日本一周北海道おすすめツーリングスポットランキング② “旅に出よう、道北の最果てまで”
日本一周・完結編。
前編と同じく、非常に読みやすく、
また、とあるライダー様からは、
「分割でも日本一周を完結させたくなった。時間が欲しい…私の立場だと1番贅沢な悩みだと思いますが…自分のペースで一周頑張ろうと思いました」と、お言葉を頂いたほど。無料部分だけでも、楽しめる内容になっているので、ぜひご覧になってくださいね(^^)
【はじめに】
僕は日本一周を、胸を張ってやったと言えます。
極端な話をすると、日本一周は凄まじい人達と出会えた。
キャンプ場、飲食店、イオンモールといった場所、また、何かのついでに出会いがありました。
出会いの基礎であり、究極の形。
それが日本一周。
日本一周の場合、旅行ツアーのようにサポートはありません。
全て自分でやらなければなりません。
立ちはだかる壁も大きいとも言えるでしょう。
しかし、その壁を越えて初めて見る事ができる、自分がまだ見ていない景色は絶対に見るべきと感じました。
旅で人は変わります。
価値観が変わります。
想像してみてください。
見てみたくないですか?
弱気な人にありがちですが、「自分は完璧じゃない」とか「旅に向いていないんじゃないか」とか考えたり、心配する必要は全く無いです。
人生という旅を野球に例えるのであれば、3割の打率を誇る優秀な打者も居れば、草野球の素人も居ます。
あなたがまだ草野球の素人レベルだとしても、あきらめてはいけない。
一日中手にマメが出来る位振りまくってたらいつか、ヒットが打てる日が来るかもしれない。
空振り三振が屈辱となり、執念になり、場外ホームランを決める日が来るかもしれない。
未完成な自分でも、本気でその打席に立つ事が
大切なのではないでしょうか。
今、人生に関して悩みが多い方は、目の前に立ちふさがる壁が多く、そして辛い境遇に居る人とも言えます。
しかし、その壁の向こう側に、人より強く手を伸ばし、壁があるから強くなろうとも思えるんだと思います。
今目の前にある壁や困難は、他の人より強くなろうと思う「キッカケ」と捉えて欲しい。
例えば「今の俺では無理だ...」とあきらめた目標があるとしましょう。
色んなタイミングで足切りされる事は勿論あります。
しかし、強気に攻めて結果に繋げる事が出来たのなら。それで自分は満足出来るのか。
納得出来るのか。
出来る訳ないですよね。
いつでも【日本一周・完結編】に立ち返ってください。
さて、今作は【東北から北海道】
二編に分けては?と言われるほど濃密な出会いがありました。
さっそく日本一周のラストスパートに参りましょう!
それは、2023年5月中旬。
野花が咲き乱れる平原、白砂に覆われた海岸。毎日、朝日が昇り、夕日が沈み、夜空には無数の星が輝いていた。
それを見て楽しみ、感謝をささげる僕がいた。
宮城県で求めていたものに出会った
それは震災遺構 仙台市荒浜地区に立ち寄った日だった。人が多く集まるここでは、日本一周の看板を掛けてると、これまた声を掛けられた。ここでは、過去と戦う人、僕のように会社を辞めて旅に出る人、さまざまだった。
そんな飲食店の店内で、家族連れの施工管理を営む方と出会った。
ハハハ、そうかそうか。私も色々あったよ、と。
僕は何社か経験しましたが、
最後の会社は本当に自分の力のなさ、
屈辱で辞めてしまったんです。
でも、まだ諦めちゃいない。
自分の可能性に諦めてはいないんです。
僕の気持ちを察してか、その方は目先を変えた質問を投げかけた。
そう質問されて、答えを探した。僕は力なく顔を上げた。その顔からいつもの明るさはすっかり掻き消され、弱々しく悲愴だった。
その方は僕の気持ちが痛いほど分かってるようだった。まるで昔の自分を見ているかのようだった。
「君にとって重要なことは、『許し』を学ぶことだ」
その声は温かさと、思いやりそのものだった。日本一周の学びを手伝いたいという気持ちがあふれていた。
それは愛に満ちた言葉だった
彼はこんな自分も受け入れてくれたのだ
僕の胸に熱いものが込み上げてきた
心の中の最も乾いていた部分が
豊かな水で潤されていくように
自然と何かがあふれてきた。
自分は完全に許されていると感じた。心は彼の言葉に共鳴していった。
2022年、会社の闇に染まっていた。
でも今は違う、人の温もりが心の底まで染み込んできた。
人の愛につつまれているのを感じた。
思えば、僕はうまくできない自分自身を拒否し続けてきた。人に比べて、うまくできない時は自分を嫌悪し、他人より劣っている自分が許せなかった。それは相手への怒りや憎むことにつながっていた。彼の言葉はそうした心の表面を覆う恐怖心の殼を突き抜け、魂を震わせた。 彼は低いトーンで、深く、優しい言葉をもって続けた。
その言葉を聞いて、涙があふれてきた。その涙は悲しさから来るものではなく、己の魂が震えているのだ。
本当に求めていたものに出会った瞬間だった。
突然、自分の中にすべてに対する感謝の気持ちが湧き上がった。前作にも綴った、身をもって生き方を教えてくれた人達。深い愛情で育ててくれた親。未熟な自分に力を与えてくれる、成功者の彼がいた。
人生に関わったすべての人
そして自分という存在
なんという幸せな瞬間なのだろう
彼はそういって手を差し出した。僕は涙を拭いてからその手を握り返した。
生まれ変わったような気持ちだった。
「さあ、ご飯を食べよう」
彼の息子も一緒にテーブルに着き、食事はとてもにぎやかで、家族を見る彼の眼差しはとても温かかった。料理が並べられ、宴は始まった。腹がギュ〜となって音を鳴らせた。
こんなに美味しいご飯は食べたことがなかった。
荒浜地区では人に対する接し方を学んでいった。
日本一周は8ヶ月目に突入。
みやぎ東日本大震災津波伝承館へきた
