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物質文明の驕りにご用心

人類は、本当に今まで進化し続けてきているのでしょうか?

もちろん、今の人類の文明は、高度に発達したと言っていいでしょう。

例えば、江戸時代の人が、今の文明社会をみたら、ぶったまげると思います。もちろん、私たちがぶったまげることはありません。それが当たり前の社会に生まれ、そのなかで育ってきました。

こんなことを考えると、昔の人たちはレベルが低くて、そんな高度文明社会に住んでいる私たちは、レベルが高い存在などと勘違いしてしまいそうです。

もちろん、そんなことはありません

私たちひとりひとりが、そんな高度な文明社会に住んでいながら、その文明や技術の中身を理解しているわけではありません。それらは歴史の積み重ねでしかないのです。

今を生きるほとんどすべての人々にとって、その「高度な文明」というのは、生まれたときには、既に環境として備わっていたものであり、ただそれを享受しているだけといっても過言ではありません。

江戸時代の人々だって、生まれたときから、今の高度文明社会のなかにいたら、ぶったまげることはないのです。

高度に文明が発達しているかどうかは、その時代に生きた人や私たちを比較して、どちらが優れているという議論にはなりえないということです。

しかし、もしそういう優劣の議論をするというのであれば、逆の可能性も考えてみると面白いと思います。

つまり、昔の人々の方が、ずっとレベルが高かったという可能性です。

戦前、ユダヤや「ロスチャイルド家」という映画について、日本の新聞に掲載された識者の座談会記事、林千勝先生が紹介されています。

「あれ(「ロスチャイルド家」という映画)を日本で見たが、完全なユダヤの宣伝物であるということがうかがえた。字幕の中に出てくる一番大きなものが、ロスチャイルド家は、なるほど金を作ったが、ユダヤ人というものは平和のためには巨額の金を使うが、戦争または破壊のために一文の金を使うものではない、というようなことを誓っているけれども、これは完全にユダヤの宣伝で、彼らは宣伝によって、また戦争によって金を作った金を作るために戦争を起こしている。(中略)彼らに都合の良い宣伝を映画にしている。そして、世界中に配信している」ということを昭和16年の12月2日に、日本の知識人が普通の新聞の対談でやってるわけですね。

今、ロスチャイルドやら、ロックフェラーやらといったものが、新聞やテレビなどのマスメディアから流れることは、まずありません戦前、この類の話は、井戸端会議でも当たり前のように話されていたといいますが、現代日本ではタブーといってもいいでしょう。

それだけ、今の私たちは、何も知らないのです。

今の私たちが知らないことでも、昔の人たちが、当たり前のように知っていて、自由に議論していたことがあったのです。そういう意味では、昔の人たちの方が、世界の仕組み・構造について、今の私たちよりも、はるかによく知っていた可能性があります。

そう考えたら、昔の人たちの方が、今の私たちよりもレベルが高かったと言えるかもしれません。


いやいや、でもやはり文明の発展すごいです。今の文明がもたらした物質的な進歩は、素晴らしいと思います。

ただし、それらは物質世界の面だけにフォーカスしたときの話です。それを本当に進化と呼んでいいのか?という疑問が残るのです。今の文明の発展が、本当に知的レベルの進化の産物なのかという点、きちんと考え直してみる必要があります。

仮に人類の進化によって、今の高度文明が成り立っているとしたら、どうして今の私たちは、情報統制や言論弾圧によって、知的活動を制限されなければならないのでしょうか。そして、何故多くの人々が、それを甘んじて受け入れているのでしょうか。

それはズバリ、人類の知的レベルが退化している可能性があるということではないでしょうか。

縄文時代からこの度の人類と定義づけると、この度の人類というのは、どんどん物質文明を発展させてきたと。その前の人類というのが、仮にあったとすると、その前の人類というのは、超能力文明であったということなんですよね。

物質的な進歩・発展にばかり目がいってしまって、目に見えるものばかりに価値があると思ってしまうことで、(知識や情報などを含む)目に見えないものの価値や力認識できなくなってきている可能性、十分にあるのではないかと思うのです。それは、もはや退化と呼ぶべきものかもしれません。

私は、物質世界の上には、精神世界を含む高次元世界があるのではないかと思っています。

それを十分に理解できる人類は、その高次元世界の力を認識・駆使して、この物質世界である3次元世界を大きく変えることができるのかもしれません。

この世界は魔法のような奇跡が、簡単にポンポンと起こるようにはできていないのです。少し残念に思われるかもしれません。しかし、そういう部分にこそ、この世界(宇宙)の美しさがあるのではないかと思います。
奇跡は、ないわけではないのです。
この美しい「4次元世界」では、奇跡は目に見えにくいところで起こるようになっている・・・んじゃないかな?

「この美しい「4次元世界」」より引用

超能力、まったく否定できるものではありません。いや、むしろ超能力はあると思った方が、いろいろな不思議なことが説明できる可能性すらあります。

そんな風に考えていくと、3次元などという低次元の物質文明ごときで、人類は進化し続けていると思うこと自体、傲慢であり、それこそが退化の証である可能性があるわけです。それは、今の私たちが、人類史上において最先端の存在であると思い違いをしている時点で、実はかなり危険なのではないかということです。

とある映画の話ではありますが、F14トムキャットのパイロットが、日本のゼロ戦に戦いを仕掛けるシーンがあります。

《F14パイロット》
どうだ、少しはたまげたろ。よし、もういっちょやってやるか。
(中略)
《米空母艦長》
攻撃してよし。標的を粉砕しろ。ゼロ戦を粉々にしろ。
《F14パイロット》
待ってました。

物質文明的には、F14の圧勝です。ゼロ戦が敵うわけがありませんし、F14のパイロットは、それを十分承知の上で、ゼロ戦をコテンパンにやっつけます

物質文明にあぐらをかいて、人命を軽視する精神性・・・こういうところに、今の人類の危険性退化の証があるのではないかと思うのです。

一方、同じように時代を超えるような設定で、日本のアニメにこんな戦闘シーンがあります。

「完璧な防御ではなかった。80名を一瞬で葬ることへの怖れ。その感情が弾薬の節約という理屈を導き出しただけだ。私の肉体は、戦闘を理解していなかった。」

最新鋭イージス艦・みらいが、タイムスリップした先で米軍のプロペラ機と戦います。まともにやったら、みらいが勝つに決まっています。圧勝です。

しかし、みらいの砲雷長・菊池は、自分の下した命令によって、多くの人々が死んでしまうことを恐れ、それを躊躇することで敵の攻撃を受けてしまいます。

物質文明の発展度合いが、人類の優劣決定づけるものではないということを、イージス艦の砲雷長・菊池は、十分に理解しているように思うのです。物質文明にあぐらをかくなんて姿は、まったくみられません

こういう描写ができるところに、日本人の精神性の高さを感じますし、人類が退化しきっているわけではないことの証ではないかと思います。

物質文明の発展?

そりゃ、大変おめでたいことです。

でも、その上にも世界が広がっていると思いますし、私は、その上の世界のルールを見据えながら、気持ちよく生きていきたいと思うのでした。


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