朝 顔
◇夏になりかけの頃、やくざに種を蒔
き散らしておいた土の中から、朝顔が
芽生江てきた。いくつもの、うすみど
りいろの双葉がみる/\のびていつた
◇ほゞ、きまつた、へだたりをつくつ
て、ずん/\蔓をおほつてゆく葉の精
新な感が、初夏の朝の、すが/\しい
氣分をたすけ、朝起きぬけに庭に眼を
むけるたびに、自分の心持を、明るく
する。朝顔は、花より葉が美しい、と
自分は思つた。
◇やがて、花が咲きだした。花といふ
ものゝ感は、人間が强迫でもされてゐ
るときの感によく似てゐるものである
薔薇にしても、ダリアにしても、男が
美女に心をうばはれるやうに、花の美
しさのために壓倒されさうな、氣がす
るものである。
◇しかし、朝顔の塲合はさうぢやない
朝顔は、まだ、なにも知らない、純眞な
娘である。葉が、むらがるやうに、ひろ
がり、ふへる。花が咲く。そして草の葉
の露が、消江る頃には、もうこの田舎
娘は、ぎら/\した、太陽の、たくまし
い胸にだきしめられるのが、耐江きれ
ないものゝやうに、彼女の寢床にかく
れて了ふ。
◇蔓はどん/\伸びてゆく――これは
田舎娘のはちきれさうな肉体を思はせ
る。天までとゞく、眞すぐな竹を立て
ゝやつたら、天まで蔓をまくだらう。
まきつくものさへあれば、どこまで伸
びるかわからないだらう。きはまりな
い若さの力だ。
◇自分の庭の朝顔は、短い竹にまきつ
かせた。のびるところまでのびていつ
た。まきつく竹がつきた。それでも一
尺ものびた。そして、そこで困つたやう
に、ぐつたりとうなだれた。そばに紅
葉の木がある。力のあまつた蔓は、今、
その枝をめがけてゐる。
◇もし、金持の家の庭で、この朝顔が
芽生江たなら、天までとゞく竹に、朝顔
をまきつかせることを空想してみやう
天まで伸びる自由の喜びを、朝顔はう
たふだらう。夏中、わきめもふらずに、
どん/″\のびてゆくだらう。しかし、秋
がくる、霜がおりる、雪がふる、そし
て下界は冬である。
◇雲の中で、赤や紫の大輪の花の美し
さを誇つてゐる彼女の裾は、すべての
生きものゝ凋落の悲しみをうけてゐる
ときである。
◇そして、この幸福な、金持の家の庭
に咲いた朝顔は、天までとゞききらな
いうちに、雲の上に血の通つてゐない
美しい花をのこしたまゝ、死んで了は
なければならないだらう(十二年七月)
(越後タイムス 大正十二年八月五日
第六百〇九號 七面より)
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