東日本大震災。被災地のことは報道もされなくなり、現在どんな状況になっているのかが気にもなる。そもそも、影響の無かった名古屋では、全く実感が沸いてなかった。東北に来る機会もないし、実際に被災地の人たちに話を聞いた。
津波復興祈念公園で話を聞かせてもらったシーン
仮設住宅では年配の方がほとんどで突然の訪問にも快く迎えてくれ、当時のことを話してもらえた。
ここは石巻南浜津波復興祈念公園があるところだ。
日本人として、どうしても見ておきたく、震災から11年経ってやっと機会が作れた。途中、かなり高台の羽黒山神社を途中参拝。道中アップダウンの激しい地形で海までの街並みを見れた。
地元の方は震災当時、車で1時間のところを 12時間かけて避難したらしい。その間、食事も取れず、本当に辛かったと話してくれた。
こうやって、あなたが訪ねてくれて嬉しいよ。
私たちだけだと気持ちが落ち込んでしまう。
良かったら日本一周の話を聞かせてね。
そこで元気付けられたらと思い、僕もたくさんの話をさせてもらった。名古屋から旅をして来たこと、出会った人たちのこと。
でも、なぜか話すと同時に泣きそうになっていた。
その時は分からなかった。
元気付けようとしたのに、歓迎されてることに気付いた。
こちらが元気をもらっていたのだ。
「3.11の爪痕」
失われた多くの命や生活、災害の規模、当時の状況など展示されていた。
当時の映像はどこの伝承館でも上映されるところが多い。辛いけど、それが大切な事だと思い知らされた。
ショックだった。
ここは、一面焼け野原のようだった。
東日本大震災の記憶として、この地区は津波の被害により、多くの犠牲者を出した場所。各施設をゆっくり周りながら震災に想いをはせるのも良いだろう。
そこで、地元のおじさんと出会った。
おじさんは地元の人で、被災地の現状をいろいろと話してくれた。
確かに至るところに大きな土嚢が路上にあった。
「これ、全部そうなのか…」
僕はおじさんに同行させてもらい、また走りだした。
かつてこの場所は家があった住宅街。あの日で完全に消せられた。畑になっててすごく悲しくて寂しい。辛い…
一度でも良いから行きたかった場所で、やっと行けた。
ここは、さっと見るだけなら一時間くらい。震災の記憶と教訓を伝え継ぐ施設として、石巻を訪れたら是非寄りたい場所。
印象的だったのは、おじさんの「あの時、早く逃げろと言ったのは間違いだった。一緒に逃げるべきだった」という言葉。自分だけ生き残った切なさと後悔を感じる、地元民の貴重なメッセージがそこにはあった。
おじさんは別れ際、「ありがとうな」 と言ってくれた。僕はここで「生き様」について考えるようになった。人間はいつかは死ぬ。
それはどうしようもない。
旅はそうやって想いと想いを繋いで行く。
「僕は旅をしているのではなく、旅をさせてもらっている」
おじさんの「ありがとう」を機に、
僕は旅に対する考えが変わっていった。
明日のことを思い悩む必要はない。それはまだ来ていない。そんなことより、今日に意識を向けよう。それは貴重な贈り物だからと。
1076人目の家族になった日
奇跡の一本松で佇んでいると、小原さんという男性が缶コーヒーをくれた。
小原さんは、色んな地域に行っては震災に関する施設を訪れていたが、1箇所では学びきれないと言っていた。自分はまだ震災のことを全く分かっていなかった。
実はこういった差し入れをくれる人は 1週間で1人ほどのペースでいた。もちろんとても有り難いし、嬉しかった。
ただ、この人はいつもと少し違った。
おおっ!怪しい。
すると小原さんは、それをやりだした理由を話してくれた。正直それは、とても作り話には聞こえなかった。
いきなり泊まれとは言わない、
ただ、名古屋から走って疲れただろう。
ゆっくりしてってくれや。
直感を信じることにした。
この人は、恐らく沖縄と同じパターンだ。
きっと大丈夫だと。
その規格外の数字を全く信じられなかった。
しかし、小原さんの家に着いて、それは覆された。
なんと、今までの震災写真と手紙が山ほどあったのだ。
どれも「ありがとう」のメッセージで溢れていた。
自分が生きていることの奇跡や、帰る家がある有り難さを感じずにはいられなかった。言葉を一つの資料として大切にされており、彼の放つ言葉は僕の心にストレートに突き刺さったのだった。
「だから、君は1076人目の家族だ。大していい所ではない。でも、ここが自分の家だと思ってくれたら嬉しい」
言葉を失った。
小原さんはこう言った。
たまにいる
目が似てる子が
その晩は、小原さんは、かつてここに人の生活があったことを丁寧に話をしてくれた。涙がこぼれた。津波の高さ。その高さ、考えられない。言葉が見つからなかった。
今まで泊めた旅人の笑い話や、お互いの生い立ちの話なんかで盛り上がった。
「なんなら暫くゆっくりしたら良い」
青空の下で泣いた日
結局僕は連泊させて貰うことになった。
その日は小原さんと一緒にツーリング。地元を案内してくれた。
津波がなければあの立地と風景の素晴らしさはどれだけのものかと、やり切れない気持ちになっていると、それを察して小原さんが切り出した。
「いやー、久しぶりだ。飯が美味いな。」
とにかく充実してるし、何泊でもしたかった。しかし、その気持ちを押し殺して「明日には発つ」と伝えた
「Kくん、君とは少しの間だったけど、君は本当に良い子だ。今まで 1,000人以上の旅人を見てきたけど、君の目は本当に澄んでて綺麗だ。」
「『指導』とは同じ読みで『始動』とも言える。これは自分がまず『動き始める』ってことなんだ。もし人の上に立つ時が来たらこの言葉を思い出して欲しい」
と。
小原さんに途中まで送ってもらい、ついに別れることに。
2011年3月11日に起きた、東日本大震災の津波により倒された女川交番。その後、復興が進み女川交番周辺の土地はかさ上げされたとか。
最後小原さんと握手をするとき、
押し切るかのように、、聞こえた。
「君に会えて良かった」
