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3/19 「単純なことほど難しい」という言葉の重点


たくさんの複雑な過程を経て、最後には結局一番簡単な結論、あるいははじまりに行き着くことは多いと思います。
後者は「初心にかえる」ということでしょうが、私も何度も経験しています。

はじまりの着想に工夫や改良を加えていく中で、最初にあったひらめき、肝心のエッセンスを忘れてしまう。
やがてはじまりに戻る、その再会の驚きという側面もあると思います。


ただ、こういった過程を「単純なことほど難しい」のような言葉に圧縮しようとすると、「単純」とか「簡単」という本質よりも、「難しい」 という言葉の強さに引っ張られがちです。

もとよりよく言われることですが、言葉にする時点で言葉にしていない大部分は削ぎ落とされています。
そのため「遠回りは仕方ない」と思ったり、わかっていることを複雑にしたりと、「難しさ」にウェイトが置かれてしまう。これでは本末転倒に思えます。


もちろん、ここで言う「単純」と「難しい」は軸が違うというか、比べているものが違います。
しかしだからこそ、 「単純」なことの文字通りの単純さが見えづらくなる。何か遠いもの、難解なものに思えてしまいます。

本当はものすごく単純で当たり前のことなのに、説明によって遠くへいってしまう。そんな例は枚挙にいとまがないと思います。


そしてそうならないために、言葉になる前の体感を軽んじない習慣は有益だと考えます。
言葉にしていない、なっていない感覚こそ最も近く、かつ実り多いものだと思うからです。たぶん外にある言葉にも同じことが言えます。



今回は以上です。
読んで下さる方がいらっしゃいましたら、ありがとうございます🙇‍♂️

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