故郷から見たアジア太平洋戦争 #7 「はしがき・あとがき〜編集委員会 委員長 野田 力」
編集委員会委員長 野田 カ
(みやま市遺族会瀬高支部長)
はしがき
この度、みやま市遺族会としましては、初めての試みとして「故郷から見たアジア太平洋戦争期における想いを語り合う討論会」を令和四年四月十日(日)及び四月十七日(日)の二日間に亘りみやま市図書館会議室において開催されました。
さて、みやま市におきましては、大河と言える矢部川の恩恵をうけている肥沃な平野を有する田園地帯で米麦・果采等の農産が盛んで、しかも交通の要衝地でもあります旧瀬高町と、主に山間・山村地帯で全国唯一のみかん特産地であり、しかも筍を始めとする特用林産物も多く生産されている旧山川町、さらには、有明海に接し工業都市の大牟田市に隣接し農漁業・商工も盛んな街であります旧高田町。
これらの旧三町が平成十九年一月二十九日に合併しております。
総面積は、凡そ105平方キロ2m(10,500ヘクタール)も有する広大な地勢で長閑な住み良い地域であります。
故郷を大まかにとらえても、この旧三町は、それぞれの産業経済や文化教育等にも些か特性を有するものと考えられます。
そこで、討論会での語るメンバーは、旧瀬高町から8名、旧山川町から12名及び旧高田町から4名、それにコーデネイターを加え16名で始められました。
又、アジア太平洋戦争期を中心に前後を含め、それぞれの地域の故郷の視点に立ち、語って頂くことになりました。
そして、進行上、アジア太平洋戦争期の戦前、戦中、戦後の三区分におおむね分けて、さらには故郷と家庭、学校、地域、戦地等と関連しながら想いや言い伝え、手紙などを含めて語って頂くことになりました。
特に、戦前は、シナ事変から昭和十六年十二月八日開戦日を迎える前般迄とし、戦中は当然、開戦日から終戦日昭和二十年八月十五日迄とし、戦後は、終戦日からサンフランシスコ講和条約(対日平和条約)締結の昭和二十六年九月八日とするものの、今だ、戦後の痛みが厳しい状況であったため、生活目線上から高度経済成長の突入時期の昭和四十五年頃までと大まかに捉えております。
特に、戦後七七年が経ち、パネラーの皆さんも当時の年齢は幼少期にあり、想いを語ることに大変ご苦労されたようであります。
編集に当たりましては、読者の皆さまから容易に読んで頂くために活字を大きめに、又、注釈を入れながら作成に努めた次第であります。
令和5年5月吉日
あとがき
本討論会の集録編纂に当たりましては、長閑なる我が故郷にも空爆を三ヵ所も受け、民間人を含めた犠牲者が二名も続発していること、又、苛酷極まる生活環境の状態についての驚き且つ悲しみを受け止めながらの編集作業でありました。
お陰様で編集委員の一致結束した並々ならぬ努力によりまして、一応、作業を終え発刊致す運びになった次第であります。
パネラーの皆さんは、討論会終えてからも再度の想いが新たに募った方もおられたことでありましょう。
又、遺族会会員の皆さんやお読み頂いく読者等の方々からも、これらに関する想いが改めて醸し出されたり、戦没者からの手紙や関係資料が新たに出現したりと、貴重なる種々の事象が生じて参る機会になるのではないかと推察致します。
本記録集に、皆さんの内在された想いがさらに本記録に上書きとして追加補充をすることができ得れば「故郷とアジア太平洋戦争」の実情等をより広く鮮明に一段と真実味が深まり帯びるものと思います。
このような事から新たなる事象を受け止められる組織的な窓口が設置されることが今後、重要不可欠になるものとなりましょう。
それらの役割を担う一翼としての遺族会活動に関して大いなる期待が寄せられるものと推考しているところであります。
この集録は、申すまでもなく戦没者たる英霊の慈しみに応えられたものであり、単に一過性で終わることなく、二度と戦争を起こさず平和への灯として後世にバトンを渡し、恒久平和の途へと共に歩み続けるための一助に役立てて頂ければ、大変有難いものであります。
ところで、この紙面をお借りして申し上げたいことは、本事業の発足に当たり、遺族会活動に多大なご貢献されていました前原安廣氏が、これこそ後世に残さなくてはならない素晴らしい企画ではないでしょうかと強調されました。
そして、困難でしょうが協力し合って是非とも成就させたいものと申されたことが脳裏から離れません。
本人自身も共に取り組みたい決心のようでしたが、残念ながら途中病魔に襲われご逝去されました。温もり深い想いを含めてのご芳志を賜り、その浄財を本事業に活用させて頂いている次第であります。
前原安廣氏からのご教示等を賜りながらもっともっと語り合い出来たらとの想いが募り寂しい限りであります。改めて御冥福をお祈りします。
結びに、皆様方が平穏でご多幸、ご息災でお過ごしされますことを心から御祈念申し上げます。
令和五年五月吉日
〜続く〜
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