ヒント-011
少々、毛色の変わった話をする。
回転運動をターンと言ったりもするが、これは出演者がやらないとならないものだろうか。
回転するオブジェがあったとして、それがくるくる回ったら同じような効果、もしくはそれ以上のポジティブな感情を、観客から引き出すことが出来る可能性はないだろうか。人間がこれをやる切実な理由は、本当にあるのだろうか。
振付を考える時、パフォーマンス作品を1から作り出す時に、そういう事も考えている。
ロックの楽曲で、「このフレーズはギターではなく、キーボードで弾いた方がいいんじゃない?」という提案と、背景は似ているかもしれない。
つまりは、「人間の身体がまずあって、それの動きを見せるのが、ダンスに決まってるじゃないですか」というような、盲信的な物言いがまかり通ってもいい訳がないと思っているのだ。
それを素通りさせてしまうと、自分は、舞台芸術の可能性を狭めることにもつながるような気が、どうしてもしてしまうのだ。
自分は、モノの、フォルムやその動きの連なりを、紡いでいくのがダンスだと思っている。
「何のフォルム?」となると、今は選択肢が大量にあるのではないだろうか。
確かに、人間の身体はフレキシビリティが高く、訓練すれば多様な動きを瞬時に展開できるのだが、人間の身体と同レベルの動きを繰り出せるようなマシン(のようなもの)がステージに登場したらどうだろうか。1つ2つの動きだけ、人間の身体のそれと全く引けを取らない、という想定でもいい。
ダンス作品と言えども、まず「人間の身体ありき」という前提条件をちょっとでも疑ってみると、今までとは少し違った「道」が拓けてこないだろうか。
自分は、ライブ作品の最重要ポイントは、様々に変化する「時間の流れ」や、多様に移り変わる情景を観客に見せる、ステージ空間全体だと思っている。抽象度が高いステージ作品となれば、なおさらだ。
そういった中での「フォルム」の提示や、様々な「動き」なのだ。人間の身体で展開するのが最も効果的な動きを、振付家はダンサーに割り当てるべきなのだ。
妙な例えで申し訳ないが、どうしても扇風機のような質感と動きが欲しければ、扇風機を持ってくればいいのだ。ダンサーの身体を使ってやる事ではない。
観客は、身体という出演者と同じ「メディア」を持っている。故に「動き」に関する情報は、伝わりやすいところもあるだろう。
観客から「自分はこれほど連続のターンは出来ない」「こんなに高くジャンプ出来ない」等の声は出やすいだろう。
ただ、だからといって、それに甘えてはならないと思うのは、自分だけではないはずだ。
(文責・石山雄三)
次回は9月16日、掲載予定。
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