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映画「PERFECT DAYS」を観て〜日常にきらめく機微な瞬間〜

平山が見上げる先には、いつも宝石のように輝かしい光景がある。

木造の古いアパートから出てまず見上げる空、夜明けの首都高を走る途中にビルの隙間から覗くスカイツリー、休憩中の公園で見上げる木々と揺らぐ葉と太陽が織りなす木漏れ日、行きつけの大衆居酒屋で見上げる野球中継、仕事終わりに通う銭湯の大きな窓から降り注ぐ光と壁面の富士山。

毎日決まったルーティンを繰り返し、同じような一日を過ごしていたとしても、全く同じ日は一度たりともない。


元旦、朝早くから動いたはいいものの時間を持て余し、映画「PERFECT DAYS」を観に行った。


この映画の監督であるヴィム・ヴェンダース(Wim Wenders)は写真家としての一面もあり、もちろん映画も何本か観ているが入り口は写真集を読んでから好きになった監督だ。
写真集については最後に少しだけ触れることにする。

2024年はこうあれ!と突きつけられたかのように個人的に刺さる場面や内容がたくさんありとても充実感を得た作品だった。特に普段からスナップ感覚で写真を撮る人たちは、この映画で描かれているシーンや主人公の価値観にものすごく共感できるだろうと思う。エンドロールの最後までぜひ観てほしい映画だ。

役所広司演じる主人公の「平山」は寡黙でほとんど台詞を発しない。
そんな彼はいつも同じような決まったことを繰り返す日々を過ごす。

渋谷区の公共トイレの清掃をする仕事を務める彼は、毎日明け方に起床し、歯を磨いて顔を洗い、植木に水をやって家を出る。家の前の自販機でコーヒーを買ってから清掃用の道具を積み込んだ車でカセットで好きな曲を流しながら首都高を移動し、いつものトイレへ向かい清掃をする。帰宅したら銭湯に行ってそれから地下の居酒屋でいつもの酒を引っ掛ける。就寝前には読みかけの本を読んで眠くなったら目を閉じる。

同じことをルーティンとして繰り返す凪ような生活の中でも、ふわっと、いつもと違うが心地いい風が吹き抜ける瞬間がある。
いつもの公園で昼ごはんを食べるときに座るベンチから眺める木漏れ日。
彼は気に入った瞬間があるとモノクロのフィルムを詰めたカメラで撮影する。

わかる、わかるぞ。
写真を撮ることが好きな自分としても、平山の琴線が触れる瞬間はとても共感できた。
これに関しては写真を撮るという行為そのものも一致しているからということもあるが、彼が楽しむ日常の節々はものすごく魅力的でその喜びに共感できる人はずっと幸せな時間が続いたのではないだろうか。

同じような日々の中で琴線に触れるときだけ少し上に振れる程度の、平穏で起伏の少ない日常がしばらく描かれる。そのシーンは長く退屈とも感じる人も多いかもしれないが、あの豊かさと小さな喜びにも共感できるとこんな毎日は最高!とも思える。本当にいい時間だ。

しかし、そんな平山の元に様々な人が交わりだす。
凪のような時間に違う方向からの風や突風が過ぎ去っていく。

この変わらぬ日常は彼にとってずっとそうであったのか、それとも何かを経て獲得した日常なのであろうか、謎めいた彼の過去も含め出会う人々によってほんの少しだけ垣間見えることができる。

物語の行末はぜひ劇場で観に行ってほしい。

一度たりとも同じ光景には出会えないことを知っているから私はカメラを持ち歩くのだな。
同じように過ごしている日々でも小さな変化やその瞬間にしか出会えない光景がある。
その機微に触れた瞬間、立ち会った喜びを、たしかにそこにいた証として写真を撮る。

自分が写真を撮る楽しさ・喜びと、平山が生きる日常の喜びを重ねながら観ていた。
そうなんだよ。同じ瞬間なんてないんだ。
それに気づけるかどうかなんだ。
映画を観て改めてそんなことを思った。

