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8月25日
自身の歌に、抱かれたり蹴られたりすると言っていた歌い手は誰だったか。
いつかこのnoteが救ってくれるなどと思っていたわたしは今、自らのnoteを読み返し、その時々の自分のありように、したたかに蹴られたりしている。
ひとりの練習なんて、書かなければよかった。男の顔なんて、書かなきゃよかった。
この日がこんなふうに、ふいに強い風が吹くみたいに訪れるとは思っていなかった。
父はずっと穏やかだった訳ではない。
むしろ、穏やかならざる時期が長かった。ショートステイ先で介護者の髪の毛をつかみ、デイサービスでは食卓にあったティシュ箱を投げ、出入り禁止になったりした。わたしも、母も、数え始めたらきりのないくらい、つらい思いをした。ふしぎなのは、こう書きながらもあまり上手くそれを思い出せないことだ。あんなこともこんなことも確かにあり、泣きも怒りもした筈であるのに、心が何かを守ろうとするものか、すべて紗がかかったようになって、いまは朧げにしか見えてこない。
父が旅立って間もない時に、わたしは
もう何がきてもこわくはないな
と感じていた。どんなこともたぶん大丈夫だ。それだけのことをここ何年か毎日してきたという、自信と言ったらおかしいかも知れないが、けれどもそんなようなものが身の内にあった。
ひと月が経ったいまはどうか。
残念なことに、わたしという人間の能力や胆力はそこそこでしかないようだ。あらゆる面倒を避けたい気持ちが再びあたまをもたげ、結果として母の言動が気になり、あれもこれも口出しして毛虫が如く嫌がられたりしている。
すっかり、もとの弱いわたしに戻ってしまった。
すべてを受け容れるしかない。
そう学んだはずだ。なぜできないのだろう。強くならないといけない。これまでの自分に、申し訳がたたない。
いつか、このnoteを読み返すわたしよ、いまわたしはこんなふうだ。
おさまりかけの暑さ。陽射しは未だきつく、くっきりとこの身を照らしている。
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