仏様のような顔を目指してみる
最近、もうコロナの話にも飽きてきて、先日こんな記事を書きました。
茶番は茶番、娯楽として楽しめたらいいですね。
※「茶番としてなら見てられる」より引用
冗談で書いたつもりはありません。ただ、「そうなれたらいいかな?」くらいの感覚でした。
でもそしたら、本当にそうなってきたみたい・・・。
自分なりに(小さいながらも)やることやってるし、全力尽くしているし、届かないところがあるのも事実だし、どうしようもないことはどうしようもないし・・・いろんな思いを同時にしてたら、もう楽しむしかないじゃない?という心境になってきたのです。
そんな風になったら、こんな動画も素敵にみえるじゃないですか。
もうタローさん、カッコよすぎます。
これくらいスパーンと割り切って考えるのって大事だと思うのです。心の底から「茶番」だと思ったら、世の中が違って見えてきます。
結果、真面目な顔して「コロナを甘く見ないで」なんてボードを掲げてる「エライ人」の姿なんて、もう可笑しく、可笑しくて・・・
いや、でも笑っちゃいけません。笑っちゃいけないのです。真面目な話なんだから、こういうので笑ってはダメです。
ただ、それまでちょっと憤りすぎてしまって、少し感情のバランスを取り戻しにいっているのだと思います。だから、これから少しずつ直していきます。
きっと笑ってもいけないし、怒ってもいけないのです。ちょっと言い方を変えると、笑うと同時に怒る、でしょうか。感情ある人間なので、そういう表現の方が、より適切なようにも思います。
突然ですが、ちょと違う話します。
高校生の時、スキーの民宿で泊まり込みのバイトをしていたことがあります。そこのオーナーさんが、モーグルの選手でした。ほとんど一緒に滑るなんてことはないのですが、たまーにタイミングがあうと、そのオーナーがゲレンデで滑っているのが見えました。
その滑りが衝撃的でした。ほぼ直滑降なのです。
真下に向かって、一直線に降りているのです。けれども、よくみると直滑降とはちょっと違います。手の動きが凄いんです。「カタカタカタッ」と、物凄い速さで地面を突っついていました。
要は、ほとんど見えないくらいの小さなターンを繰り返しているのです。
普通だったら「みぎーーー、ひだりーーー、みぎーーー、ひだりーーー」くらいでしょうか。
それがそのオーナーは、「みぎひだりみぎひだり」・・・いやもっとかな、「みひみひみひみひ」か、「mhmhmhmhmh」みたいな感じなのです。これ、衝撃でした。とにかく、ターンは見えないのです。
少しもターンしていないように見える直滑降のような滑りなのに、きちんとターンしていて、速度を制御しているのです。これこそ達人の滑りだと思いました。
話を元に戻します。
これを先ほどの感情の話に当てはめると、人生の達人には「笑う」と「怒る」は、ほぼ同時にくるのではないかなと思うのです。「笑いながら怒る」、「喜びながら悲しむ」ような感情制御ができれば、感情に振り回されることはありません。
しかし、私はこれまでの間、少し怒り過ぎてしまったので、今、少し笑ってしまっています。これでは、「みぎー、ひだりー」です。全然、いけてません。
これがオーナーのように「mhmhmhmh」みたいになったとしたら、きっと仏様の涅槃(ねはん)のような表情になるのだと思います。
涅槃
煩悩 (ぼんのう) の火を消して、智慧 (ちえ) の完成した悟りの境地。一切の悩みや束縛から脱した、円満・安楽の境地。仏教で理想とする、仏の悟りを得た境地。
※goo国語辞書「涅槃」より引用
喜怒哀楽、あらゆる感情を同時に内に秘め、それらすべてが一つの表情になって外面に表れる・・・みたいな?
ただ、私はまだまだ普通の人間なので、とてもではないですが、そこまでは行きつけません。
泣きたいときは泣くし、笑いたいときは笑うし、怒りたいときは怒るし、喜びたいときは喜びます。
一旦、今大切なことは、感情に振り回されないようにすることだと思います。感情の主人であることが重要です。怒ってばかりでは、そこから良いものは生まれません。かといって、これからの世界、笑いっぱなしで済むような世の中でもないでしょう。
常に感情の主人であり、できれば「オーナー」のような「達人ターン」をしていきたいものです。そしたら、いつの日か仏様のような顔になっているかもしれません。
「のぺーっ」とした顔の私が完成したら、それが成功なのかな(笑)?
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