東京より (二)
⦿お變りないことゝ思ひます。僕はと
う/\風邪にやられて了ひました。鼻
つぱしの强い革命家の信念に生きやう
とする僕も、病弱には参つてゐます。
先日ひとに切符をもらつたのでブルジ
ヨワ達と膝を交へて新富座を觀ました
⦿誰れかゞ一あし、歌舞伎劇塲の中へ
足をふみ入れると、もうそこには、われ
/\の實生活とは全るでちがつた、息
のつまるやうな絢爛な空氣がみなぎつ
てゐる!と云つたとほり、世界がガラ
リとかはつてゐます。
⦿ブルジヨワの老年、中年、靑年の男
や女たちの頬のつや/\と美しいこと
よ!何と自分の膝とすれ/\に感じる
彼女だちのからだの温きことよ!食ひ
物がいゝにちがひあるまい。「かきね」
にしたつて、「玄治店」にしたつて美し
いと思ひます。がそれは眞のない美し
さです。現代に生きる僕等の實生活と
何のかゝはりもない、どうでもいゝ美
しさです。理智が醉ふほどの美しさは
ありません。感動はありません。芝居
はみかたなどといふ先入意識や類型批
判でみるものでないと思ふ僕は、もう
いゝかげんありきたりの歌舞伎劇には
あき/\してゐます。
⦿宮川君は帝劇をみたさうですが僕は
金がなくてみれなかつたのは殘念です
山本有三氏の「指鬘縁起」はいつかの改
造に出てゐたのを讀んだのでみたかつ
たのです。
⦿三月は帝劇でも新しいものを二つ
もやるし、本郷座では、谷崎寿一郎氏
の「愛なき人々」を左團次がやるさうで
す。僕は同じ作者の「愛すればこそ」が
禁止になつてゐるのが、ハガユクで堪
りません。いつの世になつても空つぽ
なのは、檢閲官の頭です。馬鹿々々し
いきはみです。
⦿新潟劇場へ猿之助がゆくさうです。
何をやるんでせう?
⦿野瀬市郎氏の随筆は仲々いゝと思ひ
ます。高田ひさを氏や小川水明氏のも
のが出ないのは淋しいと思ひます。そ
れから橋本虎之介氏は仲々美少年ださ
うですネ。小村隆二君の手紙によると
彼は昔の橋本君の容貌を思ひだしてホ
ツホと涙をこぼして嬉しがつてゐます
⦿橋本君の詩は中山哲を思はせます。
元氣と、ヴィヴィドリイな言葉は、ず
ゐぶん力强い感銘を與へます。「假面」
などは眞裸でいゝと思ひます。
⦿もう三月です。ぽか/\とあたゝか
い日が來でせる。ねむい、ものうい一
日、櫻が咲いて人間共が、うき/\す
る一日、それが春の全部だとはあんま
り情けないことです。(二月廿八日夜)
(越後タイムス 大正十二年三月四日
第五百八十七號 三面より)