3/4 信念の選択
闘病生活をしていて特に迷うのが、何を信じてよいか、また何を信じてはいけないかということです。
本や話、あるいは記憶の中で繰り返される言葉は頻繁に私を焦らせたり、引き止めたりします。
現状、正しいこととは「治療のために信じる必要があること」であり、そうでないこととは「その必要がないこと」です。
だから取捨選択する必要があります。
それでなくても、私はある程度真実は自分で決める権利があると思っています。
もちろん自分の内側での話です。
例えば、「思い立ったが吉日」という言葉。
今でも同じ内容のことはたくさんの人が訴えていると思います。失敗するデメリットよりも、すぐに行動する習慣をつけるメリットの方が大きい。
私もそれ自体には同意します。
ただ治療中の人間がそれを信念とするのは現実的ではありません。
場合によっては、始めてしまったことが負担にしかならないからです。
また当然のように「果報は寝て待て」など、真逆の意味であろう諺もあります。その二つの語が生まれた状況が違うからだと思います。
あらゆる人にとって正しい言葉などない、とまでは言いません。
例えば「すべての人は幸福になることを望む」というのは自明に思えます。心の内側にも、覆しようのない法則はあるでしょう。
ただそういった例外を除いては、何を信じ何を信じないかは個人が選んでよいと私は信じています。
実際名言や格言を放った人も、それが全人類に共通の法則だと思っていたかどうかはわかりませんし、たぶんそうでないと思います。
それでも力のある言葉には引っ張られるし、以前良いと思った言葉に引きずられることもある。
だから、今自分の中のどんな言葉が妨げになっていて、どんな言葉が支えになっているのかを知ることが大事だと思っています。
今回は以上です。
もちろん何が正しいかを選ぶといっても限度はあります。次回はそのへんに触れられればと思います。
読んでくださる方がいらっしゃいましたら、ありがとうございました🙇
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