思 ひ 出 (一)
(この一篇の散文を、親愛なる詩人品
川力君におくつて、その友情にむく
いたいと思ふ)
第 一 章
こほろぎの死がらをひとつ、隣
家の畑でみつけた。もう冬だ。私
の好きな秋刀魚も夕餉の食卓にの
ぼらなくなつた。茶山花は白と赤
とを枝いつぱいにつけたが、冬咲
く花のいろは寒むざむとかたいか
んじである。
冬の夜そらは冷たく澄みとほつ
て、その深さは、私の寂しい心を
鋭くいぢめるやうにはてしないの
だ。天に散らばる星族の靑いまた
ゝきは、ちかちかと眼にいたいほ
どだ。
冬になると、友達もめつたに訪
ねてはくれないが、みなそれ/″\
に火桶をだいて本にでも讀みふけ
つてゐるのであらう。私も寒さに
いぢけて散歩をする氣持もないの
だ。ひとり机にむかつてみるが、
もうあたらしく讀みだす本も私に
はないのだ。書架にならべた百五
十冊ほどの本は、はらつても、拂つ
てもすぐちりまぶれになるし、そ
の表紙に觸はると、ひんやりと氣
味わるいほどの冷たさをつたへる
ので、とりかけた本でもすぐに手
を離してしまふのだ。思へばこれ
らの書物をいくたび私は讀みかへ
したことか。
私はやはらかい乳いろをもつ卓
燈のひかりで、それらの書物のさ
ま/″\な裝ひを呆んやりとみつめ
た。表紙のいろをみたゞけで、そ
の第一ページの冒頭の文章は、私
のつぶやくやうなこゑで讀まれた
それほど私はそれらの書物に親し
んできたのだ。しかしもう冬だ。
本は冷たく、私の心も寒く枯れ
たのだ。君らは僕のよき友だちだ
――春にでもなつたら又ゆつくり
僕と遊ぼうではないか。私はかれ
らにさう話しかけ乍ら、うつかり
觸らうとしたが、私の手は火桶か
ら離れやうとはしなかつた。
第 二 章
四五日ほどの前の晩、私が病氣で
寢てゐると、ひょつこりとひとり
の男が訪ねてくれた。それは北海
道の方の友達であつた。北海道と
いへば、そこは私の文學の上の揺
籃のふるさとなのだ。私は十歳の
秋から十八歳の夏までそこで暮ら
したのだ。その友達とは小學校の
頃からの間柄である。私が父と東
京に住むやうになつてからも、か
れは東京の大學生として私とかは
らない友情をかたぶけ合ひ乍ら、
よく往き來したものだ。
しかし私は黒い沼におちた。人
生に於て、私は黒い沼におちこん
だのだ。その沼には玲瓏とした美
しさと、かほりたかき氣品とをた
ゞ江た、私のまだ知らない花が咲
きにほつてゐた。私はその花を欲
しいと思つたが、私の心はその花
とくらべて全るで熟れてはゐなか
つたのだ。私はあぶない丸木舟を
あやつりなやんでその花の匂ひを
嗅がうとあせつてみたが、舟はけ
つして私の思ひどほりに沼のうへ
をすべつてくれなかつた。それで
も私はがむしやらにかひを力いつ
ぱい沼つらにをどらせてゐたもの
だ。けれども私ののぞむその美し
い花はいつのまにか剪られてしま
つたのだ。その花を剪つたのは私
の友達であつた。私は沼のまつく
らな底におちこんだだけの話だ。
――いやなことを思ひ出したも
のだ。私は手を伸して書架から氣
まぐれに一冊の本をぬきだしたが
みるとそれは佐藤春夫の「剪られ
た花」であつた。人生はまあなんと
いふその日暮らしであらう。ー私
はまたもその書出しの一節を口づ
さんだのである。
佐藤春夫さんー私も花を剪られ
たのです。そして私は、私よりさ
きに花を剪られた人のかき綴つた
「剪られた花」を、幾たびも讀みか
へしては夜を更かしてきたのです
あなたはしかし私よりは幸福なひ
とです。何故といふに、あなたは
ひとの書いた、あなた自らの人生
を泪ぐむで讀むことはないからで
す。侘しい人が多すぎる。―つま
らないことをくよくよと思ひ出し
たものだ―私の病床をたづねてく
れた友達とはひさしぶりにあふの
だ。私は彼の顔をみると泪ごゑに
なるのだが、しかし友達といふも
のはどことなく懐しいものだ。彼
と私の思ふひととのことを、彼の
言葉できかされたのは、或る春の
夜更けであつた。空はくらく、雨
が私の頬のはりつめた神經のうへ
を恰も革をなめす油のやうに、生
あたゝかく流れたが、やがて私は
泣きだしてからといふものは、泪
と雨粒とは交ごもに私の心にまで
泌みこんだのだ。戶山原の春の雨
夜だ。彼は私の思ふひとといつし
ょに、或るときは女のふるさとで
ある、阿武隈川の畔の山村にかく
れ住み、或るときは、彼の故郷で
暮らしてみたが、やはり東京の街
の匂ひを忘れがたく再び出かけて
きたのだ。そしてこんどは二人で
家を一軒かりたから、時どきは遊
びにやつてきてくれないかと、彼
は私に言ふのであつた。それはほ
んたうに結構なことだ。誰だつて
東京にいちどでも住んだことのあ
る人は、このどこがいゝともいふ
ことの出來ない東京の暮らしが戀
しくなるものなのだ。君たちが又
僕のちかくに住んでくれるのは僕
にとつてありがたいことだ。・・・・・
私は涙ごゑでこう答へ乍ら、彼の
友情を忘れがたくなつかしく思ひ
さへした。私はほんたうに彼には
昔とすこしも變らない好意を持つ
てゐるのだ。たゞ私は彼と會ふと
山奥にひとり住む晩のやうな淋し
さを感じるだけなのだ。
――こんな泣きごとを書いてど
うするといふのだ。もつと明るい
愉快なことを書いてみたらどうだ
君の寂しい人生はよく知つてゐる
しかしさういつまでもひとつこと
をめそめそとならべたてゝみたと
ころで、やはり君はひとりの可哀
想な男でしかないではないか。
(越後タイムス 大正十四年三月廿二日
第六百九十四號 六面より)
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