三島由紀夫 讃
私は夜の住人ではありますが、赫奕たる光源である三島由紀夫については言葉をつくして花をわたしたいと思います。いわば、夜からの太陽の讃歌。まことめずらしき、まこと陋劣たるやもしれぬ花束かもしれませんが、どうぞお受け取りください。
……
「文学」が「修身」であった時代の、最終の花であった。いわば、時ならぬ時の人であった。稀人は地上に花を残し、また天に消えてゆく。大地と時の基準となる中心、文化における太陽という天体であった。暗き時代の唯一の光であった。その燦爛たる輝きは、夜に生きるわれらにはもはや眩しい。だが、三島由紀夫を新たに読む、あるいは読み返すことによって、そのことばのみやびな精華、大河たる歴史と精神と肉体の豊饒に触れることで、必ずや人類は生き返ることができるであろう。あまりの射光の眩しさに、われわれは直視に100年の時を要した。けだし長すぎる直射は見る者の目を焼く。時の神は、そろそろかの人に降り積もった苔と埃を払い、また白日のもとにわたしてもよいのではなかろうか。清らかな、またたきの永遠に生きた詩を。おそろしい夜でさえ、その精髄から発せらるるぬくもりのに慟哭するやもしれぬ。烈々たる行動と、美の華とは再び結ばれ、午睡のまどろみに無くした記憶は甦る。
さて、太陽が昇る時を待ちつつ、私は夜に帰ります。