ヒント-016
自分のクリエーションの現場で、禁句が1つある。「ダメ出し」という単語だ。
よく日本のダンサー達と仕事をしていると、「ダメ出し」を求める者が結構いるが、ダメなところに過剰に目を向けている姿勢は、こちらとしては疑問なのだ。
ダメなところよりも、いいところを伸ばす事にもっと注力すればいいのでは?と、いつも感じている。
更に言えば、こちらが出演者のキャスティング権を握っているプロジェクトの場合、ダメな出演者をチョイスしたのは、石山の責任ということになり、「ダメ出し」は出演者ではなく、石山に向けられる言葉なのに...とも思っている。
重箱の隅を突くような、アドバイスを求めてしまうのは、これまでの日本的なリハーサル経験と、ありがちな完璧主義の賜物かもしれない。
ただそこで、時間をかけて「ダメ」をつぶして、他のシーンのクリエーション時間が足りなくなる方が、状況としてはよろしくないと思っている。
そういうことより、ダンサーの動きや存在感をより良い形で、観客に提示するリハーサルにもっと時間を割くべきでは?と自分は考えている。
極論すると、とある出演者が「ダメ」な動きのフレーズは、その人にあまり割り当てなくてもいいし、全面的に「ダメ」なら、そういった出演者を選ばなければいいのだ。
自分達が、リハーサル中の収録した映像を参加者全員で見ながら、ディスカッションするのはいつものことだが、そこでの発言も、「ダメ」なところを指摘するよりは、「こうすると、もっとこの体の動きのフレーズは引き立つと思う」という建設的なものが殆どだ。
いわゆる「ダメ出し」と、やり取りとしての行為は似ているかもしれないが、振付家もダンサーも平等に「気付いた点」を言い合い、「このショウをより良くするには、どうしたらいいか」という前向きなスタンスに、全員が完全に重心を置いている。それは決定的な違いだろう。
「ダメ出し」されないように、振付家/演出家の顔色をうかがって、出演者が体の動きのフレーズをびくびくして繰り出したところで、そのアクションは「良くも悪くもない」という状態になってしまうような気がする。
少なくとも「突き抜けた」存在感のあるものにはならないだろう。そこにあるのは「(クリエーションにとって)程よい緊張感」ではなく「出演者の力を100%出すことのできない、萎縮してしまっている時間」だろう。
振付家/演出家は、「ダメだ」で発言を切ってしまうのではなく、「どうすれば作品のクオリティを上げられるのか」という部分をより強調して、出演者と対等な立場で常にディスカッションすべきだと石山は考えている。
(文責・石山雄三)
次回は11月7日、掲載予定。
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