なにも言えなかった。
強く握った小原さんの手は大きく温かかった。
去っていく小原さんを見えなくなるまで手を降った。
僕はその後、誰もいない草原で泣いた。
もう周りなんてどうでも良かった。
前を向けないほど泣いた。
苦しみのどん底で見上げる月は
いつも以上に美しく輝いていた
まるで、自分をあざけり笑うかのように
しかし、そうではない
月がいつも以上に輝いているのは、
くじけぬように励ましてくれているからだった
空はどこまでも続く。
この大空を羽ばたこう。
僕は北海道に向かった。
【2023年5月〜9月の期間13,000km走破した】
第11章 北海道【道南】へ
2023年5月の下旬になろうとしてた。
「またここに来れたんだなぁ。」
暑すぎて眠れなかった夜もあったし、足を痛めて岩木山に登った日もあった。雨に打たれて荷物が大惨事になった日もあった。バッグの中にカレー、シャンプーをぶちまけた日もあったっけ。
そんな困難をどうにかして、不格好ながら乗り越えた時…。
いま最高に人生を「旅してんだ!!」と思える自分がいた。
今日まで全力で走り続けてきた。
その理由は、
楽しい思い出よりも何倍に、辛い日々の方が話のネタになったりするから。そして、いつの間にか毎日がワクワクの連続になっている。
これは僕が旅をするから味わえること? 旅をしていないと味わえないこと?いや違う、別に旅をしていなくたって良い。ただ、世の中の人は失敗を恐れすぎている。
起きるかわからない不安を心配しながら生きているだけ。もしその問題に直面したとしても、きっと絶対なんとかする。その時に失敗してしまうこともあるかもしれない。けれど、失敗しないと前に進むことはできない。失敗は自分の糧となる。絶対に。
そんな失敗の積み重ねが大きな成果となって
いつの日か返って来る。
これは失敗を乗り越えるたびに、ヒシヒシと感じていた。
さて、この北海道は旅人の聖地と言われていて、とにかく楽しみだった。福島で出会った日本一周ヤマトが「北海道を2周するなんて!」と言っていたが、北海道についたのは 5月下旬。さすがに朝晩は寒かった。しかし僕は、後悔なんてなかった。
北海道上陸
北海道ツーリングに行くなら断言したい。
絶対に行ったほうがいい。
人生の豊かさを一段階上に登らせてくれる体験になるから。
最初は不安な気持ちもあった。
ライダーハウス使ったことないし・・・
宿泊場所見つかるかな・・・
ガソリンスタンドが少ないらしいからガス欠が心配。気温が寒かったらどうしよう
でも行って思うことは、そんなことは考えすぎだったということです。
北海道はそんな願いを叶えてくれました。
函館ヒューマンヒストリー
いきなりフェリー乗り場で声を掛けられた。
爽やかな田山さんのおかげで、清々しい北海道が始まった。
北海道を楽しむ実感がわいて来た。
残念ながらその後、田山さんに再会する事は無かったけど···
ライダーハウス苫小牧の「タコちゃん」
こ、ここかな?
ちがうかな?
オーナーたこちゃんにこう言われる
お疲れさま!
駐車場にバイク入れなよー!
たこちゃんは、ツイッターでアスファルトで寝るなどの動向をチェックされてたようで、
「うちの庭ならタダでええぞ!」など言ってくれたり、「北海道」と「バイク」の共通点もあるおかげで、打ち解けたフォロワーさんでもある。
夜になると座談会になった
話題はやはり日本一周とバイク
ついさっき知り合ったばかりなのに….
おー!わははは!
旅人の世界は面白いなぁ
ボクは感心すると同時にまったく新しい世界に
飛び込んだ実感をしみじみ噛みしめていた
宴会もお開きになり大部屋のザコ寝へ。初めてのライダーハウスは実に面白かった。
走ってこそのライダーハウス
またひとつ経験値が上がったけど、
ちょっとさみしい
Kくーん
ライダーハウスで荷造りをしていたらタコちゃんに呼ばれた
さっそく出発するが、このとき失態を犯していた。なんとスマホが充電されていなかった。まぁなんとかなると、勘でやろうとする僕がいた。
さっそく迷う
うーむ、まあこっちからでも行けるよね
あーさっきのトコ左だったのか。ちょっとくらい遠まわりしてもいいか。
あれ?今のトコ曲がるんだったかな?まあいいや。
などと、繰り返していると...
まさかのアクシデント
パンクした。。
通りがかりのお爺さんにバイク屋があるか聞いてみた。
大丈夫!5分くらい行った先にあるよ!
よかった、商店のお爺ちゃんにお礼を言って立ち去ろうとすると
「ごめん。やっぱ先長いからこれでも飲んでって!」
えっ?近いんじゃ・・・
バイク押していくのよね?忘れてた!
1時間はかかるんじゃったわい
マジか、ひたすらバイクを押す
北海道らしい直線が精神的にこたえるとライダーが声をかけてくれた
恥ずかしながらただのパンクであると説明
やさしい人だ
そう思っていると...次なるどうしたの?
次から次へと声をかけられる
お!また
直そうとしてくれたものの失敗に終ったが、中には自分の車載工具を取り出しす人まで現れたり。
そして、ドルルルルララァ!!
イカついハーレー軍団に囲まれる
そして、1時間ほど進むもバイク屋にはたどり着けず。これはヤバいぞ・・・・
なんとかバイク屋に到達
すると、いきなり大声で叫ばれた。
おつかれー!!
よくここまで来た!
いよっ!気合いのパンクマン!!
なんでみんなが知ってるん?
バイクを押してた1時間の間に声をかけてくれたライダーは7人だ
雪月花廊というライダーハウスに泊まる
その後、羊蹄山に登りたいというツイートをすると、
日本はドコが一番良かった?と聞いてみた
そして羊蹄山トレッキング
しかしながら、カズにめちゃくちゃ煽られる。
Kさん思ったより登るの遅くない?
僕が本気出したら絶対ついてこれないですよ!
なんだってーーーー!?
カチンと来た!
(言ったな?その言葉、必ず後悔させてやるからな!!)
と言わんばかりに登りまくる!
