Photo by yucky_tsukahara 葛 飾 漫 筆/野 瀨 市 郎 16 一錢亭文庫 / 菊池 與志夫 2023年5月24日 09:25 * 私の書斎は四畳半である。が、實は六畳よりも少しばかり廣く出來てゐる。それは二尺の出窓があつたり、一間の書棚が二つもついてゐたりするからだ。 座敷から來る四尺廊下は、此處でもやはり眞南を向いてゐる。出窓は殘念ながら西向きで、だから夕日がパッと一面に射す。夏にでもなつたら、さぞかし暑いことだらうと、今から聊か氣がゝりの種だ。――座敷からでもさうであるが、此の廊下のところからは、枯野の末に蒼ずんだ鴻の臺の鐘かけの松が見江る。まさに一望の冬である。 西向きの出窓のぢき下には、さゝやかな流れがあつて、聊か風情を添江ようとはしてゐる。――が、それとても惜しむらくは水の音なぞ夢にも聞くことが出來ないし、時々汚ない舟が來往したりしてゐる。 それからずつとさきに、中川の土手が横這ひになつてゐて、晴れ渡つた近ごろの大空に浮んだ雪の富士が、其の土手の上に遠く顔を覗かせてゐる。私は出窓にもたれて何時までも見飽かぬのである。「…富士が高嶺を軒塲にぞ見る」 と云つたところ、まっしく懸値はない。何だか書斎の富士の歌でも作りたいやうな氣にもなる。 (二十一日) * 越後タイムスが結びつけてくれた一人の友だちは菊池與志夫である。そのほか旣知未知の友だちも數人はあるにちがひない。其の菊池と東京驛で待ち合せて、夜の銀座をぶらぶらと歩く……。 病み上りだから、冷たい風に當るとまだゴホン/\と、咳が出る。おまけに惡い癖がついて、散歩の途上では、一杯ほどのビールでも飮みたくなる。――夏ならばソーダ水か何かなのだが。 キタニホンで遊び過ぎて、十時半上野發の列車には間に合はないことになつてしまふ。仕方がないから乗合自動車で雷門まで一所に來て貰つて、其處で別れる。――高砂で電車を捨てゝ、暗い田甫路をふら/\戻つて來ると、ふいと路に躓いたものだから、ステツキとさツき買つたばかりの秋刀魚と栗のきんとんとを持つたまゝ他愛もなく前へのめずつて指を少しばかり痛めたのは、夜目ながら笑止だつた。(二十二日) * 左官屋が、書斎の窓のすぐ下を掘つてしまつたには閉口した。「…掘る塲所もあらうにこんな處へ穴をあけてしまやがつて」 と、今さらいくら口小言を云つて見たところで始まらない。が、それでも捨てゝ置く譯にもいかないので、先達て一日がゝりで土を寄せ集めて埋めてみたら、まだ大穴が明いてゐるのに、私の掌はぷツくりと晴れてしまつた。 其の厄介な穴を、今日、材木屋の若い者が二人でやつて來て、どうやらいゝ加減に埋めて行つた。其の上をどん/″\と踏みつけると下に藁屑が投げ込まれてゐるので何だか足もとがむく/\する。いづれあと半月もしたら、また可なり低くなつちまふことだらう。 ――でも、これで少しは氣休めになるのだから面白い。(二十三日) * 快晴だつたけれど、今日は、一度も富士の姿を見られなかつた。……夕方、三度目のお湯を立てる。朝の錢湯なぞも頗るいゝ氣もちなものであるが、うちの風呂へゆつたりと浸るのも、また捨て難い感じがする。たゞ水を汲み込むのが少し厄介だ。私のところのはポンプで二百五十回ほどやると、それで丁度いゝほどになる。 湯殿の廣さは一坪である。二方にガラス窓を連ねて、一方は臺所とガラス戶で仕切つて置く。だから晝は明るい。夜になれば電燈の光りで何處かほの暗くもある。 (二十四日) * 佐藤春夫譯著「ピノチオ」を一氣に讀了してしまつた。なるほど少年文學の上乗なものにちがひないが、大人が讀んだつて素的に面白いものだ。――何しろ譯文が仲々いゝからね。(二十四日) * 菊池・横井兩君が連れ立つて遊びにやつて來た。葛飾へ移つてからは、餘ほど遠いところとでも思はれるものか、殆んど來客なぞはない。だから、友だちに逢ふのも珍らしい感じがするほどである。 上野まで汽車で三十餘分、押上まで電車で約十五分。だから、東京驛までほゞ一時間足らずで行けるところなのであるが・・・・。 それにしても、あまりに此のあたりは鄙びてゐるといふ氣がするが都會の匂ひなぞ、まるきりして居らないのが、下手な新開地なぞよりは、却つてどれだけ氣もちがいゝか知れないのだ。(二十五日)(越後タイムス 大正十四年二月一日 第六百八十七號 三面より) #野瀬市郎 #葛飾 #越後タイムス #大正時代 #キタニホン #銀座 #佐藤春夫 #ピノキオ ソフィアセンター 柏崎市立図書館 所蔵 ダウンロード copy いいなと思ったら応援しよう! チップで応援する #銀座 #大正時代 #越後タイムス #ピノキオ #佐藤春夫 #葛飾 #野瀬市郎 #キタニホン 16