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古 机 (下)

古机ふるづくゑ(下)


◇その頃私は弟から、机を買つて

欲しいのだが、と、しきりに賴まれ

て困つてゐた。私には、弟のため

に、古机を一脚買つてやるお金も

なかつたからである。

◇或る日、私に電話が掛つてきた。

出てみると、Aの妻からである。

「この頃、ちつともお見江になり

 ませんのね。ご病氣でもなさつ

 てゐらつしやるのぢやあるまい

 かッて、心配してゐますのよ。

 どうなさつたの?」

私はちょこれ江とを頬張つたまゝ

笑ひ聲で言つた。

「病氣でもありませんがね。此頃

 はどこへも行きたくないのです

 もうすこし温かくなつたら、又

 お邪魔に行きますよ」

 私は電話をそこで切つてしまつ

た。さうして、――あなたの家へは

特別に行きたくありませんがね。

――と、こうひとり言を言つてみ

た。だが、淋しかつた。

◇その翌くる晩私はある賑かな街

で、ひょつくり、Aに行き合つた。

「君のところに机のいらないのは

 ないだらうか」

 私はいきなりこう言つてみた。

Aはへんな奴だなといふ風に私を

みつめた。

「あるにはあるがね。古ぼけて、

 汚ないものだが。突然、机のこ

 となぞ言ひ出したりして、君ど

 うかしたのぢやないかね」

 どうかしてゐる筈ぢやないか。

そのわけは、何もかも君は知つて

ゐるくせに・・・私はさう思つて、じ

つと涙をのみこんだ。私は弟の

ことを話した。Aは私の賴みをき

いて呉れた。

◇次ぎの晩、私は幾月ぶりかでA

の家の玄關に立つた。寒い晩であ

つた。女が出てきて、Aは留守だ

と言つた。そして私をみて、くつ

/\笑ひだしたのである。あまり

ひどい笑ひなので、

「なにが可笑しいのです!」私は

すこし銳く言つてみた。

「あなた、一昨日電話をおかけし

 たとき、何と仰有つたか、覺江

 てゐらつしやる?」

 私は電話で言つたことを忘れて

ゐたわけではないが、それは默つ

てゐた。

「今日は温かな日ですこと!」女

の笑ひは、いよ/\はげしくなつ

た。

「寒い日ぢやありませんか、今日

は」私は不快であつた。

「あなたは、暖かくなつてからい

 らつしやるおつもりだつたので

 せう」

「僕はゆふべ、路でA君にあつた

 のです。そして今夜は、机を貰

 ひにきたのですがね。その話は

 もう於ききになつてゐることと

 思ひますが」

「江ゝ、うかがつてゐますわ。机

 もだして、奇麗に掃除しておい

 たくらゐですもの」

「それはどこにあるのです」

「奥にありますわ」

「すみませんが、こゝまで持つて

 きて下さいませんか」

「あなた、今日はゆつくりしてゐ

 らつしてもいゝのでせう。そん

 なところに立つてゐらつしやら

 ないで、お上り下さいな」

「今日は机だけとりにきたのです

 から、こゝで失禮させて貰ひま

 す。A君もゐないのだし」

◇女は赤塗りの、古風な机を持つ

てきてくれた。

 私はそれを横だきにしてみた。

昔づくりなので重いものであつた

「A君によろしく仰有つて下さい

 弟も私も大變よろこんでゐると

 いつて」

 戶外へ出てから、私は「さよな

ら」と言つた。(終)

     ――十三年二月稿――

(越後タイムス 大正十三年四月二十七日 
      第六百四十八號 三面より)


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