菊池與志夫氏より(消息五)
◎葉月樣。あなたの長い消息を大へ
ん嬉しく讀みました。あなたの御生
活がよく分ります。お別れしてから
もう長い日がすぎたやうな氣がしま
すが、まだやうやく二月にしかなり
ませんね。大へんお世話になつてご
好意をいつも感謝してゐます。柏崎
の滞在が餘り慌かつたので、ゆつ
くりお禮をする機會もなく大へん失
禮をしたことを後悔して居ます。い
づれ又來年の夏はまたあの好きな柏
崎の海をみに行くつもりです。來年
は是非佐藤春夫氏と一緒に行きたい
と思ひます。
◎タイムス社で講演會でも開いてく
ださると、大へんいゝのだがと、い
つもさう思つてゐます。二三日まへ
の晩も、七月柏崎で講演會があつて
わたしが佐藤春夫氏と一緒に演壇に
でて紹介をして、すぐひきかへさう
とすると、佐藤氏が――ちょいと、
まちたまへ。君はここにゐてくれ給
へ。――といふので、呆然とたつてゐ
ると――さあ、はじめやうか。――そ
こで、へんな話ですが、佐藤春夫氏
と僕とが――退屈問答――をやりだ
す・・・さういふ夢をみました。行き
たくて耐らなかつた柏崎にも行けた
のだから、來年はこの夢も、ほんた
うになりさうな氣がいたします。
◎あなたは、わたしを神のごとくよ
く眠ると言つてくださいましたが、
窓からかへつたわたしは、あなたと
同じく不眠に惱んでゐます。わたし
の憂鬱は十八の秋頃からですが、別
にはつきとしたわけは厶いません。
あつてもそれを申上げるのは、はづ
かしいのです。若者の心情をただお
笑ひください。われは情癡の徒と呼
ばるるとも今は他是非なし――この
春夫氏の言葉とそつくりです。
◎あなたは、わたしが今よりも、も
つと幼稚であつたころから、いろい
ろとご好意をめぐんでくださいまし
た。いい友を得たのも、すこしは文
章をかけるやうになつたのも、みな、
あなたのお力です。わたしはそれを
思ふと、いつも感謝で泪ぐんでしま
ひます。近來わたくしのかくものが
大へん幼稚で、徒らに感傷的である
のが、大へん不快な感じをひとに與
へやしまいかと思つて、ご迷惑にな
らねばよいがと心配してゐます。或
る夜は筆を折つて了はうかと思つた
こともいくたびとなくありましたが
寂しさのあまり、いろいろと、かきた
はむれて居ますと、つい、いつのまに
か、あんなものができてしまふので、
お送りしてゐるわけです。(中略)
◎これからは心がけて、タイムスへ
も、できるだけ、明るい、いいものを
かくつもりですが、あなたが、ごらん
になつて、いやらしいものが厶いま
したら、どしどし丸めて捨ててくだ
さい。わたくしはゆめ心地でかいて
ゐる塲合が多いのですから。
◎輕井澤でお會ひできて、あの秋ぐ
さの原を歩いたら、どんなによかつ
たらうと殘念で耐りません。あなた
がなつかしくて、ものぐさなわたく
しもいろいろな苦心をして、あなた
を探しました。ほとんど一日ぢゆう
あなたを探し歩るいたのです。とう
とうくたびれて、秋ぐさのなかに、
二人でたふれて眠りました。わたし
だちも白狐になれずに。
◎寂しかつたけれど、なつかしい旅
でした。いい思ひ出です。あなたを
みつけて、むりにでも、東京へきてい
ただきたいものだと、汽車のなかで
たのしく話合つてゐましたのに殘念
です。柏崎の記念寫眞は、野瀬君が
停車塲で盗まれた包みに入つてゐた
ので、それきりになつたわけでくや
しくて耐りません。
◎このあひだの野島壽平氏のゴシッ
プは面白くよみました。わたくしも
支那少女とまちがへられたこともあ
りますし、輕井澤からのかへりの汽
車で上流の若夫婦の甘美なる情景を
みせられた覺江が鮮かですから、大
へん面白かつたのです。野島壽平氏
にお會ひの節はよろしく仰有つてく
ださい。(一四、九、一六夜)
(越後タイムス 大正十四年九月二十日
第七百二十號 三面より)
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