それでも、カズの体力は半端じゃなかった。正直今となっても勝てるか?とは思うが、僕なら勝ちに行くだろう。そんな男がKだとお見知りを頂ければ幸いだ。
他の登山者に頂上へ、お互いの無事を賞賛。
左の人、60超えてトレッキングランやる変態だった。下りでバトルして勝ったw
頂上では、ガスっており眺望は望めなかったけど、一瞬ガスが引いた際、麓が見えた。
下山後、17時頃には頂上のガスはなくなっているようで。。しかし、ふもとから眺める羊蹄山はまさに蝦夷富士だった。
第12章 東北ねぶた祭りへ
2023年7月下旬になっていた。
ねぶた祭りが8/2に控えており、日本一周ライダーはみんな行く!と話題になっていた。もちろん、僕もその一人だった。
北海道の洞爺湖を経て、函館へたどり着き
再度青森を目指す
テント村内は基本的に自転車の旅人・バイクの旅人・ヒッチハイクの旅人・有名ライダーハウスのチーム・・・
など、旅のスタイルごとに自然とコミュニティが形成されていた。
近所のスーパーで、ねぶたで使う足袋と草履、衣装を購入。お祭りの期間中は、どこでもねぶたの衣装が売っていた。
「跳ねて落ちた鈴を拾うと厄祓いになる、いい事がある」といわれているらしく、沿道で見ている観客は、跳人の落とす鈴を欲しがるのだとか。
ミーティング&出陣式
通常は主に地元の既存企業など参加する団体が定められているところ、一般参加を受け入れてくれる企業があるおかげで全国にねぶた祭りの虜になる旅人が絶えません。
家族で毎年この板金のハネトとして参加しに来るという
常連も旅人村にはたくさん!
名物バイクパレード&自転車のお見送り
先にスタートした自転車組が、中間地点の橋の上で自転車を掲げてお見送りしてくれるというのが伝統のようで、ねぶた期間中この移動時間になると交通整理も入ってくれます。胸が熱くなる、ワクワクする光景でした!
この日はハネトの熱い盛り上がりを団体ごとに審査される日らしく、全員正装として頭に花笠を被り暑くて暑くてたまらない中なんとか外に逃げることもなく2時間跳ね終わりました。
ねぶた祭りは20以上の企業や学校、団体が参加していて、
毎年審査でねぶたに順位がつき、
上位のねぶたは最終日に船の上に乗せて海上運行。
なんて大規模なお祭りなんだ・・・
バイクに戻る頃には足が棒でした・・・
乗って帰るのもしんどかったです。
祭り最終日
屋台もたくさん出ていて、これだけで地方の大きな花火大会と規模も同じ。
これが長い長いお祭りの最後の演出に過ぎないだなんて、お祭りにかける熱意がはんぱない!!
海上に浮かんでいるねぶたと花火の共演は大迫力でした。
テント村に戻ると最後の宴会です。
明日は午前中のうちに撤収し、
このサマーキャンプ場は閉鎖となります。なんだか寂しいね。
期間限定サマーキャンプ場閉鎖の日。
続々と仲間たちが出発していきます。
僕はこのまま青森港から北海道函館へと渡るべく予約をしていたのですが、同じようにこの後北海道へ渡る旅人が多く、フェリーは見知ったバイクと顔だらけでした。
【真の祭りはここから】
このとき京都の日本一周配達員のマリオさんと意気投合していた。そして、マリオさんのお連れさんがこんなことを口にした。
僕たちはそんな流れで、ナンパを始めていた。女性は全然とまってくれない。そもそも、声掛けるのは一人でもハードルが高い。それなのに今回は三人もいるので、本当に止まってくれるのは稀だ。
あなたは見知らぬ人に声掛けたことがあるだろうか?ナンパは人生で一度はやってみてもいいことだ。なぜなら、 100パーセント相手次第だからだ。人を頼ること、人にお世話になること、人に頭を下げること、それは人生を生きる上でとても重要なスキルだ。
一見楽しそうに見えるナンパだが、
実際はプライドを捨てないとできないことでもある。
これを学べたことは今後どんな場面でも活きてくる。またナンパをすると、本当に多くの出会いに恵まれる。そんな新たな出会いは非常に楽しかった。そして、何より三人の絆が深まったことも良かった。
おかげで良い仲間となり、旅が終わった今でもハロウィンパーティをするほどの仲になりました。
ここ3年、ねぶた祭は開催されていません。
人々が密集し熱気に包まれるこの会場の様子、今では信じられない光景でしょう。
第13章 北海道【道北】
再び北海道へ。今シーズン2回目となる。
下船まで、少し横になり目を閉じた。
間近になり、館内放送で目が覚める。
危なっ、寝過ごすところだった。
フェリーは函館湾に入り、間もなく着岸。
ねぶた祭りで仲良くなったマリオさん達。
再び、北海道にバイクで来れた。
国道5号を進み、長万部からは高速利用時と同じルートを進む。 所要時間は約4時間35分。 途中、国道229号は雷電海岸と呼ばれる日本海に沿って走るルートで、断崖絶壁の荒々しい海岸線が続いていく様子を眺めながら快適なシーサードドライブを楽しみ、小樽に到着した。
稚内市のライダーハウスみどり湯
ライダーハウスみどり湯に到着すると、あれ?見たことあるバイクが!日本一周のフォロワーさん!
そして、みどり湯でチェックインを済ました。
飲食はあっちね。自炊も出来るよ
お世話になります
そのうち半分がリピーターだった。みんなオジサン。
今までのライダーハウスとは違う空気だ
最北端だからかな?
YouTuberが来ることもあるらしい・・・・
笑ってまったw
さらに
おもしろっw
ボクにとって最北端は非現実すぎて、
どこか、おとぎ話の世界を旅しているような気分だったが、
このオジさんの存在はリアルそのものだった
北海道が楽しくなってきた
そんなことをしてると、
おお!ライダーハウスで食べ物まで頂いてしまった。
日本最北端・宗谷岬へ
翌日、宗谷岬を目指して出発した。
なんかのイベントかな?
