間抜けな囚人の話
モンティ・ホール問題というテーマで記事を書いたことがあります。ちょっとした頭の体操です。
これに似ている問題があったので、ここでご紹介しておきます。
動画をみるのが面倒くさいという方は、以下、端的にまとめてみたので、こちらをご覧ください。
どうでしょう?ひとまず、問題(状況)の理解はできたでしょうか?
ものすごく簡単な図にすると、こんな感じです。
3人のうち、Cは死刑が決まっているので、釈放されるのはAかBのどちらかです。たしかに一見、Aが釈放される確率は1/2になったように思えます。しかし、それは本当でしょうか?
既にモンティ・ホール問題を解いている人からしたら、簡単な問題かもしれません。
上掲記事のモンティ・ホール問題のときにもやってみたように、これを極端なケースに置き換えて、考え直してみましょう。
元々は、3人の囚人の話でしたが、一気に1000人の囚人の話にしてみます。999人の囚人が同時に死刑になるものの、一人だけ恩赦で釈放されるとします。
釈放される確率は、全員1/1000です。
囚人Aは、自分以外の999人のうち、誰が死刑になるのかを聞くとします。この時、998人の囚人の名前を聞けたら、その結果は、以下のような図で整理されることになります。
これは、A以外の999人のうち、Bだけが名前を呼ばれなかった場合の図です。
お分かりでしょうか。囚人Aが、これで「釈放確率が1/2になった」と喜んでいるとしたら、ずいぶんおめでたい人だと思います。
そもそも、1000人もいたら、なかなか釈放されるものではありません。それが1/2になっているようにみえるからくりは、(上図で言うならば)囚人Bへの「確率の凝縮」です。
これを図で示すと、以下の通りになります。
Aの質問によって、A以外の999人については、ことごとく釈放の望みが絶たれていきます。その絶たれた望み(確率)は、(A以外の)残った者たちに引き継がれていくことになるのです。それを究極にまで進めていくと、Bという一人が、999人分の望み(確率)を背負うことになるということです。
つまり、残った囚人Bの釈放される確率が、999/1000になるのです。
もちろん、囚人Aにもチャンスがないわけではありません。1/1000の確率はあります。しかし、1/2になったわけではありませんから、Aが喜んでいられるような状況にはないということです。
結果的にAとBしか残っていないようにみえているとしても、Aが釈放される確率は、1/1000でしかないという事実は、どうやったって曲げることはできません。
「自分以外の囚人のなかで、誰が死刑になる?」などという質問を繰り返したところで、所詮分かるのは、「自分以外の囚人のなかで、誰が死刑にならなさそうか?」ということだけです。
もし仮に、囚人Aが心の安らぎを求めたかったのであれば、「(自分を含めた)全員のなかで、誰が死刑になるのか?」という問いをすべきでした。
そうであれば、自分の名前が呼ばれるリスクをとって、心の安らぎを得ることができたかもしれません(ただし、看守が、その質問にまともに答えてくれるかどうかは別の話です)。
しかし、Aは自分以外のことを調べるのにこだわりました。そのことによって分かるのは、自分以外のことだけであって、自分のことは分かったようでいて、全然分かっていないし、状況は変わっているようでいて、全然変わっていないということになるわけです。
ここで私が思うのは、所詮、自分を蚊帳の外に置いて、問い詰めてみたところで、自分の世界は何も変わらないということです。
政治や歴史といった社会科学にしても、物理や宇宙のような自然科学にしても、それらを自分と繋げて考えないと、自分の世界は何も変わりませんし、何か分かるものでもありません。
大切なのは、常に自分を巻き込んで、物事を考えることができるかです。
この3人の囚人の話、一見、間抜けな話にみえますが、私たちの周りにも起きうることではないかと思います。
好奇心は大切です。知識欲もあっていいと思います。しかし、それだけではダメです。
それらが自分にとって、どういう意味をもつのか、自分が生きる世界のなかで、どのよう働きがあるものなのか。そういうことを常に考え、結び付けてこそ、それらの情報や知識は、自分の世界を変える「価値あるもの」になると思うのです。
私は、そうした思考の習慣が、いずれ自分の世界を大きく変えていくのだと信じています。