南 國 消 息 (上)
――この一篇を、今は葛飾の田園
に離れ住む、野瀬市郎氏夫妻
におくる。
暮れの二十八日の晩であつた。
押しつまつた東京の歳晩の氣分の
さなかを、慌たゞしく私は旅に出
たのだ。
冬らしい、暗鬱な空からは雪で
も降つてきさうであつたが、淡路
島のみ江る海邊をとほる頃は、さ
すがに靜かないゝ眺めであつた。
淡路島はかすんでよくは見江な
かつたが、たゆたう海づらに浮ん
で、ゆく先をあせらうとしない漁
船は、灰いろに古びた帆をたるま
せて、のどかな感じであつた。私
の郷國に近づくに従つて、なめら
かな明るみをもつた内海の風景は
いつもみなれたものではあつたが
ふしぎに私の旅ごころをなつかし
くした。とけとけと冷たい柿の木
に、とりのこされた柿の實のあか
ねいろにも、素朴な冬の田家のお
もむきが深かつた。私はさういふ
南國の薄暮の淋しさを、しんみり
と味はひ乍ら、あかず眺めやつた
私はさういふ氣持のうちに、妻
と約束した或る街についたのであ
る。どちらの親にも、正式な許諾
をうけてゐない夫婦である私達は
妻は生家をひそかにぬけだし、私
は何氣なく歳晩の旅にでるといつ
て母親の心をあざむき乍ら、半歳
ぶりに逢ふのである。
その街の停車塲に降り立つたと
きには、若い私は流石にある感傷
的な氣持を覺江た。曇り空からは
冬に珍らしい温かさのために雪に
もならない、いちめんの霧雨をふ
りこめて、ひとしほ侘しい眺めで
あつた。私達はむしろ快くその霧
雨に濡れそぼち乍ら、賑かな街を
歩るいてみた。その街には、私は
幼少の頃の思ひ出の數かずを持つ
てゐるのだ。南國にだけみること
のできる美しい、さわやかな、ひ
とすぢの川――水が澄みとほつて
河底の小石をかぞへることができ
るほど淺い流れで、遊びたはむれ
ることしか知らなかつた少年の私
は、従弟妹だちと川蝦を手網です
くつては一日を暮らしたものだ。
都會の運河とはちがつて、みるか
らに玲瓏とした河の流れは、今も
なほ昔の儘に、とうとうと音たて
ゝ流れてゐた。私達はひさしぶり
に蠣船の障子窓をあけて、蠣を食
べ乍ら、河づらに降りけぶる冬の
雨あしを美しく眺め、昔の思ひ出
にふけつた。
私達はその夜おそく、その街か
らひそかな驅落ちの旅をつゞけて
或る山村の旅宿の戶を叩いた。田
舎の舊家らしい、廣びろとしたつ
くりで、旅宿と料理屋とをかねて
ゐるのだ。宿の主人は、はじめこ
の深夜の客を怪しむ風であつたが
快活にふるまふ都會人の私と、私
のかげのやうにおとなしい妻とを
明かりをちかづけてみたときには
田舎の老人らしいく素朴な笑ひをた
ゞ江て、すぐ室にみちびいたので
ある。ほかに泊人のない二階の八
畳に、よごれた衣ものをぬぎすて
たときは、むしろ爽快な氣持を覺
江た。深夜の風呂に妻とつかつて
じつと耳を澄すと、雨の音がたか
かつた。と、遠くで三味線の音が
するのだ。この風呂塲の前の廣い
庭をつたふ廊下の向ふに離室があ
つて、そこが酒宴の客をむかへる
ところだと、さつき女中のひとり
に指されたが、なるほどこういふ
田舎の町でも、酒色にふけるひと
もあるのだと思ひ、人間の世界が
ふしぎなあやおりをみるやうな氣
持で思ひやられた。すべてが自分
の生路にひきくらべて、しんみり
と思ひやられた。どこへ行つてみ
ても、男と女との愛慾のたゆるこ
とのない、根づよい情痴の世界
――たとへそれが、血みどろの氣
味惡るいものであつても、私にと
つては、なつかしい、親しい、ほ
んたうの人間生活そのものとしか
思はれなかつた。私はほの暗い、
電燈の明かりにういてみ江る、妻
のうねうねとした肉づきの豊かさ
を、たはむれにぐいと人指指でつ
き乍ら、この美しくもない田舎娘
をひとしほ可愛ゆく思つた。
(越後タイムス 大正十四年三月八日
第六百九十二號 五面より)
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