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或 る 記 憶

 母は私に父の病氣と、家の貧窮

とを訴へた。私が時間の定つてゐ

る勤めに出やうと、朝食の食臺の

前に座ると、母は泣き乍ら家のゆ

きづまつた貧乏を語つた。「お前が

もうすこしお金を儲けて呉れゝば

いゝがね」母はきまつて私にこう

言つた。

 私はそれを聽くと矢張り泣いて

ゐた。

 その時私は二十一歳であつた。

私は母の言葉をきくまでもなく力

いつぱい働いた。しかし私の所得

は到底家の窮乏を救ふどころでは

なかつた。母はよくそれを知つて

ゐた。私は母のそんな心細い話を

聽くと、その日勤めに出る氣がし

なかつた。そんな時私は勤めに出

る風をして郊外の原へ行つた。靑

草の上に仰向けになつて空をぢつ

とみつめてゐた。私は貧乏に行き

づまつた家の長男であり乍ら、或

る女を戀してゐたのである。

 私は草の露を撫でて吹いてくる

涼しい風を頬に感じ乍ら、その戀

を思ひ出してみた。さうすると、私

の暗鬱な心持にもほんのぽつちり

ではあるが、或る明るさがうかん

でくるのであつた。私は靑年の空

想を心ゆくばかり貪り乍ら、ぶら

/″\と歩るいたりすることもあつ

た。しかし日が暮れると家へ歸る

より仕方がなかつた。家へ歸ると

直ぐ私の心は暗くみじめであつた


 金になるものは皆賣つてしまつ

た。父の病氣がつのつていつた頃

には、もう目ぼしいものは一つも

残つてゐなかつた。私達の窮境を

今迄支江てくれたほど何かとよく

救けて呉れた伯父にも、もうこれ

以上どうかして呉れとは言い難か

つた。しかし他に方法がなかつた

ので母は泣き乍ら、最後に残つた

たつた一つの指輪を伯父の妻君に

高價に買ひ取つて貰ふことを私に

はかつた。私は母の心持を思つて

泪聲で頷いた。


 母の指輪は伯父の妻君のものに

なつた。それから間もなく父が死

んだ。父が死んでから私達の生活

はすこし樂であつた。



 二三年経つた。

 初夏のある日の午後であつた。

伯父の妻君が子供を連れて妹の病

氣見舞に、久振で私の家を訪ねて

きた。子供だちは日のよく當る庭

に出て遊んだ。

「於宅の緣の下から茶の木が澤山

生江でてゐますのね」

 小母はそんなことを言ひ乍ら座

敷に座つた。

「昔、この家の建つ前はこの邊は

茶畑だつたといふことです」

 私は小母に斯う答へ乍ら、みる

ともなしにふと小母の指をみた。

そこには小母が伯父から買つても

らつた二本の指輪と竝んで、母の

ものだつた指輪がはめられてゐた

のである。私は母の方をちらとみ

た。母も小母の指を銳くみてゐた

が、その眼を私の方へ向けるとそ

の儘うつむいてしまつた。

 暫らく話してゐるうちに夕暮近

くなつた。小母は子供達の身づく

ろいを直してやり乍ら「もう夕方

になつたのね。こうしてはゐられ

ないわ。なにしろ遠いんですもの

ね」と言つて、自分も歸支度を始

めた。

 挨拶を濟してから小母は緣側へ

出て庭の方を眺めた。

「あら、富士山がよく見江ますの

ね。あんなに黒くなつて・・・」夕

焼けのした西空に富士山が不氣味

なほどはつきりと座つてゐた。

「江ゝ、冬の頃の沁み透るやうな

姿もいゝものですが、これから漸

々夏が深くなると、耐らないほど

すつきりした感じに見江ますよ」

私は小母と列んで山をみつめ乍ら

さう言つた。


 その晩、私は散歩から歸つて、

縫物をしてゐる母の傍へ座つた。

母は涙ぐんでゐた。私は母の心持

を感じた。

「小母さんも家へ來る時だけ遠慮

してくれるといゝのだがな」私は

獨言のやうに斯う言ひ乍ら、自分

の机の方へ立つていつた。

       (十三年三月稿)

(越後タイムス 大正十三年四月十三日 
     第六百四十六號 八面より)


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