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3年、5年、8年の外国かぶれバロメーター

Vol.121

もう20年前にもなるのだが、私の友人でアメリカ在住8年という人がいた。
彼女は中学生時代にアメリカに渡り、高校、大学を卒業して日本に戻ってきた。
滞在は合計で8年だったという。
その頃の私はまだ日本在住時代だったので、海外暮らしの経験すらない。
ただひたすらに観光としてのイタリアに赴くのみという時代だった。

そんな彼女との会話をふとしたことで思い出し、私の心に今でも生かされているので記載しておきたい。


“外国かぶれ” とはどんな症状なのか。

Wikipediaで見ると、外国かぶれというか”西洋かぶれ”という言葉で検索できる。

自身の所属する文化より西洋文化を良しとして、振る舞いや服装などを西洋文化のそれに似せること、あるいはそのように振る舞う人物を指す蔑称。類義語に外国かぶれ(英語版)がある。

wikipedia

なりるほど。基本的には”西洋”を指すことであって、外国という全般ではないらしい。
まぁ、今の時代になると、それぞれの国を指すようなかぶれもあるだろう。

服装はさておき、確かに自身の所属する文化(日本)より西洋文化を良しとする振る舞いというのは習慣もあるだろう。その習慣は朝起きて、歯を磨いて、仕事に出かけとかそういう行動規範も含めるとし、その間、外国の環境化で培われる思想もその一つであるといえよう。

いつから外国かぶれなのか?

タイトルの数字、3年、5年、8年という数字がポイントだ。
アメリカにいた彼女の言葉がずっと印象に残っており、海外暮らしが10年を流石に超えた私においても、時々自分を見返すバロメーターとして思い起こされる。

「外国暮らし3年以下で日本に帰る場合は、外国かぶれになることが多い。でも5年になると、その国で暮らしていくことが困難と見切って日本に帰ることを判断する人が多い。さらに8年になると両国で暮らすことができるけど、さてどっちにしようかという選択の時になる人がある。私の場合、このままじゃいけないと思って日本に帰ってきたけどね。」

その当時はこの言葉のスパンがなかなか理解できなかったが、今となってはかなり腑に落ちることもケースとしてみられる。

外国かぶれが多い3年滞在のわけ

3年で日本帰国する場合、たいていは語学留学だったり、ちょっとした目的(学校へ通うなど)があって、それを達成して帰国するケースが多いだろう。
その場合、外国に滞在する上でのコストや住居などは事前準備中になるため、その3年を満喫しようとするケースとみなされる。
したがって、仕事や生活を続けるストレスはさほどなく、最終目的の帰国まで十分に楽しめるため、異国の良いところだけをしっかりと見て楽しんできたケースといえようか。したがって、かぶれと見なされる発言が多いかもしれない。

しかし長い海外生活を経験していくと、この3年という滞在が一番良き思い出を作れるのではなかろうか。

海外暮らしを見切って帰国する5年滞在の葛藤

上記3年で楽しかったとしても、いざ外国で暮らすとなると、なかなか困難だとわかるというのは、いわゆる生活の糧の確保である。
駐在でもない限り、継続するにはなかなか厳しい。
実際、駐在も3-5年が人気の場合も多いので、やはりこの時期が頃合いなのだろう。

外国に限らず、労働というのは自国民ファーストなのはどこの国も同じである。
なので限定的にも移住して、仕事を探すことの困難に明け暮れるころが5年といえよう。
そしてなかなか5年滞在においても、ネイティブという会話まではついていけないのは仕方のないこと。そこでどのように仕事を得るか、そしてこの先どうなっていくのか。
であれば、この5年滞在のキャリアをもって日本に帰国した方が有利ではなかろうか? と葛藤の時といえよう。

この場合、生きていくために日本を切り売りすることなどを始めるケースがある。
例えば、イタリア料理を習いにイタリアに渡ったのに、生きていくためにはイタリアで寿司を握るみたいな感覚だろうか。
「こんなはずじゃなかった」と考えてしまうのもやむを得ず。
それか低賃金で働き続けるかとかいう選択も迫られる。

どっちでも暮らせる8年滞在以上の選択

8年にもなると酸いも甘いも。
ただし、滞在8年以上という場合は、上陸の時期がポイント。
例えば、25歳からの8年だと、帰国後は33歳。30歳からの8年だと38歳。35歳からの8年だと43歳。

25歳以前の学生時代に海外に渡航した場合は、30歳になるまでに帰国できたとしても、外国での友達も多く、結構どっちでも暮らせるかもしれない。
どちらかというと若かれし青年時代で過ごした海外生活のみずみずしい楽しさがある。

一方で25歳からの渡航の場合は、33歳帰国。若干でも、いや数年でも日本の会社で勤めていた経験があるとすれば、意外とすんなり日本のレールに乗れたりもする。しかもこのグローバル経験、若い世代という2つのトピックがあれば、鬼に金棒ではなかろうか。日本で就職した方が、待遇的にも良さそうだが、あとは本人が続けられるかという。なので、友人のいるう通りどっちでも生きていける選択の自由がある。

一方で38歳帰国組だと、ある程度のキャリアがないと日本での転職は語学を優先とした採用はやむを得ず。ただ日本での社会的な役割を担っていくという時代がスパッと抜けているので、社会においてのコミュニケーションに支障があることがある。

最後に43歳の帰国になると、日本の働き盛り時代の商習慣に慣れていないことがあるので、この場合は海外に残留すると言う選択肢を選ぶか、全く違った生き方を帰国してから選んでいくかなどが見受けられる。

このように日本社会のビジネスモラル(プロトコル)を身につける時代がスパッと抜けるので、選択の幅は「どっちの国の方が稼げるか」という判断にもなろう。

8年以上の滞在ある人はお互いの国のいいとこ悪いところを知っていると仮定されるので、より自分が暮らしやすいところを選ぶため、かぶれというニュアンスからは外れるとは考える。
逆に8年以上も滞在して外国かぶれしている場合は、いったいなにを海外でしていたのか? とも思ってしまう。

外国かぶれを回避するには

Wikiにもあるように、西洋かぶれ(外国かぶれ)というのは蔑称であるゆえ、芳しくないワードである。なので、褒め言葉ではないのは致し方ない。

グローバル化がすすみ、英語がどうのとかそういうことではなく、一番大切なのは異文化相互理解である。昨今において、どこのなにを優先的にするのではなく、彼方も良ければ、こちらも良いみたいな柔軟性が求められてくる社会になってきていると感じる。
少なくとも、世の中を良くしたいという目的で外国の何かを用いる場合、それを頭ごなしに導入するのではなく、お互いのメリットやデメリットを比較して良いところが抽出できるようになるというのがソリューションではなかろうか。

日本に帰国して、あれが悪い、これができてないなどの不満はあるかもしれない。
一方で、外国で暮らしている時も同様であろう。ヴァイスヴァーサである。

どっちも良くて、どっちもうまくいかないこともある。
なので中庸でいることが外国暮らしにおいて外国かぶれを回避するメンタルなのかもしれない。

この3年、5年、8年は個人的な見解ではあるにせよ、結構自らの外国暮らしに照らしわせてみれば、なかなか腑に落ちることが多い。
なので、海外生活が長く慣ればなるほどなのだが、外国かぶれと言われるのだけは避けたいと思う今日この頃なのである。

(今回のNOTE記事は、国際結婚の場合は含まない。)


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