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觀 劇 文 章(二)

    三

 僕は自分が殆んど見てゐない芝

居の「安土の春」に就いて少々饒舌

過ぎたやうである。さうして、當夜

僕がみた芝居はといふと、このほ

かにもう四つある。僕はその四つ

もの芝居に就いては、「安土の春」

と同樣に力こぶをこしらへて僕自

身の意見を書く氣にはなれない。

何故かといふと、それらの芝居は

今更ら僕ごときがなにも言ふべき

ところがないほど、芝居として完

全なものばかりだからである。た

とへば中幕は岡本綺堂氏の「心中

浪華春雨」一幕である。所作事は

竹柴其水氏作「三人片輪」である。

二番目は、岡鬼太郎氏の「昔摸

鼠小紋」二幕である。以上をみて

も分るとほりこれらの脚本作者は

悉く芝居道の達人ばかりである。

芝居道第一流の達人の書いた脚本

にへまなものがある筈はない。さ

うしてそれらは當夜の觀客の滿塲

一致的に滿足の意を表したもので

あることは言ふまでもない。又僕

にも面白いものであつた。

 岡本綺堂氏はご承知のとほり、

我國芝居作者の長老である。この

人には實に數多くの名脚本がある

が、どうかすると、随分つまらない

ものもないではない。どんないい

作家にも一二の惡作があることは

仕方がないが、運わるくそのつま

らない脚本を舞臺でみせられたな

らば少々不快でないこともない。

僕は數年以前この作者の「べらぼ

うの始り」といふべらぼうな芝居

をみせられたことがある。なんで

も昔、日本の或る國の海邊へ阿蘭おらん

陀人だじんかなにかが始めて上陸したの

だつたか、漂流したのだつたか忘

れてしまつたが、とに角紅毛人おらんだじん

日本の海村でむやみに「ぶらぼう」

「ぶらぼう」といふ言葉ばかりを言

ふだけの芝居であつた。さういふ

芝居はいくら岡本氏の作品にした

ところで、誰だつてさう感心はし

ないだらう。ところが不思議なこ

とには、さういふつまらない脚本

でも流石に岡本氏ぐらいの作家に

なると、決して舞臺上の破綻はみ

せない。とにかくひととほりちや

んと芝居になつてゐる。これは何

故であるか。僕が更めて言ふまで

もなく、作者が今の芝居の骨を知

つてゐるからである。又、今の歌

舞伎芝居の觀客がどういふものを

歡迎するかといふことを、はつき

りわきまへてゐるからである。更

らに又、今の役者の技巧はどうい

ふ脚本によつて完成されるかとい

ふことを熟知してゐるためである

 で、中幕「心中浪華春雨」一幕は

甚だ凡俗なる人情を寫したもので

はあるが、心中ものとしては少々

變つた趣向のものである。まづ大

阪大寶寺町大工庄藏の弟子六三郎

(壽美藏)は十九歳の若者であるが

例によつて甚だ美貌である。寛延

三年三月十八日のことである。こ

の六三郎君と深い戀仲である福島

屋の遊女お園(松蔦)は、芝居見物

のなかばからぬけだして、親方の

家で大工修業中の六三郎君に逢ひ

にくる。(白晝遊女が男の家へかご

で逢ひにくるところが既にもう十

分お芝居である。と、こんな理知的

なことを言ふのはあとになつてか

らのことで、舞臺をみてゐるとき

のわれわれは、うまうまと作者並

に役者の藝術的魔醉剤にひきこま

れて、なるほど、なるほどと、ただ

うつとりとしてゐるだけである)

