは薄れていくものです。
1990年代後半になると、物語の中で「ゲイ」の描かれ方は「心優しき隣人」に変わっていきました。映画「恋愛小説家」や、TVドラマ「ウィル&グレイス」「セックス・アンド・ザ・シティ」などはその代表的な例。あまりにも「心優しき隣人」「善人」として描かれすぎるのも「腫れ物扱い」っぽくて居心地良くないよね、と思っていたのですが、どうもこれは過渡期特有のものだったようです。
2000年代も進んでいく内に、映画でもテレビドラマでも「ゲイ」は生活の中にいる当たり前の存在として描かれるようになっていきます。物語の中には、「心優しき隣人」のゲイもいれば、人生に傷ついたゲイも、根性最悪で意地悪なゲイも、はた迷惑な存在のゲイも、ジャンキーもシリアルキラーも異常者もいる。文字どおり「腫れ物扱い」されなくなったわけで、時代の変遷をリアルに見てきたおっさんゲイとしては感慨深いものがあります。
と同時に、「ゲイ」であることだけをテーマに映画を作ることは困難な時代になったのだなあとも思っています。当たり前にいる存在になってしまったら、自分のセクシュアリティに悩む、というスタンスでは物語を構築することが難しくなって当然です。「ゲイ」であることの悩みを主題にするならば時代設定をゲイが当たり前とされていなかった過去に持っていかなければ物語は成立しません。現代の物語として描くならば「ゲイ」であることの悩み以外の主題が必要になります。
カウボーイと農場で働く男たち、という一見似て見えるキャラクターのゲイ映画「ブロークバック・マウンテン」(06年公開)と「ゴッズ・オウン・カントリー」(19年公開)を比較すると、時代の流れがよく理解できるはずです。保守的な時代・地域・職業の「ブロークバック・マウンテン」と違い、現代が舞台の「ゴッズ・オウン・カントリー」では『ゲイバレしたらヤバいかも』という描かれ方はしていません。それではリアリティも物語の深みもでないからです。
そんな風に考えていましたが、世界はまだまだ広いもの。今でも「ゲイ」であることを主軸に据えて物語が成立する保守的な国もあるのです。その一つがジョージアです。
◾︎ジョージアという国が気になって仕方ない
ジョージアと言うと、コカコーラやCNNの本社があるアメリカ南東部のジョージア州を思い浮かべてしまいますが、これは違います。もともとソビエト連邦に属していて、1991年に独立した南コーカサスにある共和制国家のことです。「グルジア」という名称でしたが、2015年以降は「ジョージア」と表記するようになりました。
国としての「ジョージア」を初めて意識したのは、大相撲の力士でジョージア出身の「栃の心」の存在を知った時です。ごつくて体毛豊かで、まさにベアーな風貌でかっこいい。僕の頭にはジョージアという国名がくっきりと刻み込まれました。
次にジョージアを意識したのは昨秋のこと。ラグビーワールドカップのジョージア戦のパブリックビューイングを見に行ったら、代表選手、特にフォワードが揃いも揃って男臭くてかっこいい。中継の解説者が語っていた「ジョージアはワインとプロップ(スクラムの最前列)の輸出国と言われるほど、欧州のラグビーチームに所属しているフォワードの選手が多いんですよ」という言葉を知り、フォワード体型の男が好みな僕としては、ますますジョージアを意識せざるをえなくなったのです。ちなみに、代表選手の中で好みはプロップのレヴァン・チラチャヴァ選手です。
その後、ワイン発祥の地でも有るジョージアを描いたドキュメンタリー映画「ジョージア、ワインの生まれたところ」が公開されました。そして、なぜだか松屋が店舗&期間限定でジョージアの名物料理「シュクメルリ」を提供し始めたのです。ジュージア大使館の人たちが食べに来て大絶賛という話題は、ツイッターで一躍広まりました。あまりに反響が大きかったせいか、「シュクメルリ鍋定食」は松屋のグランドメニューとして全店で提供されるようになりました。"世界一にんにくをおいしく食べるための料理"と言われるシュクメルリは、鶏肉とにんにくとチーズが三位一体となったシチューのようなイメージで、これが実に美味いのです。
ここに来て、急に日本での知名度が上がってきたジョージアからやってきた映画が、ジョージアの伝統舞踊を学ぶゲイの青年が主役である「ダンサー、そして私たちは踊った」です。
