介護タクシーに揺られて
レイとウクレレの下がった介護タクシーは、ドライバーの趣味を穏やかに伝えつつ、曇天の田舎道を走っている。
雨は時折窓に細い線を描く程度で、梅雨の只中としてはやさしい。
父を、最後に郷里に連れて行くのだという母の独走ツアーは、行程の中ほどまできた。
父は室内でも車椅子を使うようになり、最寄り駅までの移動でさえ簡単ではない。小柄で高齢となった母と、非力な私とで父を支えながらの旅など、いったいどうなるのか。灰色の雲のような不安を背中に携えたまま、私は父母とともに出発した。
東京から新幹線や近鉄電車を乗り継いで、この西の地まで。父の兄弟や、若かりし頃の戦友や(仕事を戦と呼ぶならば)、母の会いたい人たちを訪ね訪ねて、小刻みに旅は進んでいる。
私からみて伯父伯母、母の従弟は私にも懐かしい人々だ。話していると今回は会えない従姉妹たちや、もう遠くへ旅立った大伯母や大伯父までもが、近しく迫り語りかけてくる。
母の会いたかった人たちは皆、私を見て若い頃の母によく似ていると口を揃える。私を見る目は半分、昔の母を見、ご自身の若かりし頃をも見ている。
祖父母の眠る霊園で手を合わせる。
雨がやさしく肩を濡らす。母の持ってきたピンク色の折り畳み傘を、伯父が車椅子の父に差しかけて、それが不似合いでおかしいと母が笑った。
一人ひとり、ああ久しぶりよう来てくれたなと父の肩を摩り、手を握る。東京土産の小さな最中を一つひとつ手渡しながら、負ってきた荷を手離すように、父も母も顔つきが和らいでいく。
車椅子で乗り越える段差の一段一段。霊園の砂利道。いつもなら私だけの介助で乗り越えるそれらを、ここでは皆が手を貸し共に越えてくれる。助けてもらう私は、どんな顔でいるのだろう。
出会う誰もが、別れ際に、父には「元気で」と言い、私には「頑張って」と言う。私は、はい、と答える。
窓越しの田園風景。5月に植えられたであろう稲は、程よく育って緑の地平となって広がる。
春先頃だったか、夕食後などに父が「もう帰る」ということがあった。どこに帰るの?ここが家ですよと言っても、郷里の地名を上げて、そこへ帰る、と言い張った。それを聞いた母は、先月突如として今回の旅を決め、周りの言葉も聞かず強引に押し進めた。
介護タクシーの手配も、訪問する先々への連絡も、みな同行する親戚がやってくれた。無茶苦茶と言っていい母の要望に応えるべく、奔走してくれた。この旅そのものに反対で、不安で押し潰されそうだった私は、全く、何もせずにこの地に来た。
出発の幾日か前、父に「行きたい?」と聞いた。
父はうつむき加減で、小さく低く「行きたい」と言った。
それでようやく私は荷造りにかかったのだった。確かめたのは父の気持ちというより、自身の覚悟だったように思う。
そして今、窓から雨と田んぼを眺め、時折父に声をかけて、ただ車に揺られている。タクシーと名のついた大きなワゴン車は、後ろから車椅子ごと乗り込むことができるようになっていて、車の乗り降りという多大な困難から父と私を解放してくれる。
陽が傾き、雨脚が強くなってきた。