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ヒント-026
一緒に仕事をするダンサーは、子供の頃からバレエやモダンダンス等を習っていた人が多い。
そういう人達には、今回のトピックはちょっとピンとこないことかもしれない。
「踊れなかった時の自分」というものも忘れてはならない、という話なのだ。
特に、アートとしてのダンスやコンテンポラリーダンス界の話になるのだが、これまでとは違う体の動きやフレーズの組立等を、そしてより新鮮なクリエーションを、全てのアーティストが模索している。そういう状況で「子供の頃から習ってきた、オーソドックスなダンステクニック「だけ」は一流なんですけど...」と訴えても、アートの現場に密に参加出来る可能性は、ちょっと『?』だ。
自分はいわゆる西洋舞踊系のダンステクニックのクラスを、十代の最後半に受けたのが最初だが、本当に落第生だった。先生の見本と比べると、「全く踊れていない」状態だった。今でも「よくある」ダンスのメソッドには、謙遜ではなく、自信がない。当事、既に子供ではなかったので、長年ため込んだ体の動きの妙なクセが、どうしても抜けなかったのだ。
ただこの「踊れていない」状態が、「ある種、オリジナルだ」と何人かに言われ、自分も、「これはオーソドックスなダンスフレーズの極端なアレンジ版と考えられないこともないか...」と感じられるようになってきたのだ。そして、そこを否定せずに全面的に押しだして、振付業や出演業を始めたら、それなりの評価を得られるようになったのだ。
よくダンサー志望の人が勘違いしているのが、以下のような思考プロセスだ。
「踊れない(0)→踊れる状態を手に入れる(+1)→踊れなかった状態を捨てる(-1)」
稽古で「(いわゆる)ダンスがうまくなる」状態を手に入れると、以前の自分の状態を捨て去ってしまうようなのだ。そこにも様々なダンスのヒントがあるにも拘らず、だ。結局、トータルで見ればプラスマイナスゼロだ。
子供の頃から習い事をこなし、「全く踊れなかった」という状態がない人には厳しいかもしれないが、次に掲げる方が、動きのボキャブラリーはより多く得られるだろう。
「踊れない(0)→踊れる状態を手に入れる(+1)→踊れなかった状態も捨てずに、更にそれを加える(+1)」
最初の「方程式」は0であったが、今回のものは+2になっている。
「踊れなかった」状態も、アクションを生み出せているのは間違いないのだ。そこを否定して切り捨ててしまうのは、ステージで体の存在感を発揮する時に、アウトプットの多様性を狭めてしまうことになる気がする。
(文責・石山雄三)
次回は2月20日、掲載予定。
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