劇団四季『ライオンキング』初見。生命の輪廻転生を思い知る🦒
宝塚からミュージカルの世界に入ったもので、意外とたくさんは観たことがない劇団四季。日頃から「ナーツィゴンニャー」と家の中で口ずさんでいる妹(観劇するまでは正式な歌詞が分からなかったようで、ニュアンスで適当な言葉をはめていたが(笑))を誘って、11月に初めて『ライオンキング』を観劇してきた。
会場は、9月に新設された有明四季劇場。ゆりかもめの有明駅から徒歩10分かからないくらいの場所にあるが、個人的には正直立地はあまり良くないと思った。なぜなら、タワマンと高速道路しかないから!開発中のエリアだから仕方ないけれど。
そんな話はさておき、夜公演を観に行ったが、劇場正面入り口の黄色い看板がライトアップされていて、暗がりの中でも少し遠目から目つけることができた。
中の写真は撮り忘れてしまったけれど、どこの四季劇場にもあるお土産屋さんが各フロアに。けっこうな種類(30〜40種類くらい?)のお土産が陳列されていた。現役大学生の妹は、まだ顔が出来上がっていない赤ちゃんシンバのぬいぐるみ系ストラップに惹かれていたが、悩んだ末に諦めていた。
行きたいミュージカルが多すぎるもので、チケット代をケチって2階のC席から観劇。C席といえど、劇団四季の持ち劇場はどこも箱のサイズが1,000席台前半でまとまりが良いサイズ感なので、C席でも普通に観やすく、逆に大変コスパが良い(曜日と時間帯によって料金は異なるが、私が行った火曜の夜公演はC席で2,750円!)。そのためA〜B席は空いていても、C席はびっちり埋まっている、なんてことが四季劇場ではあるあるのように思う。
※以下ネタバレがあるのでご注意ください
マントヒヒの老人で、呪術師であるラフィキが歌うテーマソング『サークル・オブ・ライフ』から物語は始まる。
「ナーーーツィゴンニャーーー!」
この第一声で一気に作品の世界観に引き込まれる。この楽曲と歌詞のインパクトの賜物だろう。南アフリカに実在するズールー語という言語で、このズールー語の歌詞の部分は実際に南アフリカ人の方が書かれているとのこと。
ナーツィゴンニャー = “父なるライオンがやってきた”
まさにその通り!という感じで、非常に分かりやすい。
1階客席では、続々と動物たちが登場。2階席後方列だったためどのあたりから動物たちが湧いてきたかは分からないが、恐らく1階席後方扉かと思う(チケット代をケチっている身分のため見えないのは仕方がない(笑))。どの動物が出てきても思わず声を出しそうになったが、さすがにゾウが出てきた時だけはあまりの大きさに「おぉ!」と声が出てしまったほど。首のなが〜いキリンの動きも非常にチャーミング。動き方や歩く(飛ぶ)速度が、的確にその動物を表現していて驚いた。
作品の一連のストーリーは映画の方で知っていたが、お恥ずかしながらそこまでちゃんと集中してこの作品に向き合ったことがなかった。王子として生まれたシンバの成長物語でもあるが、今回この作品に初めて正面から向き合って私が最も強く感じたのは、本記事の題にも書いた“生命の輪廻転生”である。
ムファサ(プライドランドの王/父ライオン)は、子であるシンバにいくつもの言葉を遺す。
「王の時代は太陽のように登り、そして沈んでゆく。私の時代もいつかは沈む時がやってくるだろう。」
「命あるものが輪となり、永遠に時を刻む。」
「星を見よ。過ぎ去りし偉大な王たちが我らを見守っていてくれる。」
などなど……。
作中では、自分たちが亡くなったら、亡骸が土に還り、その亡骸を栄養として蓄えた土から草木が芽吹き、その草木を草食動物が食べ、その草食動物をライオンを始めとした肉食動物が食べる、というような話をムファサがする。
ムファサは、プライドランドというサバンナの王国の王の立場でありながら、その地位に驕り高ぶることなく、自身も数多いる生命の中の一つに過ぎないということを認識しているのだ。
一つの生命が自分自身として実際に生き続けられる期間は限られているけれど、現世での命が絶たれた後も、どこかの何か(誰か)の中で生き続ける。
現代の人間に置き換えると、特に日本においては火葬で骨しか残らず、その骨もお墓の中に納めてしまうため、なかなか想像がつきにくいところではある。しかし長い長い地球の歴史からすれば、現代の人間の納骨スタイルはごくごく最近のことで、基本的には人間も含め全ての生命は土に還るのだ。
また、ムファサの言葉を聞いて思ったのは、やはり人間が一番偉いわけではない、ということだ。
ライオンは、“百獣の王”と言われているように数多いる動物の中でも非常に力の強い動物である。その意の通りムファサ自身もプライドランドという王国のトップにいるわけであるけれど、一方で他の動物たちへの敬意も忘れていない。自身が生きるために他の動物のお命は頂戴するけれど、それはあくまでサークル・オブ・ライフ(生命の循環)に過ぎない、というスタンスなのだ。
まさにその通りである。人間の知能が非常に発達し、先進国を中心に人間だけが住みやすいような土地開発が進んでいる。それにより多くの動物が住む場所を追われ、絶滅に瀕している種も少なくない。世界的にも問題となっている食物連鎖の崩壊を、この『ライオンキング』という作品を倒して痛感した。
自分一人で何か事態を変えることなど到底できないけれど、常にその危機感は持ち続け、可能な範囲でできることをしていきたいと強く思った(必要最低限のお肉やお魚しか買わない、など)。
『ライオンキング』はディズニー映画であるが、なんだか地球規模の問題、哲学的結論に行きついてしまった。こんなに深い作品だったとは。子どもが見るのと大人が見るのとでは、全く違う味わいがあって素晴らしい。
一緒に観劇した私の妹はと言うと、本物の「ナーーーツィゴンニャーーー!」の上手さに圧倒されたらしく、それまで割と頻繁に口ずさんでいたのに観劇以降一切口ずさまなくなってしまった(笑)
『ライオンキング』、またいつか観劇したい作品リストに仲間入りした。