「泣く」事に対して人間は何を思う?
人間は、嬉しい事や楽しい事、悲しい事や苦しい事など
いろいろな場面に遭遇する度に「感情」が生まれ、
笑ったり怒ったり落ち込んだり、そうやって体を使って表現してきた。
その感情の中に「悲しい」、「苦しい」、「痛い」も含まれ、
それを「泣く」事で表現してきただろう。
私は何回も苦しい思いをしては何回も泣いてきた。
皆が皆そうであるとは限らないだろうけど、
泣いた事無い人はいないと思う。
その「泣く」事に関して一つ思い出した。
私は、高校生の時の部活動で全然うまくできず、顧問の先生から直接指導を受けながら練習をしても全く上達できず、その苦しみが心の中からあふれて
泣いてしまった事がある。
それを親に話したら
「情けないなぁ~」とか「みっともないなぁ~」
って言われた。
その時は何とも思わなかったし、今も「あんな事あったなぁ」くらいにしか
思ってない。
でも、一つだけ疑問がある。
「泣く」事は本当に「情けない」のか?
「みっともない」のか?
こんな経験したことあるかな。
自分がとてつもなく苦しい状況下にいて、そこから脱するために
どれだけ頑張っても、どれだけ現実に抗っても、
どうにもならないくらいに変わらない現状に苦しみ続け、
心が限界を超えてしまい、涙を流して泣いてしまった。
その苦しみを伝えるため、助けてもらうために、親や友達に相談したら、
「泣いた」事に対して否定的な事を言われた。
そんな言葉を聞いてあなたは何を思った?
「泣く」事は「恥ずかしい事」だし「情けない」と思うのも無理はない。
また、「泣く」=「弱い」のイメージを持っている人もいるだろう。
でも、それって本当に「情けない事」なの?
本当に「弱い」から「泣く」の?
先ほど言った事はあくまで他人のイメージに過ぎない。
けど、私はこう思う。
「泣く」事は本当に悪い事じゃないし、それを止めるべき理由もない。
むしろ、苦しいときや悲しいとき、自然と涙が流れそうな時こそ
思いっきり泣いていいんだと。
「心が弱っている・苦しんでいる」から「泣く」。
でも泣くから弱いかと言われたら、それは違うと思う。
「泣く」事は自分の感情を表現するものでもあるし、
自分の心の状態を示すものでもある。
だから、笑ったり怒ったりして感情表現できるなら「泣く」事だって
できるし、この行為を通して自分の心の状態を知る事もできる。
今まで「泣く」事を我慢したことがある人はたくさんいるだろう。
私も、簡単に泣くまい、感情を露にするわけにもいかないと思い、
我慢してきたことはある。
私は別に「我慢しちゃだめだ」とは思わないし、
それを誰かに言うつもりもない。
でも、自分の心に限界が来ても我慢し続けると、そのうち壊れてしまう。
そうなってしまったら、心のSOSを出せないかもしれないし、
それに自分が気付かなくなってしまうのかもしれない。
だから、そうなる前に涙を流して心を少しでも楽にした方が良い。
心が壊れる前に。
また、その行為を「恥だ」と考える人はいるとおもうけど、
それは結局他人の意見にしかならないし、
自分の泣いている所を誰かに見られていると知っても、
確かに気づいた瞬間は「恥ずかしい」と感じるかもしれない。
でも結局は自分の心は感情で埋まってしまうから、気にならなくなる。
それに、他人の言葉は「その人の意見」にすぎないから、
それなんか気にせずに泣けばいい。
自分の心が落ち着くまで、思う存分に。