2024年の「コンビニ人間」(村田紗耶香)
「ライオンのおやつ」に引き続き、読書リハビリ中です。「現代思想」やら「鵺の碑」やらが積ん読になっております。
地元の小さな図書館をうろうろして、読みやすそうで興味のある本…と探して「コンビニ人間」を見つけて借りました。
エンタメ感覚、娯楽感覚で読み進められました。
特に中盤の白羽さん登場以降は展開が気になる!という感じで二日ほどで読み終えました。
最後の場面はよかった。すがすがしい終わり方でした。
あれを気味悪いと捉えるか、スカっとするかは人によって分かれそう。
で、この話は2016年六月号の「文學界」初出とあるんだけど、いまの感覚でいったら古倉さんは全然受け入れられそうじゃない…?
多少、「ん?」と思うことがあっても、一生懸命働いて、無遅刻無欠勤で、会話も感じよくて、めちゃめちゃ有能じゃない…?
社員は古倉さんをスカウトして、エリアマネージャーとかにすべきじゃない?
独身、アルバイト生活なんて、なんなら「普通」にすらなっているのかもしれない。それはこの国が貧しくなっているからだという一面もあるけど。
「普通」に擬態することが古倉さんにとって苦痛なら悩みかもしれないけど、彼女にとっては「面倒だからそうする」「このほうが都合がいいからそうする」から上手くいくし。
ここまで書いてきて、この話は古倉さんが自分の生き方を獲得する話ではなく、古倉さんを認められないことによる社会的損失の話では…?なんて思ってしまった。
コンビニの音と光の中で生きていく職人として「プロフェッショナル」で取り挙げたら、皆すごいすごいと賞賛するのでは?
さて、となると「普通」の感覚を持っていながらも「普通」の枠組みに生きられない白羽さんの「不幸」がより目立っていく。
すごい俗な想像をすれば、白羽さんには古倉さんを好きになって、なんだかんだの口八丁で古倉さんに寄生しつつも、情を交わせない辛さを抱えて生きてほしいものです。
はー、面白かった!
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