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貧しいのは僕の方だった。

Good evening!

今日はセブ島のボランティアで 自分がどれだけ貧しいかを実感したことについて書く。

12月24日、セブ島の貧困地域の子どもたちと家族、約120人くらいを対象にボランティア活動に参加した。

本当に貧しい子ども達。ろくなものを食べていないし、ほとんどの子どもは歯が溶けている。全くない子達もいる。

こんな環境の中に飛び込んでみんなを助けることができるのか。そんなことをバスの中で考えていた。

そしていざ子どもたちのいる場所に到着すると、そこには本当に輝くような笑顔の子どもたちがいっぱいいた。その一瞬、その子どもたちが貧困なことを忘れかけた。

そして周りを見渡したら、ボロボロの家がずらっと並んでいた。

こんなとこにどうやって住んでいるんだろう。そこら中にいろんな種類の鳥たちや野良犬、野良猫たちがいる。人生の中でそんな場所に行ったことがない。1軒の家を蹴ったら3軒くらい家が倒れそうな雰囲気。

正直意味が分からなかったし、一番理解できないのは子どもたちの溢れるほどの笑顔。本当に意味不明なギャップ。普通ならこんな環境で生活してたら笑顔なんて作れないやろ。っておもってた。しかもその子たちは火事で家とか家族とかを失ったりしてる子どもたち。それでもずっと、最高の笑顔。

なんでこんなに幸せそうなんだろうってずっと考えながら一緒に遊んだり食事をしたりして、最後にクリスマスプレゼントをあげた。

こんなにも人に喜ばれることをした経験はないって思うくらい喜んでくれる。本当にこの笑顔のためならなんでもできるって思わせるくらい素敵なもの。

そして子どもたちに聞いてみた。

君たちは幸せなの??

そしてみんながこう答えた。

’’幸せ’’

なんでこんなこと言えるんだろうってすごく不思議だった。でもその時気付いたのは、自分自身が本当に笑顔であふれていたこと。その子どもたちといる時間、台風が来ていたので大雨の中で屋根もないからびしょ濡れになりながら遊んでた。日本ではこんなことはまずないし、ガラスの破片とかがいっぱいある地面で走り回ったりすることなんて絶対にない。

僕だったら、ここで怪我をしたら嫌だとか、もっ良い環境で遊びたいとか、周りの人はどうゆう風にみているんだろうとかを考えてしまっていたかもしれない。生活水準が高いからとかいろんなことをいうことはできるけれど、結局、僕は満足できることがなくて常にもっともっとっていう風になっていて、幸せにあふれていることにに気づけてなかったんだと思う。そして時にはこだわりすぎていることがあるんじゃないかって実感した。そんな状態では本当に幸せを感じて楽しむことができているとは言えない。

ここフィリピンでは、人生において笑顔が大事で、辛い時でも笑顔で、その笑顔がさらに笑顔を生んで、結局幸せを感じることができるって感じで生きてる。

フィリピンで出会った子どもたちは、人生をどう楽しむかを理解しているし、その一瞬一瞬に集中して楽しんでいる。人生のことをよく理解しているのは子どもたちの方なのかもしれない。

本当に教えられることが多かった。

そしてたまには肩の力を抜いてもいいんじゃないかって言われているような気もした。

こんなにも自分の価値観をぶち壊された経験をしたことはない。そしてこの経験は必ず自分を成長させてくれたし、この気持ちを一生忘れないようにしたい。

人生を楽しむために何ができるか。そして自分が幸せな環境で生きていけていることに心から感謝して生きていく。

Be optimistic.

Issei Yamasaki


僕のインスタグラムを通じて、人生や旅について、そして英語や留学、ボランティアに関することについてなどの連絡をしてきていただいている皆さん、いつもありがとうございます!


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