9月2日
兄弟の子どもは姪もしくは甥だ。ではその子どもは何と呼ぶのだろう。
そんなことを考えながらわたしは裁ち鋏でシャツを切っている。
誰かが洋裁を嗜むというわけでもないのに、家には裁ち鋏が複数ある。父のかつての勤務先で使われていたものだ。普通の紙切り鋏ではすぐに刃が弱ってしまうくらい、申込みがくる。その封筒を開封するのに使っていたと父から聞いた覚えがある。沢山あるそれを、処分する段になって数丁もらってきたと言っていたように思う。何の申込みであるのか詳しくはわからない。すべてが郵便を介していた、昭和の時代の話だ。
父の洋服を片付けている。
父は身長が182センチほどあった。伯父はどちらかというと小柄で、
ええとこはみんな兄貴に持っていかれた
と言っていたかどうだったか、ともかく服も靴も父のものはサイズが合わない。その伯父の孫、父から見れば姪の長男である若者は身長が183センチあるという。そしてありがたいことには、昭和及び平成初期の服をもらってくれるらしい。デニムが少しあると伝えたら、
彼はめちゃくちゃ喜んでます、
大事に履くわ
って、
と彼のお母さんからメールがきた。なんていい子なんだ。
紳士服、という言い方を今でもするのだろうか。ファストファッションがない時代の男性の服は、ものがいい。特に当時の背広の多くはオーダーメイドで、生地も仕立ても上等であるように見える。
転じてファストファッション以降のものは、ファストそのもので、作りも生地もそれなりでしかなく、擦れや傷みが目立つ。
前者はこの従姉妹の息子くんにもらってもらい、後者の中でも大丈夫そうなものは業者に回収を頼んだ。そのどちらにも託せないアンダーシャツやトレーナーなどを、わたしは鋏で切っている。そのまま捨てればいいようなものだけれど、適度な大きさに切っておくと台所仕事や掃除の役に立つ。この倹しい性格はどこからきたものかわからないが、利き手の親指が痛くなるほど裁ち鋏を使って、何袋分かの裂ができると、わたしはとても満足した。
なぜ、正しいことをしようとするのだろう。
いい子でいて、誰かに褒められたいから?
布の話ではない。いやそれもある。
世間一般において正しいということ、をなぜしようとするのだろう。問題は、それが必ずしも相手に喜ばれることと同じではないということだ。正しいことをしているつもりなのに、煩そうな、迷惑そうな反応が返ってきたりする。わたしはどうしたら良いのかわからなくなってしまう。服それぞれの行き先を決め、鋏で古布を裁つ時のように、何もかも確信を持ってできたらいいのに。
姪の子は男の子である場合、「又甥(またおい)」と呼ぶらしい。
または男女の別なく「姪孫(てっそん)」と呼ぶ
とある。この検索結果は正しいのだろうか。またおい、てっそん。なるほどと感じ入る心持ちにはどうもなれない。正しいこと、などないのかも知れない。自分の気持ちや願望というものを、どこかに忘れてきたのではないかと、ふと思う。