「副校長・教頭マネジメント支援員」が事務職員の「最大の危機」?
今年度から文科省予算化
文科省は2024年度予算概算要求から、新規事業として「副校長・教頭マネジメント支援員」を盛り込んだ。
同事業は規模を縮小したうえで実際に予算化。
現在検討中の25年度予算概算要求でも拡充事業として挙げられている。
職務内容・予算・勤務時間
文科省は「副校長・教頭マネジメント支援員」について以下のように説明している。
予算規模の変遷は以下の通り。
・24年度概算要求=17億円・2,350人
・24年度予算===5億円・1,000人
・25年度概算要求=16億円・3,000人
金額と人数が合わないぞ?と、こういう点は気になってしまうので単純計算すると以下の通り。
・24年度概算要求=72万3404円/人
・24年度予算===50万0000円/人
・25年度概算要求=53万3333円/人
この金額は国庫で負担する3分の1の数字なので、配置にあたり実際にかけられる公的予算は地方負担の3分の2を足して、上の数字の3倍ということになる。
(もちろん、地方が3分の2を大きく上回る予算をかけることは可能だが)
なお、国庫補助対象経費には報酬だけでなく、期末・勤勉手当や交通費(通勤手当のこと?)が含まれる。
言い換えれば、想定される金額がまるまる月給に回るとは限らない。
いずれにせよ年収は150万円前後、必然的に勤務時間も限定的なものとなる。
実際の配置規模
もうひとつ。人数からみる実際の配置について。
全国の公立小中学校は約3万校。
24年度予算は1,000人なので30校に1人。
25年度予算概算要求は3,000人なので10校に1人。(…だが、前年は予算段階で大きく削減されており今年も厳しい結果が予想される。)
少なくとも現段階では、非常に限定的な配置にとどまる。
教員業務支援員は24年度予算で28,100人と、単純計算で全国全校配置目前と言って良い段階だ。
ただこれは、コロナ禍に伴う積極支出が大きく寄与した経過がある。
それでなくとも、数十人の教員に対応する職員の配置と1人の副校長・教頭に対応する職員の配置とで、果たして同様な拡充が進むのか。
個人的には、その可能性は低いと考えている。
「最大の危機」?
さてそんな「副校長・教頭マネジメント支援員」だがこれに警戒心をあらわにしているのが、野川孝三氏(元・日教組事務職員部長)と日教組事務職員部だ。
24年度予算概算要求が公表されたのが23年8月。
野川氏はそれを受け、9月中には原稿締切であったであろう業界誌連載で早々に、以下のように記した。
次いで野川氏は23年12月の日教組事務職員部組織拡大強化学習会の講演で、以下のようにさらに激しい反応を示した。
こうした見方は野川氏個人のもの、あるいは一過的なものとも取れたが、そうではなかった。
24年7月に開催された第65次日教組全国学校事務研究集会(新潟集会)でも、次のように相次ぎ言及がなされたという。
さらに先日発行されたばかりの業界誌でも、中嶋康晴・日教組事務職員部長が以下のように述べている。
「事務職員への期待」の終焉を見たか
しかしはっきり言って、副校長・教頭マネジメント支援員の配置が「事務職員の最大の危機」とは思えない。
おそらく多くの事務職員も、いや事務職員だけでなくあらゆる学校・教育関係者の多くも、そうではないだろうか。
理由は簡単。
事務職員の業務は「副校長・教頭のマネジメントの支援」ではない。
そして事務職員には、給与・旅費・文書・財務・福利厚生といった業務が現にあるからだ。
ではなぜ野川氏や日教組事務職員部は、「副校長・教頭マネジメント支援員」にこんなに激烈な反応を示したのか。
それは、「チーム学校」以来語られ(騙られ)てきた「事務職員への期待」と関係しているのではないだろうか。
「学校における働き方改革」を通して「教員の負担軽減のために事務職員はもっと働け」という風潮が広がったが、その前、「チーム学校」においてはどちらかと言えば教員以上に教頭が、事務職員の「支援先」であった。
