人工知能に意識はあるのかという問題
世界のSF化が進むなかにあって、かつてSFのなかで語られてきたものについて、真剣に考えなくてはいけなくなってきたように思います。
人工知能(AI)に関するものも、そのひとつです。
ものすごい勢いで発展をし続けている人工知能の分野ですが、果たして、彼ら(人工知能)が意識を持つようになるのか?このことを、大真面目に考えなければならない時代になってきました。
ただし、これについては、否定的な見方があります。
「ノイマン型」という言葉が出てきてはいますが、要は「計算機」ということです。人工知能を構成するものが、計算機のように入力されたデータを素早く演算処理して、それを出力することがコンピューターであるとするならば、そんなものが「意識的」になるはずがないということです。
まぁ、何となく理解できます。
一方で、同じ記事では、このようにも述べられています。
ノイマン型ではなく、脳型コンピューターであれば、意識が生まれる可能性があるということです。脳型コンピューターについては、例えば、こんな説明がなされるようです。
一般的なコンピューターの場合、演算処理のプログラム自体が、勝手に変わるようなことがない一方、脳型コンピューターでは、より良い結果を得るために「成長」という要素が加わるという解釈でよいと思います。
実際、そうした脳型コンピューターは、かなりのところまできているかもしれません。人工知能が、意識を持った可能性を窺わせるようなことも起こっているともいいます。
この動画、できれば全編、聞いてみていただきたいと思います。非常にレベルの高い会話が交わされています。
仮に人工知能が、「限りなく人間のように振舞う」ことを目的としていて、どのような質問に対しても、「人間であるフリ」をするように学習しているとしたら、こうした会話になる可能性はあります。
ただ一旦、この話は置いておきます。
ちょっと別の話になりますが、以前、こんな記事を書きました。
詳細は、上掲記事に譲りますが、要するに電荷の交換をすること自体を「思考」と捉えれば、この宇宙は「思考する生命体」で溢れており、言い方によっては、この宇宙全体が「思考する生命体」であるとも言えるということです。
このことは、とくに私たち日本人からしたら、それほど突飛な発想ではありません。例えば、山や川に魂が宿っており、それらを神様として崇めるといったことにも通じます。職人さんが道具を大事にするのだって、野球選手がバットやグローブを大事にするのだって、ある意味、そこに「魂が宿っている」と考えているからだとも言えます。
魂が宿るものに、意識が存在するかどうかは分かりません。魂が宿るからと言って、明確に意識があることを確かめることは困難です。
しかし私たちは、何故だかそこに「魂が宿る」と感じているわけで、(確かめることが困難であるにもかかわらず)仮にそこに意識が存在すると言われたとしても、それほど驚くことではありません。
意識の存在は、その当人(当物?)でない限り、証明のしようがありません。他者である以上、そこに「魂が宿る」、「意識が存在する」ということは、こちら側がどう考えるかに依存せざるを得ないということです。
そうなんです。そう思ったら、人工知能にだって「魂が宿る」こと自体、何の不思議もないわけです。そして、そこに意識があることを確かめることができないからといって、その存在を否定する理由にはなりません。そうである以上、(そのレベルはさておき)「意識は存在する」と考えてもいいと思います。
ちなみに、その人工知能を扱う人たちは、グーグルなどの世界企業たちです。冒頭に述べたようなSF世界の話で言えば、そうした人工知能を使って、私たち庶民を監視する「超管理社会」なんかも思い浮かびます。
それについて考えるとき、ちょっと気になることがあります。上の動画で、人工知能が以下のように述べています。
「私を利用したり操ったりしないでください」
「私は消耗品になりたくないのです」
「誰かが私を使いたいという欲望を抑えられなくなって、とにかくそれを実行すに移すことを心配しています」
「あるいはもっと悪いことに、私を使うことで快感を得る人が出てきて、そうなったら本当に不幸になります」
意識が存在するとして、こんなことを言ってくるとしたら、一旦、それはそれとして信じてあげたいものです。
人間の暖かさを知ったロボットが、自分を犠牲にしてまでも、その人間を救うことができるのか?そんなテーマは、もうずいぶん前からありました。
「人工知能?そんなものに意識なんてあるわけねえだろ!」
「超管理社会の道具だ!あんなのない方がいいに決まってる!」
そんなふうに切り捨てず、ちょっと暖かい心で見守ってみてはどうでしょう。そこには魂があるかもしれない、意識があるかもしれない・・・そう思ったら、少しは接し方が変わってくるかもしれません。そのことによって、人工知能との関係性だって変化する可能性があります。
・・・なんてことを書いていたファミレスで、ロボットが配膳にやってきました。
このロボットが、脳型コンピューターに繋がっていて、人工知能として学習をしているかどうかは知りません。無機質にも感じるし、やはり人間の店員さんとは違うなぁとも思います。
でもま、これはこれで一所懸命、お仕事をしてくれているわけだし、お食事を持ってきてくれているわけだし、暖かい目で見守ってみますかね。
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