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死人と老眼鏡 (上)

 かやがさや/\なつてゐた。

 いろのあせたこすもすや可愛ら

しい雞頭の赤いびろーどが、うそ

寒い、晩秋の淋しさのみちきつた

あたりを、わづかにいろづけてゐ

るだけだッた。

 章吉は、重いからかさを高くかざすや

うにして、そのうしろに立ち、叔父

のふりおろす鍬さきが、さく/\

といふひゞきをたてながら、やは

らかな黑土を堀りかへしてゆくさ

まを、じつとみつめてゐた。

 よこぶりにくる、冬ちかい頃の

雨脚は、叔父のからだの半分と、

叔父を濡らすまいとする章吉のか

らだの半分へ、つめたくにじみこ

むのである。

 彼は、犬のするやうに幾度も、

ぶるゝッとみぶるいした。

 うすむらさきになるまでに古び

た、小さな墓石が、いくつも不規

則に竝んで、雨にひかるのが、彼

の眼にさびしく映つてゐた。

「この下にお前のおとゝのおかゝ

 の棺がうめてあるのぢや」

 叔父は雨にうたれるのを、すこ

しも感じないものゝやうに、鍬を

やすめてからだを一ぺんぐいとの

ばすと、すつかり傘のそとへでて

こんどは、全くかゞみこんで手の

ひらで土をかきまはしだしたので

ある。

「お祖母ばあさんが亡くなつてから、

もう大分長いことになりますね」

 章吉は、ずつと傘をひくめて叔

父のまうへからのぞくやうにして

ゐた。

「もうかれこれ、八年近うなるの

 う。このへんぢや、まだ火葬塲くわさうぢやう

 がなかつたけに、棺のまゝこゝ

 に埋めといたのぢや」

 章吉は叔父の話をきいてゐるう

ちに、そこに死体を埋められてゐ

るといふ祖母が、今でも死んだと

きのからだのまゝで、棺のなかに

眠つてゐるさまを思ひ浮べてゐた

のである。彼はそんな、ありうべ

からざることを、無理にでも信じ

てゐたいやうな氣持でその時ゐた

「おぢさん――お祖母さんのから

 だには、まだもとの面影がのこ

 つてゐましやうかね?」

 この章吉の言葉は、ほとんど無

表情にちかい叔父の顔を變にし、

つぎに、たかだかと笑ひださせて

しまつた。

「お前も子供ではないに、何をば

 かなことを言ひだすのぢやらう

 おほかたもう、こつもあるまいが

 よ」

 叔父は土をかきだす手を休めて

煙草に火を點けながら、わりに、

眞面目な、沈みきつた顔をうつむ

かせてゐる章吉を、みあげるやう

にしてゐた。

 章吉は、自分のこゝろのなかに

へんにうす氣味のわるい、白いぬ

ら/\した神經の糸がもつれあつ

てゐるやうな、神秘な感じをいつ

ぱいためてゐた。ひょつとしたき

つかけで、そんな幻影にとりつか

れることが、章吉には珍らしくな

かつた。

「おかゝは、兄弟四人のうちでも

 お前のおとゝがいちばんの氣に

 入りぢやつたけに、こうしてと

 なり合せに墓に入るのは、さぞ

 かしうれしいことぢやらう。お

 かゝが、死ぬるときにも墓は竝

 べてくれいふことぢやつたし、

 またおとゝの死ぬるときも、お

 前にさういふで願つたちゆうこ

 とぢやさうなから、こうしてお

 きや、みんな本望どほりぢや。

 それにつけ、生きてゐるうちに

 一ぺんもおかゝの墓を見舞ふこ

 ともようせなんだおとゝのこと

 を思ふと、からだの丈夫なわし

 は涙がこぼれるがの。郷里くにへか

 へりたかへりたい、といつて

 ゐたちゆうが、からだが利かん

 ばかりに、それも出來んでとう

 /\骨になつてかへつてくるち

 ゆうのは、なさけないことぢや

 つたのう」

 叔父は、自分と同じ年頃であつ

た章吉の父の生活を思ひ浮べて、

感傷的に、聲をうるませてゐた。

 父に死別してまもない章吉は、

そんな話をきかされるたびに、ま

ぶたがひとりでにあつくなつてく

るのを抑へきれなかつた。

 つひには泪があふれでた。


「兄さん、このなかあけてみせて

 ――」

 白布でくるんだ、小さな骨壷の

いれてある箱のそばにたゞづんで

ゐた、章吉の小さな妹が、急にね

だりだした。(叔父に子供がなかつ

たので、章吉の妹は七ッのときに

叔父の養女になつてゐた。)

 それをきくと、叔父は、ある狼

狽を、あり/\と示しながら、妹

の方をにらみつけるやうにした。

「もう穴が掘れたけに、雨のひど

 うならんうちに埋めてしまはう

 ――さあ、美代ちやんや、それ

 をあけてみたつて、お前のおと

 ゝはみらりやせんでに。早くこ

 ゝへもつてきや。そんなかには、

 何もありやせんのぢやけに」

 煙つてゐた山が、すこしづつ影

をこくみせてきた。傘をたたく雨

の音がやむと、汽車のとほるひゞ

きが近く聞江てくるのである。

 美代子は、養父の言葉にはかま

はずに、ぐん/\と章吉の袂をひ

つぱつてせがんだ。章吉自身とし

ても、土のなかへ埋めてしまふま

へに、もういちど父の、かさ/\

になつた骨をみておきたいと思つ

てゐた。

 彼はすぐさま、白布のむすびめ

をといて、木のかほりの新らしい

骨箱のふたをとつた。

 なかには、つや/\しく白い骨

壺があつた。しかし、そのなかに一

處にいれておいたはづの、父の老

眼鏡のサツクがみ江なくなつてゐ

る。彼はすぐそれが頭にきた。東

京を出るときに、母があれほどや

かましく云つた眼鏡を入れ忘れた

とはどうしても考へられなかつた

げんに、彼は母の前で、たしかに

それを入れたのを覺江てゐる。眼

鏡がないとゆくところへゆくのに

不自由だからといつて、そんな子

供ぢみた迷信を心から信じてゐる

母が彼にたのんだ有樣をも、明か

に思ひ出すことができる。忘れる

なんてことはない、たしかにいれ

たのだ。それが今みると、なくな

つてゐるではないか――彼はその

瞬間、ふと、幽幻な死の世界の奇蹟

のあらはれがおそひかゝつてくる

といふ風な感じが、つよく胸をう

つのを覺江た。不信者の彼を息ぐ

るしくするほどせめ苛む、ふしぎ

な、恐ろしい力を感ぜずにゐられ

なかつたのである。(未完)


(越後タイムス 大正十二年五月十三日 
      第五百九十七號 五面より)



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