「チーム学校」答申により、事務職員は文科省から(おそらく)初めて「専門性」を認められた。(それ以前は「基幹職員」という言い方だった)
また引用からわかる通り、「チーム学校」答申が17年度の「つかさどる」法改正、そして20年度の標準的職務内容例通知につながった。
つまり、「専門性」も「期待」も「つかさどる」も、そして標準的職務内容例通知「別表第二」も、それを裏打ちするのは副校長・教頭との業務の連携・分担であり、とりわけ管理的業務を事務職員が担うことと言えよう。
そして日教組事務職員部は、「つかさどる」法改正や標準的職務内容例通知を「職の重要性」を担保するものとして積極的に評価してきた。
そう考えると、副校長・教頭の「マネジメント(=管理的業務)等に係る業務を専門的に支援するための人材」たる副校長・教頭マネジメント支援員の登場に対して、チーム学校以来事務職員に寄せられてきた「専門性」「期待」の根幹を揺るがすもの、と日教組事務職員部が捉えるのも、合点がいく。
まして、「マネジメント等に係る業務を専門的に支援するための人材」である。
「専門的に」である。
日教組事務職員部にとって長年の「悲願」であった「専門」の語が、やすやすと(?)付与された点にも感じるものがあったのかもしれない。
つまり彼らはここに、約10年続いた事務職員への「専門性」や「期待」の終焉の気配を見た、のではないだろうか。
野川氏が「事務職員への期待が無くなる」と懸念していることとも、符合する。
そんな危機感にかられるがあまり、副校長・教頭マネジメント支援員の仕事の割り振り・調整・管理を事務職員がするなどという主張にも至ったのだろう。
「副校長・教頭によるマネジメントを支援する職員のマネジメント(仕事の割り振り・調整・管理)を、副校長・教頭にマネジメントされる事務職員がする」というねじれが、どう合理化されるのか私には見当がつかない。
「マネジメント」を追い求めた結果
繰り返すが、副校長・教頭マネジメント支援員の配置が「事務職員の最大の危機」とは思えない。
事務職員の業務は「副校長・教頭のマネジメントの支援」ではない。
そして事務職員には、給与・旅費・文書・財務・福利厚生といった業務が現にあるからだ。
しかし野川孝三氏も日教組事務職員部も、そうした業務を「定型的業務」と位置づけてAIやアウトソーシングに任せ、事務職員でなければできない仕事を担うべき、と主張してきた。
「最大の危機」
それは現に目の前にある事務職員の職務を軽視し、「マネジメント」「参画」ばかりを追い求め、そこに職の意義や価値や「重要性」を置いてきた、日教組事務職員部の路線の結果であり、それに過ぎない。
明日も事務職員の仕事はある。
それは副校長・教頭のマネジメントを支援する業務ではない。
日教組事務職員部の路線下では、こんな簡単な話も通用しないようだ。
「事務職員の職務」について当の事務職員自身が、「副校長・教頭マネジメント支援員との違い」という観点から考えざるを得なくなるありよう。
真に「危機」があるとすれば、それは「事務職員の」ではなく、「日教組事務職員部運動の」、なのではないだろうか。
最後に…定数崩しのこと
最後に野川孝三氏の以下の発言に対しては、特別に言及したい。
「副校長・教頭マネジメント支援員」に関わらず、事務職員の定数崩しはとっくに深刻な状況が生まれている。
このうち大分県では、「学校事務の共同実施」が導入路となって「学校支援センター」に発展し、そして定数崩しが「配置基準」という形で大手を振って実施された。
大分県は日教組が比較的強い県であるはずだ。
共同実施を推進してきた野川氏と日教組事務職員部は、いま現に起きている定数崩しとその要因について、どう向き合っているのか。
日教組事務職員部ニュース24年9月2日号によれば、6月に文科省要請行動にあたっても、法定定数遵守・定数崩しの解消ではなく、共同学校事務室加配の配置を重点事項と位置づけている。
ここに、定数問題に対する日教組事務職員部のスタンスを見る。
最後に。これだけは声を大にして言いたい。
定数は「事務職員のプライド」の問題ではない。
「事務職員の労働条件」の問題だ。