記紀史観への疑問と「正統化」
日本最古の歴史書とされているのが、言うまでもなく古事記や日本書紀といった、いわゆる「記紀」と呼ばれる書物です。日本人が知っている神話や神様の名前は、多くがこのなかで語られています。日本の古代史は、これら書物で語られていることを中心に組み立てられているのです。
ところで、こうした歴史書は、単に事実の記録だけを目的としていない点に注意する必要があります。とくに日本書紀は、天皇の命で編纂されたものであり、日本最古の正史です。正史という語感から、それが「正しいもの」と思われがちですが、実際のところ、必ずしもそうとは言いきれません。例えば、中国の場合、王朝が変わるたびに正史が編纂され、新しい王朝の正統化がなされてきました。つまり、時の権力者によってまとめられるが故に、現王朝の功績が過大に評価され、旧王朝が貶められる、あるいは悪者扱いされることになるわけです。中国の場合、それが何度も起こっているため、正史に対する評価が、最初からそのように割り引かれて考えられることになっています。
日本の正史については、あまりそのような話を聞いたことがありません。しかし、よく考えてみると日本における正史の誕生にも、同じような「正統化」がなされた可能性があります。古事記も当時の朝廷に献上されていることから考えれば、日本書紀と同様、そうした正史の性格を帯びているとみるべきでしょう。
その正統化とは何か。
ひとつのチェックポイントが、大化の改新です。大化の改新とは、中大兄皇子と中臣鎌足が、朝廷内で専横政治を行っていた蘇我氏を討って、政治を正すという一連の改革のことです。この物語中、中大兄皇子と中臣鎌足は、政治を正すヒーローとして描かれている一方、蘇我氏は完全に悪者扱いです。
ところで、この一連の物語の中で、少し気になる点があります。実は、古事記や日本書紀より前、既に日本の歴史を記した「国記」や「天皇記」という書物がありました。しかし、蘇我氏が討たれる際、蘇我蝦夷宅にあったそれらの書物は焼失してしまったのです。このことによって、それまでの歴史は、まったく分からなくなってしまいました。その結果、それ以降の時代になってから編纂された古事記、日本書紀が日本最古の歴史書になったわけです。
大化の改新を成し遂げた中大兄皇子と中臣鎌足、それぞれの娘と息子が持統天皇と藤原不比等です。この二人は、その後の平安朝に続く礎を築いていくことになります。
何か引っかかりませんか?つまり、日本書紀、古事記という日本最古の歴史書が、新しい朝廷の正統化に使われているようにみえるわけです。記紀をそのように見た場合、どのような正統化がなされたのかについて、考えてみる必要があるでしょう。
ここで振り返りたいのが、既に記事にまとめた「出雲の国譲り」神話です。これは、元々国を治めていた出雲の大国主大神が、天照大神に国を譲ったというストーリーです。
当然のことながら、この神話も古事記や日本書紀に出てきます。記紀のなかで、大国主大神から権力を譲らせた天照大神、そして自らを正統化した平安朝・・・このあたりが重なってみえてきます。
では、それ以前に国を治めていた大国主大神とは何者なのか、蘇我氏とはどういう人々だったのか・・・。これらについては、また機会をあらためて、記事にしたいと思います。
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