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葛 飾 漫 筆/野 瀨 市 郎

    *
 私の書斎は四畳半である。が、實
は六畳よりも少しばかり廣く出來
てゐる。それは二尺の出窓があつ
たり、一間の書棚が二つもついて
ゐたりするからだ。
 座敷から來る四尺廊下は、此處
でもやはり眞南を向いてゐる。出
窓は殘念ながら西向きで、だから
夕日がパッと一面に射す。夏にで
もなつたら、さぞかし暑いことだ
らうと、今から聊か氣がゝりの種
だ。――座敷からでもさうである
が、此の廊下のところからは、枯
野の末に蒼ずんだ鴻の臺の鐘かけ
の松が見江る。まさに一望の冬で
ある。
 西向きの出窓のぢき下には、さ
ゝやかな流れがあつて、聊か風情
を添江ようとはしてゐる。――が、
それとても惜しむらくは水の音な
ぞ夢にも聞くことが出來ないし、
時々汚ない舟が來往したりしてゐ
る。
 それからずつとさきに、中川の
土手が横這ひになつてゐて、晴れ
渡つた近ごろの大空に浮んだ雪の
富士が、其の土手の上に遠く顔を
覗かせてゐる。私は出窓にもたれ
て何時までも見飽かぬのである。
「…富士が高嶺を軒塲にぞ見る」
 と云つたところ、まっしく懸値
はない。何だか書斎の富士の歌で
も作りたいやうな氣にもなる。
          (二十一日)
    *
 越後タイムスが結びつけてくれ
た一人の友だちは菊池與志夫であ
る。そのほか旣知未知の友だちも
數人はあるにちがひない。其の菊
池と東京驛で待ち合せて、夜の銀
座をぶらぶらと歩く……。
 病み上りだから、冷たい風に當
るとまだゴホン/\と、咳が出る。
おまけに惡い癖がついて、散歩の
途上では、一杯ほどのビールでも飮
みたくなる。――夏ならばソーダ
水か何かなのだが。
 キタニホンで遊び過ぎて、十時
半上野發の列車には間に合はない
ことになつてしまふ。仕方がない
から乗合自動車で雷門まで一所に
來て貰つて、其處で別れる。――
高砂で電車を捨てゝ、暗い田甫路
をふら/\戻つて來ると、ふいと
路に躓いたものだから、ステツキ
とさツき買つたばかりの秋刀魚と
栗のきんとんとを持つたまゝ他愛
もなく前へのめずつて指を少しば
かり痛めたのは、夜目ながら笑止
だつた。(二十二日)
    *
 左官屋が、書斎の窓のすぐ下を
掘つてしまつたには閉口した。
「…掘る塲所もあらうにこんな
處へ穴をあけてしまやがつて」
 と、今さらいくら口小言を云つ
て見たところで始まらない。が、そ
れでも捨てゝ置く譯にもいかない
ので、先達て一日がゝりで土を寄
せ集めて埋めてみたら、まだ大穴
が明いてゐるのに、私の掌はぷ
ツくりと晴れてしまつた。
 其の厄介な穴を、今日、材木屋
の若い者が二人でやつて來て、ど
うやらいゝ加減に埋めて行つた。
其の上をどん/″\と踏みつけると
下に藁屑が投げ込まれてゐるので
何だか足もとがむく/\する。い
づれあと半月もしたら、また可な
り低くなつちまふことだらう。
 ――でも、これで少しは氣休め
になるのだから面白い。(二十三日)
    *
 快晴だつたけれど、今日は、一度
も富士の姿を見られなかつた。…
…夕方、三度目のお湯を立てる。
朝の錢湯なぞも頗るいゝ氣もちな
ものであるが、うちの風呂へゆつ
たりと浸るのも、また捨て難い感
じがする。たゞ水を汲み込むのが
少し厄介だ。私のところのはポン
プで二百五十回ほどやると、それ
で丁度いゝほどになる。
 湯殿の廣さは一坪である。二方
にガラス窓を連ねて、一方は臺所
とガラス戶で仕切つて置く。だか
ら晝は明るい。夜になれば電燈の
光りで何處かほの暗くもある。
          (二十四日)
    *
 佐藤春夫譯著「ピノチオ」を一氣
に讀了してしまつた。なるほど少
年文學の上乗なものにちがひない
が、大人が讀んだつて素的に面白
いものだ。――何しろ譯文が仲々
いゝからね。(二十四日)
    *
 菊池・横井兩君が連れ立つて遊
びにやつて來た。葛飾へ移つてか
らは、餘ほど遠いところとでも思
はれるものか、殆んど來客なぞは
ない。だから、友だちに逢ふのも珍
らしい感じがするほどである。
 上野まで汽車で三十餘分、押上
まで電車で約十五分。だから、東京
驛までほゞ一時間足らずで行ける
ところなのであるが・・・・。
 それにしても、あまりに此のあ
たりは鄙びてゐるといふ氣がする
が都會の匂ひなぞ、まるきりして
居らないのが、下手な新開地なぞ
よりは、却つてどれだけ氣もちが
いゝか知れないのだ。(二十五日)

(越後タイムス 大正十四年二月一日 第六百八十七號 三面より)


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