#「ひびのわ」 おおつかゆうこさん
【食ロス楽】旬の食材を味わい尽くす 担任
いただきます食の楽校 (itadakimasu-school.com)
そばに寄り添って、すっと懐に入ってくる。
邪気がない。
誰とも闘わない。
何んにも抗わない。
圧がない。
大丈夫だよ、と日常の機微に声をかけてくる。
おおつかさんのお料理には、そんな空気がある。
そのルーツを一緒に辿ってみた。
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お料理の一部は、
お母さんとのおしゃべり
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「ひびのわ」の屋号でお料理教室はじめて、8年。
「旬の野菜とあるもの」で料理する、レシピのない教室が真骨頂だ。
料理との出会い、その始まりの記憶は、
子どもの頃、お母さんと一緒に料理する、日々の情景。
専業主婦だったお母さんは、どの家事も完ぺきで、中でも料理の腕は、友人たちの支持も堅い。
「豆の筋をとったり、野菜の皮を剥いたり。物心ついた頃から、毎日二人で料理しながら、おしゃべりは尽きませんでした。」
その直伝の腕前は、小学生ですでに一目置かれるように。
「料理は、おおつかさんに任せておけば、安心」、と周りに頼られるようになっていった。
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料理で人を幸せにできる、
実感がもてた
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そんなある日、担任の先生に、数名の女子でお弁当を作って持って行こう、という話に。
「男の先生だったのですが、毎日忙しくて大変そうで、きっとお家でごはん食べてないんじゃないかなって。みんなで作って届けると、美味しい、美味しいって、本当に喜んでくれて。」
「料理で、人を幸せにできた実感」がわいた。
誰かのために料理する、その嬉しさにのめりこんでいった。
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日常が実習。
料理を志事に、舵をきる
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社会人になると、帰宅が遅く、なかなか料理に向き合えない毎日が続いた。
「そんなときも、時間があると台所で過ごしました。」
20代後半、少し時間に余裕ができると、堰を切ったように、料理教室に通うように。
「気になるものは、片っ端から受けまくりました。宇都宮に住んでいたので、週末ごとに都内まで通い、友人の家に泊めてもらって。」
習った料理は作って、食べてもらう。それがいつしか、お宿代になった。
こうして、当時のお給料の多くは、料理教室代と交通費に費された。
持ち前の料理愛と、「この人に任せておけば、なんだか安心」オーラで、
教室や料理家の先生のアシスタントを任されることが、増えていった。
そして37歳の時、ついに会社員の道を断ち、
自分の料理教室「ひびのわ」をスタート。
調理の仕事を掛け持ちしながら、
「自分の料理を、誰かの幸せにする」挑戦が始まった。
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囚われない。
食べる人との対話で「自由自在」につくる
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snsの料理写真、様々な食の情報が、降り注ぐ世の中。
ともすると、
健康にいい食、良くない食、
自然にやさしい食、そうでない食、
料理が上手、苦手、、、
そんなふうに仕分けして、無意識に自分がどっち側なのか決めているのかもしれない。
分けて、争わなくていい。
おおつかさんの料理には、
「こうあらねば」という拘りやプレッシャーのようなものがない。
出発もゴールもひとつ、「食べる人が笑顔に」。
そのバリエーションは自由で、柔軟。
ひびのわの「わ」には、3つの意味が込められている。
ひびの「話」、
ひびの「輪」、
ひびの「和」。
料理を囲んで、会話を楽しみ、他とつながり、和をなす。
そこでは、不機嫌、怒りや悲しみも薄れていく。
大丈夫だよ。
そう、料理がささやきかける。
ひびのわ おおつかゆうこ
HP https://lit.link/hibinowa2014
Insta https://www.instagram.com/hibinowa_yucorlin/
note https://note.com/hibinowa_wa
(岡志寿子 著)