ところが、折あしく親方がそこへ

歸つてくるので、六三郎君はびつ

くりして女を物置小屋へかくす。

ここまでは大へんいいが、女があ

まりあはてたものだから、ついう

つかりと、女持ちのまつ赤な莨入たばこいれ

れを火鉢のそばへ置き忘れてゐる

それを親方(佐升)がちらとみつけ

て、おやと思ふ。さうしてなにげ

なく世間話を六三郎と語合つてゐ

る。すると女が莨入を忘れたこと

に氣がついて、そつと物置小屋か

ら出て、男に莨入をかくせと合圖

をする。途端に親方がぢろりと女

をみとめて、おや、おやと思ふ。然

し、老練な親方は知らぬ風をよそ

ほつて、六三郎君にはそれとなく

意見をしておいて奥へ行つてしま

ふのだ。そこへ諸君、びつくりし

てはいけない、六三郎君の幼時に

家出をしたままの彼の実父(左團

次)が息子をたづねて會ひにくる。

彼は、當時禁制の唐人商賣といふ

ものを業として、今では大金持で

はあるが、又同時にお上のお訪ね

者でもある。泌じみと親子の對面

をするひまもなく、もう捕手とりてが外

で伺つてゐる。六三郎は折角父が

大金持になつて十幾年目に會ひに

きてくれたのでもう養父のところ

で大工などを見習ふこともやめら

れるし、もつと嬉しいことには美

しい戀びとの遊女お園をうけだし

て、思ふままに甘美な生活をおく

ることができるしと思つて、夢の

やうな幸福を歡んだのも束の間で

父は捕手に追はれて逃げてしまふ

やうな有樣である。町では父を捕

へるための太鼓がむねにしみわた

るほどはげしくなつてゐる。彼は

それをきき乍ら、わが身の行末を

絕望し、かたがた女との愛戀の情

に溺れ果てて、しとしとと降る春

雨の夕暮れに心中をするといふの

がこの芝居の大体の組立である。

こういふ芝居はどちらかといふと

大阪役者向きのものである。併し、

こんどの左團次だちの出來榮は、

相當に澁いところもあるし、大阪

役者ほどねちねちと甘くもなく、

淡白なところがかへつていいとも

思へる。又、この芝居は若い男と

女とが生活に絕望して情死をする

といふ哀話であるから、それをみ

るわれわれは多少の哀感を覺江さ

うなものであるが、尠くとも僕に

は彼らに對する同情はいささかも

生じなかつた。いやこの芝居ばか

りではない、僕は凡そ芝居の心中

物をみて、甞て一滴の泪を覺江た

ことはないといつてもいいほどで

ある。いつたい芝居の心中は、悉

く死を美化してゐる。死を享樂し

てゐる。死に對してどんな人間で

も必ず感ずるであらうところの本

能的恐怖心を忘却して、ただかた

ちの上の美を示すのが歌舞伎芝居

の心中物の特色である。だからわ

れわれ見物は、死なねばならない

二人の心持の苦惱を痛感するまへ

に、たゞ春空の雲を呆然とみあげ

てでもゐるやうな、淡い快感を覺

江るのが常である。

 (諧謔的附記)僕はこのやうなつまら

 ない一篇をこのへんでやめてしまひ

 たいと思ふのです。タイムスをお讀

 みになるひとのうちには、どうも江

 らいひとが多くて、ややもすると

 ひとの缺點をみつけて冷笑的快感の

 資料にされがちだからです。然し、僕

 は今病床にあつて長閑な日和の金糸

 雀夫妻と目白夫妻との樂しさうな春

 の生活を羨望し乍ら、前述の江らい

 ひとを悉く輕蔑してみたのです。す

 ると困つたことには、またこの續き

 ―いやそれだけではありません、も

 つとほかのことをも書きたくなつた

 のです。そこで、この一篇はまだ續き

 があるものと思つてください。

     (十五年三月十六日病床記)


(越後タイムス 大正十五年三月廿一日 
      第七百四十五號 五面より)


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#二世市川左團次




        ソフィアセンター 柏崎市立図書館 所蔵


心中浪花春雨


サムネイル画像出展:国会図書館NDLイメージバンクより
https://rnavi.ndl.go.jp/imagebank/data/post-183.html

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