楽しそうだ寄っていこう
様子を見に行ってみると・・・宗谷岬!!
間宮林蔵の像、日本最北端の地。
通りすぎちゃったよ、、なんという岬感の無さ!
ただのカーブ?
宗谷岬は、そのあっけなさから北海道「三大がっかり名所」のひとつとして数えられることがあるんだとか。でも、僕は普通に感動した。
宗谷岬に到着
日本最北端の地にようやく到着。
大事なのはプロセスじゃない。結果だ。
ついにたどり着いたぞ
少し登って
今回も名前を聞きそびれた・・・
次に会ったら聞こう
またどこかで会うだろうと思い、気軽に別れたのが最後、
その方に会う事はなかった。
宗谷岬 2023年8月の出来事だった。
第14章 北海道【道東】
命さえあれば網走
網走〜屈斜路湖を走ってるともの凄い破裂音が聞こえてきた。慌ててバイクを降りて確認すると、タイヤに鉄の破片が突き刺さってバーストしてしまった、、
しかも、ここは圏外。マンガのように、旅がジ・エンドになって見えた。一生忘れられないほどの焦り。
「僕の旅は、ここで終わりか…」
慌てて付近を走ってみたけれど、そこは圏外の山奥。こんな中で見つかるわけのないバイク屋。
さあ、どうする、、、
一瞬でも道路状況に油断してしまった自分が情けなくて、悔しくて、もう、涙も出ないほどに落ち込みました。これでもう終了なのか、、とも考えました。
でも、しょげている場合じゃない
とりあえず、バイク屋に行かなきゃどうにもならない
僕は前日に宿泊していたキャンプ場に向かうことにした。3時間も山奥を歩いてキャンプ場に到着。凹んだままキャンプ場についた僕を迎えてくれたのは、なんと、旅の途中で出逢った旅人たちでした。
彼らとの再会は偶然でしたが、温かい言葉をかけてもらい、状況と気持ちを分かってくれる人たちがいてホッとしました。
仲間たちから差し伸べられた手は、僕の心を慰め励ましてくれたのです。本当に心配して助けてくれました。
レッカー手配までやってくれたり、手伝ってくれた売店のおじさん。
「大変でしたね」って言ってくれたバイク屋の人
思わず、「はい、大変だったんです!」と言ってしまったのですが、斜里のバイク店主の何気ない一言も、温かかったなと思います。
「なるべく早く修理できるようにしますね」という言葉、
どれだけ頼もしく感じたことか知れません。
そういうすべての状況が温かくて、人が優しくて。その時、ふと思ったんです。
身一つになっても、失わないもの圏外のスマホも、壊れたバイクも、あんなに出発前に名古屋で準備して持ってきた物は、たった一度の出来事でダメになってしまった。でも、身一つになっても失わないものがありました。
それは、当たり前のようにそこにいた旅人、仲間、
周りにいる人たちとの繋がりでした。
みんな温かい。とにかく温かい。特に仲間には心配をかけて、温かさを感じる反面、申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、一人じゃないんだ。心配してくれている。愛されている、そう感じました。
諦めるより、旅を続ける僕がいた。
知床の未亡人
知床羅臼の海辺にある相泊温泉と、瀬石温泉を満喫しにきた。
他にも利用者さんがいて挨拶する。
風呂を出てから、海辺で話を聞いてみる。
自分が経験することで、リアルに気持ちわかるので、正直なんと言葉をかけていいのやら。寄り添いで聞くことにした。すると、よくよく話をしていたら、亡くなった主人の写真なの・・・と。そこから、その人は旦那様より好きな人はあれから現れることなく、
そして、「だからね、早く天国に行きたいの」と。
今まで死別を経験しなかった自分だったら、
「天国に行きたいの、なんて言わないでくださいよ」
と言ってたかもしれない
けど「わかるな、僕も一緒だな」と思って聞いた。
なんとも微笑ましい話だろう。僕も家族に会いたいなって思うことはあったけれど、天国に行ったらのことは考えもしなかった。それと、ひたすらもう死にたいって思った時にふと思ったのは「自殺したら天国では会えないな」と思ったりもしたけど、
僕が天国に行ったとき、家族はどんな反応をするのか?
考えたことはなかった。
気が付いてもらえなかったらショックだな。死別を経験した話は意外にもたくさん聞く機会があった。聞けば聞くほど、捉え方はいろいろ。
いろんな考えがあるだろうけど、他が何をしていけない。とか、どう生きるか。それは他の人が決めるべきことではない。その人の幸せはその人自身が決めること。
近くにいた人ならば、あの時こうすればよかったのかな?とか、そんなことも考えられない位に悲しい気持ちの真っ只中だったり、それを話すってすごくエネルギーがいる。そして、死因、亡くなる数日前の話とかって、その聞かれた人はその状況を思い出す。
答えながら泣いてるってそういうことなんですよね。話終えた後も、しばらくはそのことを忘れることができませんでした。
根室で自分の過去について話した
日本最先端まで行ってみたい。ライダーは誰もがそう思う。灯台やモニュメントがあったりして観光地化されている場所もあれば、バイクを置いて自分の脚でないと行けないところも。天気がよければもちろん絶景。というかひたすら海と水平線。
ついに本土最東端、納沙布岬灯台!日本で一番はやく日が昇る場所。夏至も近かったから日の出時間もはやかったんだろう。着いたのは真っ昼間だった。
なんか、「返せ!」とか「返還の祈り」とかものものしいが、ライダーとしては「最東端にきた!」ってテンション。
そこから根室駅でふらふらしてると、美味そうな居酒屋があったので入店する。
隣にいた若者に話しかけられる。
そこからこれまでの、ブラック企業の前の職場について話すことになった。
上司も誰も僕がやった改善に気がつかなかった。
彼らは表面的な部分にしか興味がなかった。
物凄い悔しくて、逆に執念や野望に変わったのを覚えてる。
でも唯一、僕が可愛がっていた後輩がこれらを見てくれていた。
誰もが気がつかず、誰にも触れられることもなかった僕の過程を認てくれてた瞬間。
と感動した。
彼とは職場は別々の場所になってしまい、疎遠になってしまったけど、僕はこの時の彼の言ってくれた言葉を思い出すだけで涙が出そうになった。
本当に自分が信念を持ってやってきた事を認められて救われた。そう実感する瞬間だった。
これを若者に話すと、
根室の彼には、またどこかで会いに行かなければならない。確かに、前の職場は人間関係は最高だった。もう戻ることは不可能だけど、死ぬ気で頑張った自分は確かにいる。
第15章 北海道【道央】
旭川の経営者「仕事で成功したい?人生で成功したい?」
この人はとにかく凄かった。
スーパーカーである、マクラーレンを乗ってて、そのまま、近くの旭川ラーメン屋に一緒に入ることになった。
彼に僕はこんな事を言ってしまった
彼は僕の言葉を微笑みながらじっと聞いていた。
そして、一呼吸置いてこう尋ねた
あなたはビジネスで成功したいの?
