物臭釣魚談戯 野瀬市郎君新著「フナ釣塲案内」を讀む
※
この數年來、趣味に關する
本が、特にいろいろと出版さ
れるやうであるが、本屋の棚
を一瞥しても、あれこれと仲
なか賑かである。取り分け、
寫眞と釣魚關係のものが斷然
多いやうである。何によらず
趣味家で文章の書ける人なら
所謂「藝は身を助く」で、原
稿料や印税で立派に生活が出
來るのではあるまいかと、思
ふ程である。
※
舊友野瀬市郎君が、この種
の流行兒であることを、うか
つにも、僕はつい最近迄知ら
なかつた。十年餘り無沙汰し
てゐる内に、彼は「水の趣味」
や「釣の研究」などの一流寄
稿家として珍重せられると共
に、彼自身も立派な鮒釣りの
大家となつてゐたのである。
さういふ野瀬君が今度、黄
河書院から、「東京近郊フナ
釣場案内(附フナの釣方)」
といふ新著を出版したので、
早速一讀した。
※
成程、十數年間、好天の日
はもとよりのこと、風雷雨雪
の惡日といへども、連日のや
うに、精根を傾注して、鮒釣
りに没頭してゐただけあつて
他の一夜漬的な、この種の本
とは全然異つてゐる。他を一
切顧みずに、四季を鮒と共に
暮らし、鮒の喜怒哀樂に喰ひ
下つて研究し、さうしてその
貴重な体験を書いたものが本
書である。野瀬君のやうな、
金はどうか知らぬが、時間が
あつて、根のいい男でなけれ
ば、到底出來ない仕事だと、
つくづく感心した。
僕らのやうな勤人は、休日
でなければ好きな釣りも出來
ないし、又いざ行かうと思つ
ても、釣塲に不安内で、つい
めんだうくさいものだから、
一二度行つて少しは様子を知
つてゐる塲所ばかりは足が向
く。ところが、さういふ塲所
は、僕らと同じやうな階級の
釣師がワンサワンサと押しか
けてゐて、折角、頭の疲れ休
めと、氣散じが目的で行く僕
のやうな外道釣師には、先づ
その人間臭さに嫌氣がさすの
である。ああ、この廣い東京
の近くのどこかに、人間がウ
ヨウヨしない、清せいするや
うな釣場はないものかと、常
づね嘆聲をもらしてゐたのだ
が、今度、野瀬君の「案内」
を讀んで、これはうつてつけ
のよいものを書いて呉れたと
大いに喜んでゐる。
※
彼の本によると、東京近郊
の、恰度僕らの程度の者が、手
輕に行けさうな釣場を、川、
用水、行け、沼、などでザッ
と五十ヶ所程案内して呉れて
ゐる。道案内は勿論、釣時期
釣り方、竿、仕掛、餌、交通
費のことまで、詳しく書いて
あるから、時間と蟇口に相談
して、都合のいいところへ行
けばいいわけである。これだ
け數ある塲所だから、どれか
一つや二つは、僕の性に合ふ
ところもあるだらうと、これ
からの日曜日を樂しみにして
ゐる。
※
この本の實用的価値に就い
ては、上述の通りであるが、
もう一つこの本を讀んで快感
を覺えるのは、流石は野瀬君
の書いたものだけあつて、文
章に程よき詩情があつて、彼
一流の、大まかな、朗かな味
ひが深いことである、又插入
の寫眞四葉も、美しく氣持が
よいものである。本の体裁は
菊半裁判の二百五十頁、用紙
は更紙で、ほんたうは僕はこ
の用紙の本は頭から讀む氣に
ならぬ程いやだが、定價八十
錢といふ易い本では、餘り文
句も言へまい。
※
十月二十二日夜、帝大前白
十字樓上で、著者の舊友、知
己が十四人集つて、ささやか
な、出版記念の會が催された
ので出席した。この會合はタ
イムス紙上で知名の、奥村祥
一氏のお骨折によるもので、
同氏を始め、江原小彌太氏、
中村星湖氏、相村正美氏等に
始めてお眼にかかつた。非常
に朗かな氣さくな會で氣持が
よかつた。野瀬君もああいふ
いい知己を澤山持つてゐるの
は心强いことだと、僕はひそ
かに彼のために祝福した次第
である。
※
僕は鮒竿一本、鯊魚竿一本
の貧釣師であると共に、生來
到つて物臭に出來てゐるので
世間の釣師のやうに、竿がど
うの、仕掛がどうのといふ、
面倒なことは一切いやである
生れつき釣魚は好きだが、何
ものを措いても、釣魚に行く
程淫するものではない。ひと
つのものに凝ることは嫌ひで
然も、趣味は多い方であるか
ら、時に應じ、氣分に任せて
したいことをして樂しむとい
ふ、惡く言へば氣が多い、よ
く言へば生活を豊富にすると
いふ行き方である。釣魚の氣
分も、長閑な田舎の野川や、
静かな海上で、釣れても釣れ
なくても、一日をゆらりゆら
りと暮らし、午になつて握飯
を食べるのが好きなだけで、
殊に子供くさい話だが、明日
釣りに行かうといふ前夜の樂
しい、空想に近い氣持が、何
とも言へぬ、釣魚の身上だと
思ふものである。
こういふわけで、僕の釣魚
は朝暗いうちにで掛けるとい
ふ風でないと、どうもぴつた
りしないのである。野瀬君の
やうに午過ぎから出掛けるな
どといふことは、僕には釣魚
らしくなくていやである。然
し、たまに出掛ける日が生憎
と天氣が惡かつたりして、仲
なか思ふやうにゆかないが、
こういふ時は、野瀬君のやう
な、自由職業者で、時間的に
自由な、日並いい日を選ん
で、いつでも行ける人が羨ま
しいと思ふのである。さうか
といつて、今のやうな時局で
は勿論のことであるが、昨日
も、今日も、明日も、釣魚に
寧日はないといふやうな人が澤
山ふへては困ると思ふ。さう
して、これは甚だケチな言ひ
分かも知れないが、どんな好
きなことでも、いつでも自由
になるといふことは、果して
ほんたうに樂しいことかどう
かと、僕は思ってゐる。本業
の寸暇をぬすんで、いろんな
惡い條件を怨み乍らも、趣味
をみたすといふのが、ほんた
うに快適な、醍醐味ではない
かと思ふものである。
(十三、一〇、三〇日稿)
(越後タイムス 昭和十二年十一月六日
第一千三百九十四號 三面より)
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(写真)前列左から中村星湖、荒木直高、江原小彌太、
野瀬市郎、相村正巳、高松茂
後列左から寺島柾史、菊池與志夫、大坪正理、齋藤芳也、奥川榮
加藤友康、奥平祥一、廣谷千代造の諸氏。
ソフィアセンター 柏崎市立図書館 所蔵
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