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一人一人が宇宙神

人間には、があります。いや、人間に限らず、あらゆる生き物には心があるのではないかと思っています。

唯物論的には、そうした心の動きなどの精神的活動は、すべて脳内の物理的活動という解釈で片づけられます。

唯物論では「心的状態があるとしても、それはある意味でなんらかの物理的な状態に還元できるはずだ。それ以外にない」と考える
※ウィキペディア「唯物論」より引用

たしかに、何かを考えるというのは、脳内での活動であり、それを観測することは可能でしょう。喜怒哀楽などの感情についても、何かしら脳のなかで反応があると思われるので、それらをもってして、脳内の物理的活動として観測すること自体はできるのだと思います。

問題は、上に挙げた引用文のうち、「それ以外にない」という部分です。本当にそれ以外にないのでしょうか。

仮に、私が目の前にあるボールペンを手に取るとします。これをするまでの間、私の脳は次の働きをすることになります。

1.目の前のボールペンを見る(視覚情報の処理
2.目の前のボールペンを取ろうと考える(思考
3.目の前のボールペンに手を伸ばして取る(動作指示

これら3つ、すべて脳内の働きであり、それらが何かしらの物理現象として観測されうることは間違いありません。

問題は「2」の「ボールペンを取ろうと考える」部分です。これは「ボールペンを取ろうと考える」ような電気信号が、脳内に伝わったせいでしょうか?脳でそのような電気信号が伝わったから、「ボールペンを取ろう」と思ったのでしょうか?

私は逆ではないかと考えます。

つまり、私には意思があったのです。「ボールペンを取ろう」という意思があり、だから「ボールペンを取ろう」と考えたのであり、その結果として「ボールペンを取ろう」という思考が、脳内の物理現象として観測しうる状態になったのだと思うのです。

どうでしょう?

意思」などという見えないものは信じない?そういう方は、唯物論で生きていかれればいいと思います。しかし、私は違います。

脳内の物理現象の前に、私には意思があると信じています。私の意思が、脳内の物理現象として現れた、そういうことです。

ところで、そんな意思などという目に見えないものは、どこに存在するのでしょうか?

これについては、あまり問題視しなくていいように思います。無視していいと言っているわけではありません。

この世界は、科学的にも9~11次元まであると言われています。私たちが見ることができない次元があったところで、何の不思議もないのです。

仮に私たちの精神活動が4次元(目に見えている世界が、時間を含めず3次元だとする)世界のものだとしたら、私たちの精神は、今、目に見えている3次元世界よりも、上の次元のものであることになります。

見えないものは、存在しないことを意味していません。たとえ仮説としてでも、高次元世界があると言えるのであれば、目に見えない高次元世界に、「それ」があることは誰にも否定しえないのです。高次元から低次元は見下ろせても、低次元から高次元を認識することはできないからです。

さて、、、ここからが本題です。

私たちの精神活動が4次元世界のものであるとしたら、今、目の前にみえてる3次元世界は、その下の次元にあることになります。敢えて、乱暴な言い方をすれば、今見えている3次元世界などというのは、私たち一人一人の4次元世界に従属しているものであるともいえるわけです。

主従関係で言ったら、今、あるとされている3次元世界(全宇宙)よりも、私たち一人一人が持っている4次元世界の方が、上の次元にあるものだということです。

私たち一人一人がもつ精神世界の方が、全宇宙よりも上?

まさかと思われるかもしれませんが、そのまさかです。そう考えていいと思います。

宇宙全体よりも、広くて深いもの ♪
それは一人の人間の心 ♪

そういう意味で、私たち一人一人が宇宙神にも匹敵する存在であると言えます。

え?それなのに、何故、こんなに苦しかったりするの?
何故、私たちはそんなに万能じゃないの?

そんな疑問があるでしょう。その答えは簡単です。

この3次元世界というのは、そんな大勢の宇宙神が共存しているところに成り立っているからです。一人だけが万能であっては、この3次元世界は成り立ちません全宇宙神の最大公約数的なところで、成り立っているのが、この3次元世界なわけです。

ひとつ考えられるのが精神世界や意識の世界です。私たち一人一人には、精神が宿っています。私たちは精神を直接見ることはできませんが、何かしらの世界があることを知っています。仮に世界中に生きている人々が、それぞれの高次元である精神世界を持っていたとしたら、今、私たちが目の前にしている4次元世界は、そうした無数の高次元世界の交差点なのかもしれません。
※「この世界のはなし(2)~高次元世界の交差点~」より引用

例えば、私はそんなすごい宇宙神なので、目の前にある水をオレンジジュースに変えるような「魔法」も使えるはずなのです・・・が、実際にはそうなっていません

もし、私ごときがそんな「魔法」を使えるとしたら、他の宇宙神いろんな「魔法」が使えるようになってしまいます。結果、どうなるかといえば、皆が好き勝手に「魔法」を使うようになってしまって、世界はカオス化してしまうでしょう。

しかし、私たちが住んでいる宇宙は、そんなカオスのような宇宙ではありません

不思議なことなんて、そんなに起こっていないと言えます(多分、「ちょっと不思議ね?」くらい?)。ところかまわず、あちこちに幽霊が出るとか、そんな「グチャグチャなこと」は起こっていないのです。
つまりそれは、それだけこの世界が「まっさらで美しい」ということではないでしょうか。
ということで、この世界は魔法のような奇跡が、簡単にポンポンと起こるようにはできていないのです。少し残念に思われるかもしれません。しかし、そういう部分にこそ、この世界(宇宙)の美しさがあるのではないかと思います。
※「この美しい「4次元世界」」より引用

私たちの宇宙は、特定の一部の人々だけが「魔法」を使えるようにはできていない・・・つまり、基本的に私たちは、「魔法」を使えない宇宙神なのです。

要するに、この3次元世界は、基本的にそれぞれの宇宙神が、「みんな、この3次元世界では、魔法無しね?」と合意したところで成り立っていると言えるのです。

ただ、たまーに「魔法」使ってるんじゃない?みたいな超能力者のような人をみかけます。

それは、他の人たち(他の宇宙神たち)も「まぁ、これくらいだったらいいか」というレベルで、「魔法」を使うことを許しているということだと解釈してみてはどうでしょう。
※あたらしくんのは、「魔法(超能力)」じゃなくて、タネがあるマジックだというのは、私にはどうしても信じられません(笑)。

私も本当だったら、こんな能力使えるはずなのですが、他の宇宙神の皆さんが認めてくれないので、残念ながら使えないようです。

でもま、それでいいのです。私には、そういう分かりやすいものではなく、ちょっと分かりにくい「魔法」が使えるのだと信じています。

その「魔法」を使って、「明るい未来を切り開く」みたいな感じです。きっと・・・。

そしてそれは、私だけでなく、みんなも使えるはずだったり、そうじゃなかったり・・・?


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