記事更新のんびりやります
ちょっと体調を崩しておりまして、記事の更新もお休みしていました。
noteを始めて、投稿するたびに「●●●日連続投稿」みたいなのが出ていました。最初は、それがモチベーションだったりもしたのですが、だんだんと負担に感じ始めて、最近では「どうしたもんかなぁ」などと思っていたところでした。そこにきての体調不良だったので、PCも開けないという状況に乗じて、スッパリ連続投稿を途絶えさせました。
(`・∀・´)エッヘン!!
今は、果物に囲まれて、優雅な時を過ごしています。
あ、いや・・・本当は優雅な時を過ごしている場合ではありません。おコメの脱穀作業が終わっておらず、早急に対応しないといけないのです。けれども、かと言って、体が動くわけでもないので、ここは開き直って、少しどっしり構えていこうという感じです。
そんなわけで、普段は映画なんてめったにみませんが、ちょっと時間を取って、ネットでマトリックス(無印)なんぞをみてしまいました。
この映画については、いくつか申し述べたいことがあります。ただ、今回は仮想現実の部分に絞って書きます。
最近、この世界が仮想現実だなんて話、あちこちで言われていますし、私も記事に取り上げました。
いろいろな言い方があっていいと思います。「シミュレーション仮説」と言わずとも、この宇宙の外側に、さらに高次元な世界が広がっているという表現でも十分でしょう。そういう意味では、「多世界解釈」のなかで無数にあるうちの「ひとつの宇宙」と言ってもよいかもしれません。
いずれにしても、今、私たちが生きている世界というのは、それ単体として完全に閉じて存在しているわけではなく、そしてまた、その外側に何もないというほど、みえているものが全てではないということです。
映画・マトリックスでは、世界がコンピューターによって作られた仮想現実であり、その仮想現実における支配から脱却するために壮絶な戦いが繰り広げます。
今回、映画を見て感じたのは、その戦い方です。派手すぎます(笑)。あの弾丸を避けるシーンもそうですが、アクション全体が派手です。
そして、仮想現実(マトリックス)内の人間は、すべてシステムの一部とみなして、容赦なく倒していきます。とても、アメリカ的で分かりやすい戦い方だと思います。
娯楽として楽しむ分にはいいです。しかし今、私たちが住んでいる世界が、マトリックスのような仮想現実だとして、この主人公のように振舞ってしまっては、絶対に失敗すると思います。参考になりません。
何故か?
それは、相手を敵とみなして倒しているからです。
このマトリックスの主人公・ネオは、救世主ということになっています。救世主は、このマトリックスの世界で、ある種の物理法則を越えて動くことができます。
変な話に聞こえるかもしれませんが、私たちだって、この世界が仮想現実のようなものだとしたら、同じような能力を手に入れることができる可能性があります。
この宇宙を支配している物理法則よりも、さらに上の次元におけるルールを操ることができればいいわけです。ポイントは、どのようにしてそのルールを操るかです。
答えは、「相手を敵としてみなさないこと」です。むしろ、「相手と和合すること」にあります。だから、あんなふうに派手に戦っていてはダメなのです。
他者への敬意や、「この宇宙」に対する慈愛などがポイントです。そうしたものを持ち合わせて、相手と接していったら、そこには自然と「和」が生まれます。それが重要なのです。
そういう意味では、主人公・ネオがやっていることは真逆です。あれは、一神教的思想のなかにある「救世主」のイメージなのかもしれません。
しかし、そんな救世主は必要ありません。逆に私は、誰もが救世主になれることを指摘済みです。
あ、救世主じゃなくて、宇宙神だった・・・(笑)。ま、似たようなもんです。
マトリックスという映画は、この世界が仮想現実かもしれないという切り口でいうと、非常にいいところに迫った作品だと思います。しかし、その世界をどう生き抜くかという解決策を探る意味では、まったく参考になりません。
音楽やカメラワークも忙しくて、まるで落ち着きません。
仮想現実であるこの世界を生き抜くには、そんな忙しない音楽や派手な戦闘アクションに触れるよりも、心穏やかにして、ゆったりと過ごしてみることも大切です。それがポイントなのです。
そんなわけで、今後の記事の更新も、ちょくちょく休みながら、のんびりゆったりとしていきたいと思います。
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