それとも人生で成功したいの?
思ってもみない質問に、深く考える余裕はなかった。
答えを聞いてその男はニコニコしながら何も言わずに何度かうなずいた。頭が良さそうだ。色んな事を話し、このころにはすっかり打ち解けた雰囲気になった。
話が一息ついたころ、彼が質問した
何か答えようと思っても、頭の中はかき回されたようになって声が出ない。
何かとんでもなく高い次元のエネルギーを浴びた気分だ。そして人生のずっと先が一瞬見えたように感じた。僕はこの後、彼から成功者の教えを受けるたびに、この感覚を感じるようになる。僕の反応を確かめながら彼は続ける。
簡単なんて、さらりと言えることが凄いと思った。自分は仕事で悩んできたのに。
でもね、ビジネスは人生の成功の中のひとつにすぎない。
例を挙げて説明してくれた。
まさに今の自分はバランスが崩れている。そうか、バランスが崩れているから、あのとき仕事も成功しなかったのかもしれない。
彼はもうひとつ重要なことを話してくれた。
僕があまりに真剣なので笑われた。それから真剣な雰囲気を作り出すために少し声を潜めた。
僕はメモを取っていない自分に気がついた。メモを取るようにと教えてくれたのだろうか。
そう言ってもらえて少しほっとする。
素直さに自信があると言ってしまったが、かなり格好つけだと思うし、知らないと言えなくて知ったかぶりもよくする。今だって素直に教えてくれたというのに、とても勇気が必要だった。なんだか自分のすべてを見透かされている気がした。
突然の質問にはっとした。意識が目の前に集中する。
まったく違うものの見方を教わっていることに気がついた。相手の立場に立ったものの考え方だった。
今まで相手の立場に立って考えていなかったことに気づいた。
そして、僕はますます自分がメモも取らずに話を聞いていることが恥ずかしくなった。こんな役立つ教えを記録していないなんてもったいない。
僕はすっかり感心してしまった。
こんな考え方をしている人は周りにいなかった。
少なくとも、今まではひとりもいなかった。
旭川で人生について学ぶ姿勢ができた。
帯広での出会い
北海道は旅人の聖地と呼ばれるだけあって、本当に旅人とよく出会った。
本当にさまざまだ。数多くの旅人と出会った中で、旅が終わった今でもずっと関係が続いて行く 2人の旅人と出会った。
2人とも人間らしさが滲み出ていて、
それぞれが自分のやりたいことを持っていた。
特にマモルさんはリゾバをしていて、北海道でもいろんなところで働いていた。 僕と澤田さんもお互いに触発されるようにやりたいことを語り合っていた。
もしかするとあなたは「私と同じような人なんていないだろうな」 と思っているかもしれない。しかし、僕は旅をしていて確信した。
ただ、そんな人たちと出会うためには、やはり決断をしなければならないし、覚悟を決める必要がある。けれど出会ってしまえば、最高の仲間ができるし、その存在は自分への刺激にもなるのだ。僕はそのことを2人から学ばせてもらった。
また僕は、この頃から旅の後のことを少しずつ考えるようになっていた。
「僕が旅が終わってやりたいことってなんだろう?」 このまま世界に飛び出すか?とも思ったりしたけど、なぜかそういう気にはなれなかった。そのような自分を想像できなかった。「僕も夢中になれる仕事見つけたい」 そんなことを思うようになっていた。
札幌で言われた明日死ぬとしたら何をやる?
札幌の大倉山ジャンプ競技場へきていた。
「こんな所で失敗したら死んでしまうな、、」
そこで出会った旅人とそんな世間話をしていた。
旅人の彼は、いままで悩んだことをノートに書く習慣があらと言う。そして悩んだことをいろんな人に相談し、そのアドバイスを「人生のコツ」として「手帳」にまとめていたんです。
「1000回、心を込めてやると運ばれちゃうよ」この言葉を実行してみようよ、と。
そうか、ならこれから1000回、毎日人生について考えてみよう。僕はそう決め、ツイッターでもそれを書き始めました。歩きながら彼と話してると、こんな問いをされる。
「半年後に死ぬとしたら、なにをしますか?」
「1ヵ月後に死ぬとしたら、なにをしますか?」
「明日死ぬとしたら、なにをしますか?」
僕は、この答えを真剣に考え、アプリのメモに書き出してみた。
これに対してこう書いた。
明日死ぬとしたら父にメモを渡す。それが自分の答えだった。
「半年後に死ぬとしたらなにをしますか?」
「明日死ぬとしたら、なにをしますか?」
この問いが、僕の価値観を変えた瞬間です。あなたも同じ質問を自分にしてみてください。
そう宣告されたら、あなたはなにをしますか?
いまの会社をやめますか?
続けますか?
いまやっていることで、そのまま続けるものはなんですか?
逆に、やめるものはなんですか?
では、明日死ぬとしたら、なにをしますか。
最終章【日本一周ラストスパート】
北海道も2周目に突入し、僕は北海道の中でも特に美しい富良野へ到着した。
富良野とライダーハウス丘の館
そして鈴さんという日本一周ライダーと出会った。
お兄さん、旅してるの?
俺もバイクで日本を旅してるんだよー!