「PERFECT DAYS」を観て2024年がスタート。
まさか直後に大変な出来事が続くお正月になるとも思ってなかったけれど、震災を経験しているとなおさら、何気ない日常でもそこにある煌めきのような瞬間(に気付き)を大切にしないといけないなと強く思った。



さてここからは断片的な感想をいくつか。

①「THE TOKYO TOILET」


平山の着ている作業服に書かれいる社名的な名前。および、渋谷区に実在する個性的なトイレの数々。これらを舞台に平山の日常が描かれる。面白トイレめちゃくちゃあるなー。ドイツの写真家ベッヒャー夫妻の「給水塔」的なタイポロジー的面白さを見出して場所を選らんでいるのはドイツの監督っぽいなーと思いながら観ていた。平山がシフトの欠員を補い夜当番を任されさらにいろんなトイレが捲し立てるようにテンポよく出てくるシーンはちょっと笑ってしまった。が、後から調べるとこの映画そのものが「THE TOKYO TOILET」という渋谷区内の17カ所にある公共トイレを生まれ変わらせようと、ユニクロの取締役が中心に動いたプロジェクトから生まれていて、映画はそのPRの一部として始まった企画らしい。
エンドロールでユニクロとTOTOの企業名出てきたときにちょっと匂ったけど、本編を通してその匂いは全くせず映画として独立して楽しめたが、なんかすげーなという気持ち。いい意味で入り口と出口が全然繋がってこない。笑

②アスペクト比

この映画は1.33:1 (4:3)の比率で映像が作られている。
昔の映画とかアナログテレビのサイズだが、多分ヴィム・ヴェンダースは敬愛する小津安二郎のオマージュとしてこのアスペクト比を選んでいる気がする。
写真も撮るヴィム・ヴェンダースだとスクエアに近いこの比率の方が画作りしやすいのかなーと思いながら持っている写真集を見返したり。
劇中に出てくる木造の古い畳の家って間取りがだいたい正方形に近いし、16:9で撮ると横に間延びするから4:3くらいなら天井も含め綺麗に収まるよなーとか、そんなことを考えながら。

2009年『Journey to Onomichi』日本及び小津安二郎へのオマージュをこめた写真集
2011年『Places, Strange and Quiet』世界中を旅して撮影した写真集
尾道の写真と小津安二郎のことも。


③「ここ、前なんだっけなぁ。」

平山が自転車で移動する途中、ビニールシートで覆われた空き地の前で佇むお爺さんがこう呟くシーンがある。「ここ、前なんだっけなぁ。歳とると物忘れが….」台詞の後半は曖昧だがそんなことを呟いてお爺さんははけていく。
正直ここだけ繋がりは関係なく独立して浮いていたように感じたが、このシーンで言いたいことはめちゃくちゃわかるなぁーという共感。

ほぼ同じ気持ちで空き地を眺めている私(笑)
空き地に以前なにがあったか思い出せないことが嫌だから街の変化には敏感だし、何があってどんな物語があったか忘れないように記録として写真を撮る一面もある。
だからあのシーンは唐突ではあったけど、同じように過ごしていても街にも変化があること、そこに気づかずに忘れていってしまう儚さみたいなものは描きたかったのかなと想像する。
近代的な建物の象徴のようなスカイツリーと、その周辺の下町の雰囲気が残る街の対比。都市化が急激に進んで変化が激しそうだしね。
お爺さんの物忘れとしてさらっと流してしまうシーンだけど個人的にはとても印象的なシーンだった。


さて、映画の感想と個人的な写真への楽しみと価値観がごちゃっとした内容ではあったが、映画のことが気になった人はぜひ劇場で観てほしい。

そしてもし、平山の日常が魅力的に見えたら、あなたもきっと日常でいい瞬間と出会えているはずなので、カメラを持ってその瞬間にシャッターを切ってほしい。

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