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「棲み分け」で快適空間を手に入れる

生き物の命は大切にしないといけない。
殺生はいけないこと。

これ、本当にそう思っています

どこかの独裁政権でもないですし、「命を奪うのが正義!」だなんて、とてもではないですが言えません

けれども皆さん、虫ってどうです?

とくに、徐々に暑くなってきて飛び回るようになるとか、ハエとか、コソコソ動き回るGとか・・・。

私は潰しにかかります

あ・・・ただ私、Gにはめっぽう弱いので、極力逃げ回ります(苦笑)。けれども、最終的には退治しないといけないと思うわけです。

そのとき、「命は大切にしないといけない」という話とどう辻褄を合わせるか?というのが、ここで考えてみたいテーマです。


結論から言うと、私は一にも二にも「棲み分け」が大切だと思っています。

蚊もハエもいいんです。Gも勝手に生きててくれていいと思います。しかし、私の生活空間に現れてはいけません。そこは「棲み分け」しましょうよ、ということです。

彼らには彼らが心地よく生きていける場所があるわけで、何も私の前に現れなくてもいいはずです。そっちはそっち、こっちはこっち、別々に生きていくのが、お互いにとって一番心地いいのです。
※もちろん、そのために部屋の掃除とかも頑張りますっ!

逆もあります。例えば、私が彼らだけの生活空間に入っていくのはいけません。彼らだけの生活圏は、不可侵であっていいと思います。そこを侵そうなどとは、これっぽっちも思いません。

お前の生活圏は侵さないから、お前も俺の生活圏を侵すんじゃねえぞ。

そんな感じ?

だから、に出るときは、虫がいても、多少はしょうがないと思っています。畑は、彼らだけの生活圏ではなく、お互いが出会ってしまうところです。

蚊が、私の血を吸いに来るのはゴメン被りますが、畑では、基本的に彼らも生活しているところに入り込んでいるので、私としては、なんとなーく「排他的経済水域」から抜け出して、「公海」に出てしまったような感覚(?)です。

したがって、畑では基本的に(蚊はやりますが)虫を潰すようなことはしません

先ほど、私が虫を「潰しにかかる」と言ったのは、家のなかや車のなかといった、私の生活空間内に虫が出たときの話です。

私の生活空間のなかに入ってきた虫は、誤って入り込んできたものと解釈して、自ら出ていかないのであれば、迷うことなく(心の中で手を合わせて)それを潰すということです。お互い「いるべきところ」があるのだから、互いが相手のそれを侵さず、気持ちよく生きていくのがよい・・・そういうことになります。

そんな感じで、私の場合、虫を潰すときには「お前は、俺の前に現れたらダメ!!」という論理を採用しています。そして、彼らが干渉してこない限り、その命は尊重するということで、「命は大切にしないといけない」という話との辻褄を合わせています


ところで、この「棲み分け」については、虫に限った話ではないと思っています。とくに私の場合、人間関係でも同じようなことをしているかもしれません。

「棲み分け」は大切です。人間だって、いろいろいます

これだけいろいろいれば、別々の世界で生きていった方がいい人たちというのはいるものです。けっして人生で交わらない人たちというのはいますし、交わってしまうと無駄にエネルギーを吸い取られたり、おかしな世界に足を踏み入れさせるようなことになってしまったり、自分にとって、まったくいい事がない人というのはいると思うのです。

そういう人たちとは、そっちはそっち、こっちはこっち、お互いに干渉せず、別々に生きていくのが一番です。

もちろん、虫じゃないですから、そういう人たちを潰すとかじゃありません(笑)。

一番多いのは、一緒にいてつまらないから、そのまんま「つまらない顔」をします。「私、あなたといてつまんないです」って顔を隠しません。そうすると、相手もそれを察してくれて、私と話をしなくなり、いつの間にかいなくなります

この「つまんない顔」が、虫を「潰す」ような効果を生んでくれるわけです。

結果として、そういう人は、私の生活圏からいなくなり、私は快適な生活空間を手に入れることができます。

仕事も似たようなものです。

おかしな仕事、筋の通らない仕事、卑怯な仕事をする人には、「おかしいです」、「筋が通っていません」、「ちゃんと向き合ってください」と真正面から伝えます

それで直ってくれれば、その人が成長してくれるので、まったく問題ありません。どちらかというと、私は、その人の成長を促すために言っているつもりです。

しかし、仮にそれで直ってくれなくても、その人は、私にそう言われて嫌な思いをすることになります。するとその人は、なるべく私とは仕事をしないように努めます。結果、いつの間にか、私の前からいなくなってくれるのです。

もちろん、この場合、その人自身が成長するわけではないので、全体としてはよくなっていないかもしれません。だから、「棲み分け」なのです。
※私は、棲み分けられて「あっち側」に行った人たちには、明るい出口はなく、だいぶ苦労すると思っています。長続きするとは思えません

「お前の生活圏は侵さないから、お前も俺の生活圏を侵すんじゃねえぞ。」

そういう人は、きちんと自分を変えてくれない限り、私の生活圏には入ってこれません

そんなわけで、兎にも角にも、私は快適な生活空間を手に入れることができるわけです。

今、私の周りにいる人たちは、私に対してけっして変なことをしてきません。皆、良い人たちばかりです。お互いがどう思っているとか、さらに他の人たち同士では、嫌な思いをさせあっているとか、そんなことは知りません

少なくとも、私から見える側面だけで言ったら、良い人たちばかりなのです。一緒にいて気持ちいい距離感で、お付き合いをさせていただいていると思っています。

それは当然、皆さんに感謝すべきことです。しかし同時に、私自身の努力の賜物でもあります。この記事で書いたことを積み上げた結果です。

つまり、この快適な生活空間は、私が作り上げた「私の世界」でもあるわけです。


世界の紛争の話も結構です。領土問題も大事です。世界支配がどうちゃらいう話だって、とても重要だと思っています。

しかし、それらを改めて住みやすい世界にする前に、まずは自分の周りの生活空間を快適にできなくてどうするよ?と思います。

まずは各自が、快適な生活空間、快適な「自分の世界」を作り上げることが大切です。一旦、きちんと「棲み分け」をしていきましょう。

この大きな世界が、一人一人の世界の総和でできているのであれば、そういう快適な「自分の世界」を作り上げられる人たちが生き残っていくことで、結果として、快適な大きな世界が実現するのではないかと思っています。


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