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「無意識」を意識してみよう

意識 vs 無意識」、私たちは、どっちで動いているのでしょう?

私たちは、意識を持って生きているわけですから、当然、意識によって動いていると言えます。しかし一方で、無意識を否定するわけにもいきません

ぼくらが無意識に行う選択は全体の95%とも97%とも言われています。どちらにしろ、かなり多くの選択を無意識にしています。この「無意識」というのは、選択したことを覚えていないという意味ではありません。また、サイコロを転がして運任せで決めたということでもありませんね。「無意識に」とは、特段深く吟味せずに選択したという意味です。

現代ビジネス
「人生は無意識の「決めつけ」が9割~「良かれと思って」を洗い出す」
2022年9月28日より引用

上に挙げた記事にもある通り、人間の選択のうち、95~97%は無意識によるものだといいます。実際、私がこうして記事を書いている間、意識していることなんて、「どういう日本語を使おうか?」くらいで、体をどういう姿勢にするか、手はどこに置くか、足は組むか、まばたきはいつするか、呼吸のペースはどうするか・・・等々々、確実に意識していません

そんなものは、勝手にどうにかなっています

いや、これを「勝手にどうにかなっている」なんていうのは、大変、乱暴な言い方です。これらも全て、私の体の事なので、「勝手にどうにかなっている」わけではなく、無意識のうちに、そのようになっているということです。

さらに上掲記事では、こうも述べられています

これも結論から言いますが、ぼくらは情報の行間を読み間違えたのです。
学校で何かを教わるときも、本で学ぶときも、情報には必ず「行間」があります。つまり、すべての情報がそこに言語化されているわけではなく、「語られない部分」が必ず存在しています。もしくは、いろいろな前提条件をもとに理論を語っていることもありますが、その前提が百パーセント言語化されることはありません
その語られない部分を、ぼくらは自分の過去の経験から穴埋めして理解します。ここでぼくらは誤解し、解釈を間違えてしまうのです。

現代ビジネス
「人生は無意識の「決めつけ」が9割~「良かれと思って」を洗い出す」
2022年9月28日より引用

情報についても、その解釈が異なるのは、情報には必ず「行間」があり、それらを無意識のうちに補完しながら、理解しているからだそうです。

つまり、人は無意識の思い込みによって、判断をしているということです。そして、そうした無意識の思い込みに基づいて、意識的な判断が下されるというところがポイントです。いわば、私たちの意思決定・選択のプロセスは、意識以上に、無意識によって支配されている可能性があるということです。

ここで、さらに記事を紹介しておきます。同じく、現代ビジネスからの記事です。

VIPが人身売買を行う国際的シンジケート、新型コロナウイルスをめぐる生物兵器説やワクチン洗脳説、戦争を裏で動かす“闇の組織”、宗教と政治を牛耳る秘密結社……。
これらはいずれも荒唐無稽な「陰謀論」だ。しかし最近、2021年に起きたアメリカ連邦議会襲撃事件の首謀者たちのように、こうした陰謀論を熱狂的に信奉し、反社会的な言動を繰り返す人びとの存在にスポットが当てられ、世界的な問題と化している。

現代ビジネス
「「政治通」な人ほど“陰謀論”にハマってしまうのには理由があった…!」
2022年10月25日より引用

いつものことですが、陰謀論の批判をするのに、過激な人たちを論って、「だから、陰謀論なんてのはバカバカしいだけでなく、危険なものだ」という論調です。

ここに出てくるアメリカ連邦議会襲撃事件については、私もいろいろと疑問があります。

ウソならウソでいいのです。でも、きちんと検証をしたうえで、そうした疑問に答えてもらわないと、一方的に「陰謀論はけしからん」では納得できません

一般的な主要メディアでは、トランプ氏が危険視されてばかりです。しかし、それも疑問です。Twitter社にアカウントを凍結されたという問題の投稿も、何が問題なのかさっぱり分かりません

「私はあなたの痛みを知っている。私はあなたが傷ついていることを知っている。私たちは選挙を盗まれた(中略)しかし、あなたは家に帰らなければならない。我々は平和でなければならない。我々は法と秩序を守らなければならない(中略)我々は誰も傷ついてほしくない(中略)だから家に帰りましょう。我々はあなたを愛しています。あなたはとても特別です(中略)私はあなたがどう感じているか知っています。しかし、帰ってください。平和的に帰ってください

このとんでもなく平和的な投稿に、どのような問題があって、Twitter社はトランプ大統領のアカウントを削除したのか、「陰謀論」云々関係なく、きちんと答えてみてほしいのです。

しかし、こういう論説を主張する人たちは、そうした疑問には答えてくれません

意識してる?それとも無意識?

奇しくも、この記事を出している現代ビジネスに、情報に対する「無意識な思い込み」に関する記事が掲載されているのを知っているので、こうした疑問に答えないのも、無意識なのだろうという解釈にしておきます。

人は「偏り見る」ので、無意識に支配されているとしても、それを責めることはできません

そう、みんな無意識に支配されているのかもしないのです。

だから私は、「そりゃ、ダメでしょう」と思えるようなことをしている人がいたとしても、それらは「無意識の為せる業」なのだと解釈してみます。

竹中平蔵は極悪人だ!」という人がいます。

分からんでもないです。でも、おそらく当のご本人は、本気で世の中のためになると信じて、発言・行動をされているのだと思います。

でも竹中先生には、そんな経済学から外れた論理は、どうでもいいのかもしれません。先生は経済学者なんだから、それはそれでいいじゃないですか。

「竹中先生は経済学者」より引用

無意識なんだから、仕方ありません。とくに竹中先生には、経済学者としての自負もあります。経済学者という「専門家」の肩書を背負っている御仁に対して、私たち庶民が、あーだこーだ言ったところで、その言が届くとは思えません


無意識、恐るべしです。

だからこそ、私たちは、そうした無意識があることを知りつつ、そこにアクセスしようと努力することも重要だと考えます。

日々の生活に追われて、精神を乱されていたら、そんな無意識にアクセスすることもおぼつかなくなるでしょう。ゆったりと過ごせる時間を持って、ときには瞑想のようなものを取り入れていくことも大切です。

宗教における礼拝の類は、瞑想や座禅のような「内なる存在」との対話ともいえます。そこには、まさに目に見えない、宗教が扱っている本質があると考えられます。
例えば、目を閉じて礼拝や瞑想をしていて、何かしらのインスピレーションを感じたとします。そこで目を開けると、何かの「像」が目の前にあったらどうでしょう。その「」によって、導かれたと感じるかもしれません。
救いを求めている人からすると、とても分かりやすいはずです。「像」にそんな力が宿っていると思われれば、宗教の運営側からしてみても、都合がいいでしょう。宗教が扱うべき本質とは別の意味で、偶像は役に立つのです

「偶像崇拝の限界と楽しみ方」より引用

宗教は要りません。しかし、宗教的アプローチはあっていいと思います。無意識を知るには、いろいろなヒントが詰まっています

そうした無意識を知り、それにアクセスすることができれば、「無意識な思い込み」があるにしても、それに振り回されるようなことはないでしょう。

家畜化した人間そうでない人間がいるとしたら、その境目は、そんな無意識との接し方にあるのかもしれません。


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