健全な精神とは~細胞に感謝してる?~
普段、お世話になっている方のご主人は、10年ほど前、癌で亡くなりました。そして、亡くなったことについて、「世の悪に対して怒りの感情が激しかったからなぁ。それで癌になっちゃったのかもなぁ」というお話を伺いました。
この言葉、意外と本質を突いているのではないかと思います。ほんとーちゃんも、こんなことを言っています。
少し遠回りするかもしれませんが、健全な肉体と精神について、整理してみます。
人間の身体というのは、実に神秘的です。
私たちの体は、言うまでもなく細胞の塊です。そして、そのひとつひとつの細胞は、それぞれが単体で、あたかも自らの意思をもって生きているかのごとく振舞っています。
それぞれが与えられた役割を果たして、その結果として、一人の「私」という人間を成立させてくれているのです。ひとつの体の中で、それぞれの細胞が、とてつもなく高度な社会性をもって、仕事をしているようにみえます。
これは、とてもすごいことです。
ひとつひとつの細胞を生物として喩えるとしたら、各自が自分の仕事をこなしつつ、見事な連係プレイを繰り広げながら、「私」という人間を作り上げてくれているというわけです。
同時に、そこに上下関係や価値の軽重はありません。
私たちは脳で考え、脳から指令を出して、肉体を動かしています。しかし、そのこと自体、「脳がエライ」ということを意味しているわけではありません。
脳は、脳の役割を果たしているだけです。脳が脳として存在し続けるためには、それ以外の細胞が必要です。そしてまた、脳にとっても、それ以外の細胞自体が存在理由です。脳だけが偉ぶったところで、どうしようもないのです。
もちろん、その肉体の主として君臨している「私」だけが偉いとも言えません。
つまり、健康な体というのは、そうしたひとつひとつの細胞が、きちんと自分たちの役割を理解し、見事に調和した仕事をしてくれることで成り立つとも言えるわけです。そして私たちは、そんな肉体に生かされているのですから、細胞ひとつひとつに対して、ありがたいと思って当然です。
さてさて、ここからが重要なポイントです。
私たち一人一人は、そのような自分の肉体に対して、日々、どのように思っているでしょうか。
自分を成立させてくれている細胞ひとつひとつに対して、きちんと感謝できているでしょうか。見事に調和をとりながら、それぞれの役割を果たしてくれている、小さな細胞ひとつひとつに敬意を払えているでしょうか。
肉体に対して、「ありがとうございます」などと深い謝意を示さなければならないといった、かしこまった話でもありません。
ドラゴンボールの孫悟空風に言うと、「おめえたち、すげえなぁ。おら、ぶったまげたぞ」くらいの気持ちでもいいです。要は、私たちの身体を構成している、ひとつひとつの細胞に対して、そういう心持ちでいられるかどうかという問題です。価値の軽重もありません。(指に対してとか、心臓に対してとかだけでなく)等しく、ひとつひとつの細胞に対してです。
「ひとつひとつには、それぞれの役割がある」
「ひとつひとつの細胞のおかげで生かされてる、ありがたいこっちゃ」
簡単な話、自分の身体ひとつで、そんな当たり前のことが実感できるのです。そして、そうした精神を持てるかどうかは、この先の世界をどう生きるかにもつながる話でもあります。
ここから一気に、話をマクロに広げてみます。
世の中、許せないことだらけです。とんでもない悪が蔓延っているようにみえる人も多いでしょう。
しかし、それぞれには果たすべき役割があって、それをこなしているだけという見方もできます。
自分にとって悪にみえることでも、その人たちにとっては、揺るぎない善であるかもしれないということです。それは例えば、大量に人々が死ぬようなことに繋がるとしても、そうした犠牲以上に尊い大義があると信じている人々にとっては、それが善であることは動かしようがないということです。どうしようもありません。
そうであるならば、それはその人たちの役割として認めるしかありません。「お役目、ご苦労様です」くらいのものです。結局、それぞれの役割を果たしているに過ぎないと捉えるのです。それは、自分の肉体を構成する、ひとつひとつの細胞に対して抱くべき心持ちとまったく同じです。
一方で私たちは、私たち自身の大義について、常に考えていく必要があります。そこらへんに転がっている矮小なものを、自分にとっての大義と考えてしまったら、「善良であることに囚われて悪事を働く人」に成り下がってしまいます。
大義は、文字通り「大きな正義」なわけですから、とことん大きい方がいいに決まっています。
宇宙を背負うくらいの大義を手に入れ、その視点でモノを考えられるようになれば、すべてのモノに意味を見出し、それぞれの役割を認めることができるようになるでしょう。そうやって掴み取った大義があればこそ、すべての細胞(すべての人々)に感謝することができ、結果、それが「健全な精神」の形成につながるわけです。
こんなことから、冒頭に紹介した「世の悪に対して怒りの感情があったからなぁ。それで癌になっちゃったのかもなぁ」というのは、まさにそうした事の本質を突いた言葉なのではないかと思うわけです。健全な精神こそが、健康な身体を保つことになるということです。
ちょっとややこしくなっちゃったかな・・・。
ややこしく感じられたら、一旦、マクロの話は全部忘れてください。とりあえず、自分の身体のこと、ひとつひとつの細胞のことをじっくり考えてみてください。それだけでも十分です。彼らは、本当にすごいのです。
まずは、そのことに感謝してみることから始めてみましょう。そうすることで、みえてくるものがあると思うでありますよ。
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