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章 吉 と 女(上)

 やうやく、草がそろつてのびだ

したなかに、ぶざまな、つくしが

すく/\と立つてゐた。

 女は手あたりまかせに、それを

つまんでぬいてゐた。そして、それ

にも倦きると、こんどは、小さな流

れの淵へおりていつて、ながいこ

と手をひたしてゐた。

 章吉は草の上へはらばつて、女

のすることをじつとみつめてゐた

「あら、すみれがあるわ」

 さういふと、女は、流れにさか

らはすやうに、手で水をきり、ジ

ャボ/\といはせ、二三歩さきの

方へからだをずらせていつた。

「ずゐぶんロマンチックだな」

 女はおどろいて章吉の顔をみた

 章吉は、いつものくせで、頬のへ

んをゆがめ、苦笑に似た、變な表

情でゐた。

 それを女はよく知つてゐた。

 章吉がいま、なにを考へてゐる

か――それが女の頭に强くきた。

 女は章吉のそばへきた。

 そのとき、章吉は、かるはづみ

な、自分の言葉を悔いてゐた。つ

ぎに、女が彼にどんなことを話し

かけてくるか――、女のつゝこん

でくる言葉を、どうきりぬけてい

つたらいゝか――章吉の心は、そ

れでいつぱいだつた。

「ロマンチスト、あなたおきらひ

?」

 きたな、と章吉は思つた。

 彼は女の手を握つた。水につけ

たばかりの手は冷たかつた。彼は

自分のハンカチフを出して、くる

むやうにそれをかぶせ、女の手首

を兩手でにぎりしめた。そして默

つてゐた。

「あなたは、うそつきね」

「何故?」章吉はやゝ眼を輝かし

た。

「あなたは、わたしの惡口を仰有

 るときに、きまつて、ロマンチ

 スト、ロマンチストつていふの

 ね。ところが、さういふご自分

 が、わたし以上にロマンチスト

 だといふ、証據を、わたし、ちや

 んとにぎつたのよ。今までは、

 それがなかつたもんだから、ま

 けてだまつてゐたけれど、もう

 ゆるしておけないわ」

「なにを云ひだすんです。だしぬ

 けに――」

「知らないふりして、がんばつて

 も駄目なことよ。あなた、よく考

 へてごらんなさいな。わたしの

 ことを、ロマンチストだと惡口

 いつて、あなたご自身が、はづ

 かしくなつてくるやうな、そん

 なお覺へなくつて?」

 ひとの腹の底をさぐつてくるや

うな女の言葉に、章吉は、たぢろ

かされてきた。それがいかにも自

信のありさうな、詰問だけに、彼

にとつて、よけい、うす氣味が惡か

つたのである。

「そんな覺へといふと、どんなこ

 となんです?」

「まだそんなことで、ぐづついて

 ゐるのね、ぢや仕方がないから

 わたしの方であつさり云つてし

 まふわ。あなたは、竹久夢二の

 「どんたく」を愛讀してゐらつし

 やるのね。それでゐて、あなた

 は、ロマンチストぢやないわね

 江・・・・・」

 女はこういつて、からだぢゆう

を、ゆすぶつて笑つた。

 女の言葉で、章吉は氣抜がした。

ためされてゐるやうな不快なくす

ぐつたさで、彼の氣持は亂された

「馬鹿な。あれは、ずつと子供の

 時分に讀んだんですよ。僕が今

 もあれを持つてゐるからといつ

 て、僕がロマンチストだといふ

 理由には、すこしもならないぢ

 やありませんか。僕は今、あれ

 にすこしも興味を持つてなぞゐ

 ないんです。そして、あなたは、

 どうして僕があの本を持つてゐ

 ることを知つたのです?」

「あなたはまたうそをおつきにな

 るのね。理屈でござまかさうと

 なさらずに、どうぞほんたうの

 ことを仰有つて下さいな。それ

 にわたし、もう一つ、大切なこ

 とであなたにおたづねすること

 もあるんですから――實はわた

 し、妹さんから、あなたが、つい

 近頃、古本屋の片隅で、「どんた

 く」をみつけて、こをどりして

 喜んで買つてらつしやつたとい

 ふお話を伺つて、そほつと、内

 證で、お借りしてよんだのよ」

「さうですか」章吉は、わざと聲

をだしてわらつた。

「さうわかつて了へば仕方があり

 ませんよ。ほんたうのことを云

 ふと、僕は、あなたにまけない、

 ロマンチストなんですよ。それ

 に考へてもごらんなさいよ、あ

 なたのやうな、ロマンチストに

 愛してもらうには、やつぱり、

 こつちも、ロマンチストでゐた

 方が、ずつと都合がいゝことが

 ありますからね――しかし、今

 の社會に生きなければならない

 一人として、それを恐れるだけ

 の理智は持つてゐます。ロマン

 チストで宇頂天になつてゐると

 幻滅が恐ろしいですからね」

「それは結婚のときのことでせう

?」

「結婚?江ゝ、それもさうですし

 ――しかし、そんな話のまへに

 僕の氣にかゝることが一つあり

 ますが・・・・・さつき、あなたが仰

 有つて、大切だいじなことつて、あり

 や一体どんなことなんです?」

 章吉はしんけんだつた。しかし、

女はかへつて、コケティッシュな、

からかひを、からだぢゆうにみ

せるのである。章吉はそれがいま

/\しかつた。がまた、章吉の心の

片隅では、自分の愛する女から、

こつぴどく、やりこめられるとき

に覺江る、ある快感をのぞんでも

ゐたのである。

「あなたはひどい、うそつきね。

 全くゆるせないうそつきよ」

 女はこう云ひながら、輕くあは

せたふところへ手をいれ、帶のへ

んから、一冊のうすい、白い表紙

の本をとりだしたのである。

「これをわたしがみたとして、ど

 んな感じをうけるかつていふこ

 とを、あなたおわかりになつて

 ?」

 女は頁をめくり、ある一頁――

そこには、一人の少女が、秋の野

原にすわつえ、花束をつくつてゐ

る竹久夢二氏の繪があつた――を

彼のちかくへもつてきた。(つゞく)


(越後タイムス 大正十二年七月廿二日 
       第六百〇七號 七面より)


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