日本一周の鈴さんというその方は「富良野に良いスポットがあるから、ぜひ寄って行ってね!」 と 教えてくれた。
ここには何もない。その代わりに本当に雄大な大自然がそこにはあった。鈴さんは僕を温かく迎え入れてくれて、仲間を紹介してくれた。6人。すごく賑やか。ここでは「仲間」の温かさを感じさせてもらった。自然の中で生活してる人たちは総じて楽しそうだ。この旅の中で僕はお金があっても、不機嫌そうな人たちもたくさん見て来た。
きっと、それは旅とはまた別の充実感を感じていたからだろう。僕は自分の中の指針が変わって来ていること、鈴さんを見て感じていた。そのまま鈴さんと交流させてもらい、僕は富良野を後にした。帰り際の「また会おうね ーーーー!」 という言葉が嬉しかった。
ライダーハウス苫小牧のイカちゃん
3ヶ月前にきた初めてのライダーハウス。
やたら懐かしく感じる…
帰ってきたな
このとき所持金は5万円を切った。
帰りの船賃とおみやげ代を考えるとギリギリだ。
全部下道で帰るならもうちょっと道内にいられるかも…
そこまでして北海道に残りたい?
車検があと1週間で切れる
残りたい…..秘境とか行ってない所ある!
でも、どっちにしろ全部は見きれないだろうなぁ...
北海道がとてつもなく広いことだけは分かった
1度や2度来たくらいじゃ北海道は回り尽くせない
今回は1回目の北海道という事でまた改めて来るって考え方もあるな...
ちょっと泣きそうになった
でも、一区切りついた気分だった
帰ろう、名古屋に
タコちゃんがこう言う
ラスト北海道を噛みしめるように
ゆっくりと苫小牧ターミナル港を目指す。
すると、フェリーで本州から来たライダーと話をすタイミングがあった。
【さらば北の大地よ】
すべての根底にある「自信」について
良く「根拠が無くても、自信をもって行動する事が大切」といった話を聞きます。
実際その通りで、「自信」は本当に大切。
旅を始めとする対人コミュニケーションの根底に、常に存在していた。
自信を付けるには、自ら設定した壁を越えるのが最良です。
今の自分で超えられるか分からない高い壁を設定してみる。それに挑んでみる。
例え失敗したとしても、結果をしっかりと振り返る。
振り返りは、成長には欠かせません。
そして成功した時も、どのような「過程」を経て辿り着いたものなのかを確認する。反復する。
この壁を越え続ける繰り返しが、より強固な自信を創り上げます。
これが俗にいう「ルーティン」という名前に落とし込めれば、さらに先に進める。
良くツーリングの際に「自信どうやって付けるんですか?」と質問をされます。
前述した通り、「自信を付ける」という事は日本一周では特に大きい要素でもあるから、しっかり掘り下げて理解をする必要性があります。
自分の事をしっかりと認める、自己肯定が出来るようになるまでの道のりは長いです。
この長い過程の途中で、挫折もや自分を見失う事もあったり、さらなる高みを目指して普通の人が手を伸ばさない所まで手を伸ばした時、心が折れる事はあります。
ぜひ、折れない自信を付けましょう。
【日本一周に挑む心構え】
長期間の旅に挑むときは、まるでオリンピックの選手のようなイメージです。
上記は一例ですが、自分に「あえて」プレッシャーをかけます。
極限まで追い詰められて、考えて、考え抜く。
だからこそ、自分自身見つめ直すキッカケにも、日本一周に対して「本気」になれる時でもあります。
そして、そこから新たな気づきが多くあります。
一旦話が逸れますが、僕が思う最高の旅の学習法は「自分の行動」を基に考え、学習し、成長する方法です。「行動」がベースにあります。
行動から刺激されて自問自答して、そして成長出来る。
だから、このような人生の決戦に挑まない手はない。そう考えています。
そして、同時に自分をさらけ出し、他の人に見て貰う事も必要かな、と思います。
要するに、日本一周を宣言し報告をする事。
こういった判断は、第三者にして貰う方が刺激になります。
自分がやってる事に自信付けたいなら、時には日本一周と言う形で見せてもいいんじゃないかと個人的には思ってます。
もちろん、自分も完璧ではないので良い時、失敗する時はあります。
飛躍的な成長につながる。だから、僕は日本一周という決戦に挑む。
自分自身の行動から成長を実感し、自信を持つようになれば、自然と回りの人間が増えます。これで正しかったんだと実感出来る日が来るんだと思います。ただ、そこに辿り着くには挑戦して行かないと。自分が自分らしく居られないと思うから。
だから自分もやる理由がある。
諦める理由がない。
そんな言葉を掛けて貰えてやらない理由があるのか。
人の生など短い。
今を全力で走り抜けて行く。
これが日本一周の理由だったりしたのです。
「日本一周は、簡単ではない。」
その通りです。
しかし、容易くないから、夢を大きく描こうと、力強く手を伸ばそうとする。
そして理想は現実になるんだと。
夢や理想は、それを乗り越える達成感を味あわせてくれる。
「こんな自分でも」と経験と自信がつき、その壁を乗り越えることが出来ます。
どんな時・状況でも考えだけは前向きに保つ。「自分は絶対負けない」と心を決めて身支度をする。
それを教えてくれたのが僕の中で旅だったりしました。
ではあなたにとって、旅とはなんでしょうか。
1年間、約50,000キロ走って来れたのには理由があります。
その過程は楽な道でもなくて、、
何度も失敗して
何度も挫折をして
何度も心が折れて
何度も涙を流して
何度も諦めそうになって
何度も辞めそうになっても
そこからの執念、野望だけで自分の足で、
しっかりと歩いて来たからなのです。
ここまで読んでくれた皆さんに僕が強く言いたいのは、何も出来ないのは、あなただけじゃないと言うこと。
僕も同じ所から這い上がった人間、同じなんです。
だからこれからちょっとした事で折れる必要はありません。
日本一周の経験者として言うので、心でどうぞ聞いてやってください。
挫折しそうになったら僕の全てを書いたこの書籍で是非振り返ってください。
あなたの今後の糧になるよう、力の限りを振り絞って書かせて頂きました。
僕がバイクを降りても、僕がツイッターを離れたとしても、僕の意志が本作品として残れば何よりです。
僕はあなたのそばにいて、いつもあなたを応援しています。
是非、これからも諦めずに歩いていきましょう。
いつの日か、リアルなあなたとお会いできる日を心より楽しみにしています。
追いかけるカモメたち
苦しみのどん底で見上げる月はいつも輝いていた。
まるで、自分をあざけり笑うかのように。
しかし、そうではない。
月がいつも以上に輝くのは、
くじけぬようにと励ましてくれてるからだった。
Special thanks!