◾︎「ダンサー、そして私たちは踊った」の魅力
ジョージアの民族舞踊”ジョージアンダンス”を踊る国立舞踊団でダンサーを目指すメラブ。その才能も努力も評価されていますが、指導者には「女っぽい! ナヨナヨするな!」と叱責されることが多い日々。というのもジョージアは伝統的にマッチョイズムが強いお国柄、男は男らしくあれ、という考えが支配的なのです。メラブの兄も同じ舞踊団に所属していますが、メラブに比べると今一つダンスに熱が入っていない様子。メラブの家は決して裕福ではなく、舞踊団の練習後のメラブは地元のレストランで給仕のアルバイトをしながら家計を支えています。過酷な毎日の中、メイン団(一軍、給料も高い)を目指して努力するメラブの前に現れたのは、地方から入団してきたイラクリ。男性的で踊りの実力もあるイラクリは、メラブにとってはメイン団の欠員補充の座を争うライバルでありながら、その眼差しの虜になってしまうのでした・・・。
という物語が、映画「ダンサー、そして私たちは踊った」の導入部。保守的な国ジョージアでは、ゲイであることは未だにご法度。「あいつはゲイだ」と噂されることだけでも「誇りが傷つけられた」と思われるほどなのです。ゲイが当たり前の存在となった国では、もはや描けない「ゲイであること」を主軸にした物語がジョージアでは成立します。
男同士が友情を超えた好意を感じ合う瞬間、そしてそこから先に進むことへの逡巡、抑えきれない激情、人目を忍んで交わす愛情と欲望。周囲にバレたら大変だと知っていながら、感情が先走って緩んでしまう警戒心。2人を取り巻く環境ゆえに起きる感情の行き違い、そして諍い。オープンな国ではないからこそ、かつて描かれた文脈に似たゲイの物語も陳腐に陥らない説得力を持ちえます。
この「ダンサー、そして私たちは踊った」の魅力は、ゲイのストーリーラインだけではありません。
キレのいい動きとスピード感に圧倒されるジョージアン・ダンスの場面は、その迫力から目が離せなくなること確実です。また、メラブが働くレストランで出されるジョージア料理「ヒンカリ」(餃子のようなもの)の美味しそうなこと。決して裕福ではない東ヨーロッパ(ないしは西アジア)の国の庶民の暮らしぶりが丹念に描写されていることも興味深いです。
舞踊団の建物の裏の壁の落書きが、どう見ても「ケモノ(擬人化された動物)」だったり、主人公の部屋の壁に「千と千尋の神隠し」のポスターが貼られていたりと、日本発のサブカルチャーのグローバル化を図らずも実感できたのは収穫でした。
ゲイ的な視点で見るなら、ゲイーがオープンではない街のゲイ・コミュニティが描かれるのも興味深いです。女装して公園で売春するゲイや知る人ぞ知る存在のゲイクラブなど、1970年代〜80年代くらいのアンダーグラウンドなゲイ文化そのもの。米国や西ヨーロッパ各国、そして日本で失われてしまったゲイ・コミュニティの原風景を見るような奇妙な懐かしさを覚えました。主役のメラブは、僕の好みのジョージア男たちとは異なる繊細でしなやかな体の持ち主で、正直、全くタイプではありません。しかし、映画の中にはいかにもジョージア野郎といった感じのゴツい男たちはたくさん出てくるので、個人的にも眼福シーンが多かったのは嬉しいところ。最低なヤツだと思っていたメラブの兄貴が、お兄ちゃんらしさを見せつける場面は感涙必至です。
クローゼットな若いゲイの悲恋物語としても、遠く離れた異国の文化を知る目的でも、そして圧倒的な迫力のジョージアン・ダンスを堪能する意味でも楽しめる映画だと感じました。
ジョージアン・ダンスの凄さを感じられる動画を見つけたので、こちらもぜひご覧になってください。
「世界でただ一人、ジョージアの民族舞踊『ジョージアンダンス』を現地で踊る日本人男性」GEORGIA arkhi ジョージアアルヒ
ダンサー、そして私たちは踊った
監督・脚本:レヴァン・アキン
出演:レヴァン・ゲルバヒアニ、バチ・ヴァリシュビリ、アナ・ジャヴァヒシュビリ 他
2019年/スウェーデン、ジョージア、フランス/113分
シネマート新宿、ヒューマントラストシネマ有楽町ほかにて上映中
※テキスト中の映画の公開年度は、日本公開年を表記しています。