政治に対する権利と責任
これからの時代において、国の仕組みなんぞ信用ならんということで、循環型農業を目指して、できる限り自給自足に近い生活スタイルを模索していきたいと考えています。
何故なら、もはや日本という国家・政府に期待をしていないからです。そう思う理由には、いろいろな言い方がありますが、最も端的に表しているのは、林千勝先生のこの指摘です。
戦争に負けて以降、本当の意味で、日本が独立国家として成立しているとは考えられず、今の延長線上では、その仕組みを根本的に変えることはできないと思っているからです。
しかし、このテーマに真正面から取り組もうとしている政党があります。参政党、面白いと思います。
うまくいくかどうかは分かりません。しかし、少しでも挑戦していくことは大切ですし、私自身、できる限りの応援はしていきたいと思います。
しかも、政党としての考え方がユニークです。
国民主権などといいますが、それは政治の責任を有権者である国民が負うということです。権利を行使する以上、そこには責任が伴います。これは当然のことです。
よく政治の問題について、政治家だけの責任かのように論う人がいますが、それはひとつの側面でしかありません。もうひとつの側面をいえば、そういう政治家に投票してしまっている有権者自身、つまり私たちの問題でもあるのです。
政治家への批判が、ブーメランとして返ってくることを知っていたら、おいそれと政治家の批判ばかりはしていられません。
民主主義における国民主権というのは、ただ「国民に権利がある、エライ!」というわけではなく、私たち国民に、その権利行使に伴った結果責任までもが求められているということなのです。
参政党の「Do It Yourself」の考え方には、そうした有権者に対する厳しさがあるように思いますし、それは大変重要です。この点、民主主義を考えるうえで最も気を付けなければいけないポイントだとも思うのです。
「参政党は、そんな生ぬるい党ではない」というところに強く共感します。
ちょっと話が逸れますが、この参政党のスタンスをみて、私の会社(イッセイ株式会社)のHPに載せてている文言を思い出しました。
何かを求めるということは、自分自身が、それを求めるに足る人間になることへの意思表明だと思います。
「いい会社で働きたい」と考えたとき、その理想にマッチする「いい会社」は、当然、「いい人材」を求めます。つまり、「いい会社で働きたい」と思う人は、その「いい会社」からみたときに「いい人材」であることを求められるのであり、自分自身がそういう「いい人材になる」という意思表明とも言えるわけです。
したがって、「いい会社で働きたい」というからには、自分自身がしっかりしていないといけません。
話を元に戻して、「いい社会であってほしい」と願うのであれば、私たちひとりひとりは、その「いい社会」の構成員として、自分たち自身が「いい人間」になっていないといけません。それは、その「いい社会」の政治をあずかる政党や政治家に対しても同様です。
政党や政治家に投票して、「任せた、あとよろしく」で済ませてしまって、何か問題があったら彼らを批判するだけなんて、生ぬるすぎます。そんな無責任な姿勢で、政治家に政治を任せっぱなしにするから、問題も起きるし、いつまで経っても世の中がよくならないとも言えるのです。
参政党は、そういう意味で、世の中を変えるためのヒントを与えてくれている気がします。
循環型農業のような、自給自足に近い生活スタイルの確立、これはこれで続けていきます。一方で、既存の枠組みの中で、このような動きがあるのであれば、こちらの方も応援してきたいと思います。
ここでいう応援とは、ただ応援するというのではなく、参政党が掲げる通り、「Do It Yourself」の精神に基づき、わずかながらでも当事者意識を持った関わりということになります。
とにかくそんな感じで、できる限りのことはしていきたいものです。