2022年8月20日 日本一周発
2023年8月31日 日本一周完
K@日本一周ブロガー
おまけ
【番外編】北海道について
せっかく北海道に行くのだから、少なくとも一週間以上は滞在したいところです。それでも全然足らないと思いますが・・・。
面積は日本の国土全体の約22%と広大。
もし連休などで一周しようとしたら、1日400km、1週間ほど走行すれば数字上は可能ではあります。
ですが、北海道を一周した事実だけが欲しいならそれでいいと思いますが、単に一周なら北海道を満喫できません。
海岸線のみを走っていても飽きますし、内陸にたくさん魅力的なスポットや道があります。
なので、もし北海道を隅から隅まで周るとなると一週間では到底不可能です。
僕が2023年北海道を周った時は
滞在期間60日間超
総走行距離13,000km
(雨でほとんど走れなかった日もあり、1日平均200km)
百名山を含め、ほぼ全てのスポットは周りましたが、僕と同じスケジュールをやるなら最低1ヶ月半、かなりの体力が要ると思われます。
観光しながら長めの距離を走る日もあれば、ゆっくりと野宿をするために夕方にはキャンプ場などに入って、まったりする日もありました。なのでツーリングだけを目的とせずに他のことも楽しんでいると、走行距離は200〜300kmくらいになるんじゃないかと思います。
そんなこんなで、北海道を回るのは時間が足りなくなってしまいがちなので、時間が取れないようであれば、一度に全体を回ろうとするのではなく、数回に分けて何年かかけて訪れるのも一つの方法だと思います。20年間、毎年夏に北海道に来ているというライダーもいました。
北海道は無料キャンプ場がとても多い
そしてめちゃくちゃ安い!
なんなら、無料のキャンプ場がたくさんあります。
無料なのにゴミ捨てオッケー、芝生ふかふか、トイレもきれいなキャンプ場もあります。ちょー快適なんです。めちゃくちゃありがたい。
ただし、人里はなれたキャンプ場では、管理人もいなく、他の宿泊客もいなくて、濃霧がたちこめた状態。そしてクマ注意の看板があった場所での野宿はさすがに諦めたことがあります。
北海道のライダーハウス
連日、常にキャンプだとさすがに疲れてくるので、たまには屋根付きの部屋で寝て体力を回復させるのがいいです。
安く泊まれるライダーハウスは費用削減にもなります。
また、同じように旅をしている人が多くいるので、情報交換したり交流しやすい場所でもあります。(利用者はほとんどバイク乗りと、たまにサイクリスト)
ライダーハウスのオーナーさんはもちろん色々な情報をもっているので、とても頼りになりますしね。
公民館の一室を解放してくれている無料の場所なんかもあります。
基本的に素泊まりで、一泊2000円以下で泊まれます。
あまりに居心地が良くて、そのライダーハウスに長期間滞在しているような人も。俗に言う「沈没者」
また、中にはオーナーさんが繁忙期の農家などでのアルバイトを斡旋していて、稼ぎながら旅をしていて長期滞在しているような人も。仲良くなった人とは一緒にご飯に行ったり、オススメ。
北海道は無料の温泉だらけ
実際に、いくつか利用してみました。
基本的に湯船があるだけで、そこに浸かるという感じです。石鹸で体を洗ったりはできない(排水設備がない)場所がほとんどなので、毎日無料温泉を渡り歩くのは厳しいかも。でも、最高の体験。
オススメは道東と道北エリア
道北エリアのおすすめ
オロロンライン
クッチャロ湖〈湖畔がサイトで、温泉も最高の立地〉
宗谷岬 〈日本最北端の岬、一度は訪れたい〉
旭山動物園 〈行動展示で有名な動物園、本当に活発に動く動物たちが楽しい〉
道央エリアのおすすめ
美瑛の丘〈うねる地面一帯の曲線が本当に美しい〉
北の国からロケ地 〈北の国からファンなら行きたい〉
襟裳岬(えりもみさき) 〈天然のアザラシが見れる〉
ナイタイ高原 〈一面緑の高原に牧場あり、眺めが最高〉
札幌観光 〈都市としての面、歴史的建造物、歓楽街などがギュッと詰まっていて面白い。札幌味噌ラーメンがうまい〉
道東エリアのおすすめ
開陽台 〈見渡す限りの平原。どこまでも続く直線〉
摩周湖 〈霧の摩周湖と言われるが、そんな事でもないよう。〉
知床横断道路 〈北海道で峠道と言えばここ。ワインディンが楽しく景色もいい〉
さくらの滝 〈サクラマスが遡上する姿が頼もしく面白い。(6月上旬〜8月下旬)〉
道南エリアのおすすめ
函館観光 〈近代建築物。朝市で海の幸を堪能〉
小樽運河 〈運河がのどかな雰囲気〉
ニセコパノラマライン 〈程よいワインディングロードで山の中を走っている感じ。リゾート地っぽい雰囲気もチラホラ〉
寿司、海鮮【小樽、北海道各地】
ジンギスカン【札幌、帯広、北海道各地】
豚丼【帯広】
豚サガリ【富良野】
サンマ丼【根室(鈴木食堂)】
旭川醤油ラーメン【旭川】
札幌味噌ラーメン【札幌】
函館塩ラーメン【函館】
イカ刺し【函館】
ハンバーガー【函館(ラッキーピエロ)】
乳製品【北海道各地】
ビール【札幌(夏に国内最大のビアガーデン)】
メロン【富良野、夕張】
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